沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1792]

  • (金)

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「ワシントコポスト」2019年09月05日[No.1792]号

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子の成長に任せる

 8月8日付「ママと呼ぶ息子」を読んで、お便りします。24年前、長男が3歳のころに元夫が「今日からお父さん、お母さんと呼ばせる。パパ、ママは恥ずかしい」といきなり宣言しました。
 「ちょっと待ってそれっておかしい、今? 急に変えるわけ??」と元夫と大げんか。私の実家はパパ、ママで何ら問題なく、社会的には呼び名を使い分けていたので元夫の提案をおいそれとは受け入れられなかったのです。
 元夫を納得させるすべがないまま悶々(もんもん)としていた一週間後、朝のラジオである新聞社が「なぜパパ、ママと呼んじゃいけないの?」という記事を掲載しているとの情報を聞きました。あのころはまだ、携帯はおろかインターネットなんてない時代。すぐにその新聞社に電話をかけ、記事を送ってもらいました。
 それによると、親が呼び名を変えることを強制すると、子どもの性格や環境にもよりますが「親から突き放された気持ちになり、愛情を受けられないと思い、深く傷ついてしまう」というような内容でした。
 親の呼び名って子どもたちにとっては、大人が思っている以上に愛情が伴っているものなんですね! いろいろ深いものがあるんだと知りました。たかが呼び名ですが、されど呼び名なんですね。今、迷っているみなさん、子どもたちの自然な成長に任せてみてはいかがですか?
 先の元夫とのバトルですが、その新聞記事をテーブルに置き続けているうちに何も言わなくなり、「パパ、ママ問題」はそのうちフェードアウトしました。
 現在27歳の長男は家庭をもった今、私を母、母上、バーバー、ママとたくさんの名前で呼びますよ。

(那覇市 ルートビア)

(編コメ)親を何と呼ぶか、あまり深く考えたことがありませんでしたが、やはり好きなように呼んでもらう方がよいのでしょうか。それにしてもバトルに発展したとは大変でしたね。

夫婦そろってお年頃⁉

 次男のサッカー部父母会へ出席して、大会の対戦表をもらってきました。それを壁に張った数日後。夫から「何? この数字?」と聞かれました。見ると、その対戦表に謎の数字が1、2、3と振られていました。
 「あれ、私書いてないけど、誰が書いたの?」。不思議に思い、外出中の息子たちに電話で聞きましたが、誰も書いてないとのこと。「ひえー、誰ね誰ね? オカルト? 何でよ〜。お盆終わったのに…。はー、もしやサッカー好きの空き巣が、思わず書いた? 誰か屋根裏に住んでいる?」 と夫と2人、上を下への大騒ぎ。本当に怖くなり、このミステリーの真相を突き止めようと決心!
 夫と「まず、子どもたちが帰ってきたら筆跡鑑定しよう。でも何で隠すのかな」と2人で話していたところに子どもたちが帰宅。冷静な長男が、この表を見るなり一言。「お母さん、これコピーでしょ? 先生が書いたんじゃん」。
 「はぁ、オーマイ ガッド! なんだとう! コピー!! あ〜、コピーなんだ!!」。そうなんです。もともと記入されていた数字だったんです。よ〜く見れば、ペンで直に書いたものではないのが分かりました。色が微妙に違います。夫婦そろって老眼に入った2人は、違いが分からず。
 夫には、「えー、ボケ!」って言われましたが、いえいえ、運命共同体でしょ⁉ 夫婦2人「お互いお年頃だな〜」で〆(しめ)ました(笑)。

(2回目のお年頃)

(編コメ)サッカー好きの空き巣や屋根裏に住んでいる人、超常現象…。いろんなことが頭の中でぐるぐるしていたのですね(笑)。 冷静な長男くんの表情を想像して思わずクスッと笑ってしまいました。

孫台風

 16日間滞在の「孫台風」が県外に去っていきました。首里城内での「ちんすこう作り体験」、「ウオークラリー」などをし、モノレールで帰ってきた孫は上機嫌でした。持ち帰りのちんすこうは実に美味でした。
 孫は最近始めたという将棋をじいちゃんに教えてもらって、「来年はじいちゃんに勝つかも!」と強気。ばあちゃんは「やさしい子ども将棋入門」の本を買ってあげたので随分、株が上がりました。
 一番楽しかったのはカラオケ。孫は「初デビュー」ということで、いとこたちと「仮面ライダー」などを歌って大興奮。絵日記にすぐ書いていました。子ども同士の触れ合いはいいものですね。成長は個性があり、速さ、深さ、広さもそれぞれですが、元気で頼もしく育ってほしいなぁと空港で見送りながら祈っていました。
 「3年生になる来年。また会いましょう」とハグをして帰りました。

(那覇市 沖縄のばあちゃん)

(編コメ)楽しい夏を過ごされましたね。お孫さんも夏休みのいい思い出がたくさんできたことでしょう。また来年が楽しみですね!

リュックが妨げに

 私には高齢になる母がいます。
 母は若い頃からバスを利用していましたが、ここ数年「もうバスは乗りたくない」と言うようになりました。その理由は主に学生さんのリュックサック。
 私もここ最近バスを利用する機会が増えたのですが、母の言い分に痛感しました。バスの中の通路に立つ学生さんはほとんどリュックを背負っていますが、そのリュックが妨げになり通路が歩きにくいのです。
 本土では、混み合う場所でリュックを背中からお腹に移動して抱えて持つ姿をよく見かけます。ここ沖縄のバス、モノレールで、混み合う場面でそのように自分の荷物に配慮する姿は見受けられません。バス車内のアナウンスでよく耳にする「奥に詰めてください」よりも「通行の妨げになるので荷物を前に抱えてください」の方がいいのではと思うほどです。
 みんなが気持ちよく公共交通機関を使えるように、大きめのバッグやリュックサックの扱い、マナーを見直していただきたいです。特にリュックをお持ちのご家族でも話題にしてほしいです。そして、バス関係者もこの記事を読んでくれるといいな、と思います。

(南風原町 ダイエットは明日から)

(編コメ)学生だけでなく幅広い層の人がリュックを背負っているように思います。混み合う場所では危ないですよね。バスの車内などではアナウンスをしてくれるとありがたいと私も思います。

仲田幸子さんに幸あれ

 7月6日の琉球新報一面に「『喜劇の女王』仲田幸子さん来年引退」の見出し。ウチナーカンプーと笑みが映る喜劇の女王、お疲れさまでした。
 先日、豊見城中央公民館へ南部地区感謝の集いに招待されて出掛けました。9月の敬老の日公演を最後に「劇団でいご座」を降りると本人からの報告もありました。物心ついたころから幸子さんの顔を見るなり笑ってしまい、劇の中での動きが始まると笑い倍増となります。
 幼少のころから現役85歳まで沖縄県民の芝居ファンを楽しませてくれて本当にありがとうございます。私も一度だけ会話をし、サインをいただいたことがあります。
 これからもはつらつとした声を生かして、お弟子さんたちを支えて、築き上げてくださいと祈願いたします。「限界を超える幸子さんに永遠に栄光あれ」

(豊見城市 つねちゃん)

(編コメ)長年、多くの人に笑いを届けてきた仲田さん。「でいご座」としての活動終了は残念ですが、今後は家族を率いての小規模のお笑いショーは続ける予定だそうです。引き続き応援していきたいですね。

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