沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1770]

  • (金)

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「ワシントコポスト」2019年03月28日[No.1770]号

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お題=年後の沖縄

 レキオ創刊35周年を記念し、読者の皆さんから「35年後の沖縄」についてお便りをたくさんいただきました。未来を想像しながら読んでくださいね!

幸せに暮らせる沖縄

 いつのころからか愛読者になり、今では木曜日を待ちかねるほどです。健康、食べ物、散歩、かわいい赤ちゃんの写真(娘も今年成人式を迎えた息子の写真を投稿したそうです)、その他、楽しく役に立つこと満載です。
 35年後の沖縄は、普天間飛行場跡は緑生い茂る公園になり、子どもたちの笑い声が聞こえ、大人たちの憩いの場所に。辺野古の海はジュゴンがゆったり泳ぐ静かな海になり、みんなが幸せに暮らせる沖縄になってほしいですね。
 35年後、120歳近くになる私は天国でレキオのご発展、そして皆さまのご多幸を見守り祈っていたいものです。

(那覇市 もず)

(編コメ)ありがとうございます。お孫さんも「イカすベイビー」に載ったんですね⁉ おっしゃる通り、誰もが幸せに暮らせる沖縄であってほしいです。

ドリームランド

 世界から争い事がなくなり、沖縄にある米軍基地も不要となり、消滅する。その跡地にレジャー施設「ウチナードリームランド」が建設される。
 そこでは三線や琉舞の鑑賞や、やんばるの森林を活用した体験型アトラクションが楽しめる。また、地元の食材をぜいたくに使った健康食を味わうこともできる。夜は海岸沿いに張られたテントに泊まり、美しい星空の下で穏やかな波の音を聴きながらオリオンビールを味わえる。
 自然のあふれる島として、発展してほしいです。

(沖縄市 キホマレ)

(編コメ)沖縄の文化や自然を感じることができる「ウチナードリームランド」。ワクワクしますね!

路面電車が走る58号

 35年後には、ただ今工事中のモノレールが開通しているのはもちろん、その路線に連結するように路面電車が走っている。
 どこに走るかって? それは南北を縦断する国道58号ですよ。道幅が片側3車線から4車線になっており、中央に路面電車が走る。モノレールのように大掛かりな工事も必要なく、どんどん延長し、終点は北部の海洋博公園。
 保育園や小学校の遠足でも路面電車が大活躍。毎年いろんな駅で途中下車し、自然の匂いを楽しみ、五感を養うお弁当タイム。
 子どもからお年寄りまで、全ての県民に愛される路面電車が走る沖縄。そんなすてきな35年後が楽しみだっ。

(宜野湾市 りゅうすけ)

(編コメ)路面電車に揺られて出掛けてみたいです。車で走る58号とはまた違った味わいがあることでしょう。

沖縄の未来2054年

 太古の昔、琉球列島はユーラシア大陸と地続きだったといいます。それにちなんで「太古に帰ろう」プロジェクトが長い間の懸案だったのですが、実現可能とのめどがつき、いよいよ始動しました。
 沖縄本島から与那国まで海底トンネルを通します。沖縄は毎年大型台風が来ます。恵みの雨もありがたいですが、台風が長引けば生活物資が途絶えるという離島苦に悩まされてきました。鉄軌道の技術が驚異的に進歩してその実現を可能にします。2031年から初めに宮古島と石垣島をつなぎます。そのプロジェクトにひ孫が参加しているのが私にはとても誇らしいです。
 19年に実施された県民投票で辺野古埋め立て反対の県民総意の高まりは世界中に賛同の輪が広がり、米大統領の決断で辺野古は沖縄に戻ってきました。
 辺野古の海は人々のサンゴ移植の熱意が実り、海洋学者も驚くほどの早さで海がもとの豊かな海に戻りつつあります。埋め立て地には滑走路一本の空港ができて、岸壁には大型クルーズ船も接岸できます。キャンプ・シュワブも返還されました。
 普天間飛行場は老朽化が激しく、また世界情勢が平和の探求に加速している21世紀にはもはや用済みとなり閉鎖されました。
 特筆すべきは世界自然遺産に認定されたやんばるの森に新種の粘菌が発見されたことです。実に世界の難病の9㌫がその成分で完治できるとの学会の発表がありました。北部振興はいろいろなことで加速しています。
 私は24年に死にました。息子と娘は私の死んだ年齢をはるかに超えていますが、元気で子や孫に囲まれて幸せに暮らしているようです。私は太平洋戦争で学童疎開船対馬丸に乗っていて死んだ姉と話をしています。姉は小学6年生のままですが、会話は弾んでいます。

(那覇市 仲ユクイ)

(編コメ)医療の面からも「離島苦」がなくなればと思います。さまざまな問題は解決し、発展していく沖縄が楽しみです。お姉さんと再会したら話したいことがいっぱいあるのでしょうね。

戦争の恐怖いまだに

 沖縄戦で受けた大きな痛手として残る不発弾。いまだに不発弾処理があちらこちらであって、戦争の恐怖から完全に解放されたとは言い難い状況にあると思います。沖縄の将来に向けて心安らかに暮らせないのは、まだ戦争の恐怖があるからだと思っています。
 私は老後のライフスタイルの中で、新聞投稿に挑戦することを楽しみにしています。運が良ければ掲載され記念品がもらえることを孫たちも楽しみにしています。また、脳の活性化にも役立っているので一石二鳥でうれしいです。

(与那原町 Z)

(編コメ)戦争が終わっても、その恐怖や苦悩は続きます。全ての不発弾処理に約70年はかかると聞きました。もう戦争はごめんです。Zさん、またの投稿お待ちしていますね。

平和な世の中

 35年前はこの世に生まれていなくて、形もありませんでした。今、私は10代だから35年後は想像もつかないけど、たぶん家庭を持って子どもが二人はいるかな。もしかしたら孫がいたりして。
 沖縄に基地がなくなって、沖縄から世界に平和を発信しているかな。世の中、どんなふうになっているのだろう。
 伝統も受け継がれているのかな。エイサーや大綱引き、ハーリーなどなど。私は保育園児のころ、エイサーの太鼓の音がすると母や祖母にねだってエイサーの練習を見に連れていってもらいました。エイサーやお祭りが好きだったようです。35年後の私は自分の子どもにねだられてエイサーを見にいっていると思います。
 35年前は携帯電話も持っていなかったしポケベルだったって、母に聞きました。戦争のない平和な世の中になっていたらいいと思います。

(沖縄市 森のくまさん)

(編コメ)35年後を想像するのは難しかったと思います。お母さんはポケベルを持っていたんですね。そのサービスも今年9月で終わりだそうです。時代の移り変わりを感じます。

未来予想

 未来は子どもや孫、またはその子どもの時代…。平和で基地のない沖縄から、世界に平和を発信しているかしら。スマホはもっと進化しているかしら。
 野菜は家庭菜園が多くなっているかも。ネギ、トマト、ゴーヤー、葉野菜、ハーブ…。現在は形が良く見栄えのいい野菜が多く売られていますが、35年後は多少、形が悪くても出回っているといいな。
 車は自動運転が主流になっていて交通事故も0(ゼロ)になっているといいな。街路樹の下は花がいっぱい。季節ごとにあるといいな。
 やはり一番の望みは平和。戦争のない平和、基地のない沖縄。

(沖縄市 よつ葉のクローバー)

(編コメ)全てが良い方向へ進んでいることを願います。未来のために、今の私たちができることをしていきたいですね。

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