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[No.1700]

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「表紙」2017年11月23日[No.1700]号

ザ夫婦

ザ・夫婦(み〜とぅ) 34


理髪店 カットヤング 諸喜田 國明さん
諸喜田 純子さん

共に歩んだ理容師人生

 角刈りの名店が、今帰仁村にある。客の約8割が角刈りをオーダーするという理髪店「カットヤング」。遠くは豊見城市からもはるばる北上、確かな角刈りを求めにやってくる。その名手の名は諸喜田國明さん(65)。そしてひげそりとシャンプーでさっぱりさせてくれるのは妻の純子さん(66)だ。二人の見事なコンビネーションで3人の子どもを育ててきた。居心地のいい空間を作ってくれるにこやかな理容師夫妻のラブストーリーをお届けする。



「今があるのは女房のおかげ」

 二人とも今帰仁村出身で、実は同じ中学校の1学年違い。しかし当時の二人の間には接点は無かった。出会いのキーワードは「パピプペポ」だ。

 純子さんが大学2年の時だった。友人と二人で那覇市内のラーメン屋で食事をしていると、たまたま近くに座り声をかけてきたのが、同僚と二人で来ていた國明さんだった。「今帰仁の言葉にはパ行の音が多くあるからさ。向こうから『パピプペポー』って聞こえて来て、(今帰仁出身って)すぐ分かったよ」(國明さん)

 純子さんは当時20歳で、國明さんは19歳。口説くのに一生懸命な年下の國明さんは、自らを大人の男性に見せようと「23歳」と4歳も„逆サバ読み“をしていたという。純子さんはその印象を「気さくな人だなと思った。面白い人だなーって」と思い出す。國明さんは「そりゃあかわいかったからさ、人には好みってもんがあるから(笑)」と照れる。45年以上も前の話。ラーメンの味は忘れてしまったが、お互いの第一印象は色あせない。

夫と働くため理容師に

 國明さんは中学を卒業してすぐに理容の道に進んだ。進んだというよりは、母に連れられ「気が付けば散髪屋の寮にいた」。当時は理容室に住み込みで働きながら学校に通うのが一般的だったという。修行先の店名は那覇市牧志にあった「ヤング」。15歳から27歳までの12年間、腕を磨いた。現在の諸喜田夫妻の店名は、このお店から頂戴したものだ。國明さんはお世話になった店主を「厳しいけれど情けのある方でした。大恩人です」と語る。やんちゃが過ぎてよく寮を„脱走“していた國明さんは、罰として数カ月間も店に立たせてもらえず、別の事務所で毎日電話番だけして過ごすはめになった。「カットできる技術はあるのにさ、させてもらえなくて。仕事をさせてもらえるありがたさが分かりました」

 また、時期こそ違うが純子さんも理容の道に進む。お互い20代前半で入籍し子どもにも恵まれ、さて独立して夫婦で店を出そうという時期だ。28歳の時に1年間、理容学校に通った。自らの興味でという訳ではなく「夫婦で一緒に働くために」が当初のきっかけではあったが、お客さんとの出会いを重ねる日々の中「地域の助けで今がある。貢献していきたい」という思いを現在も育み続けている。

 1982年に浦添市宮城に店を出してからは、二人とも「ものすごく忙しかった」と苦労を語るが、自宅と仕事場が一緒、どんなに忙しい日でもせめて子どもたちの顔を見ることが出来たのが支えにもなった。里帰りで現在の場所に店を移転してから8年半。当時の常連さんが今も通う店だ。

にじみ出る仲の良さ

 國明さんは多趣味だ。琉球舞踊にゴルフ、釣りに野球と日々を楽しんできた。「朝5時に起きて草野球のピッチャーしてから仕事していた。遊び好きだったからね」。そんな國明さんに、純子さんの不満が募る場面も度々あったものの、うまく対応していったという。「しょうがないですよ。もう一緒になっちゃったんだから、そこで我慢するしかない」と話すも、おそろいの島ぞうりを履いているあたり、仲の良さは隠せない。

 國明さんは「今があるのは女房のおかげ」と感謝する。今帰仁に戻ってからの8年間以上、毎朝夜明けと共に家を出て、純子さんの母親の畑の手入れをしている。パイン、タンカン、シークヮーサー。「(純子さんに)今までわがまましてきてこれだけ支えてもらってるからね。やらんといけん」と恩返し。今では毎朝の畑仕事がないと一日のバランスが崩れてしまうほど、すっかり人生に溶け込んでいる。

(長濱良起)



円満の秘訣は?

國明さん: カカア天下の方が家庭はうまくいく
純子さん: 水や空気のように、お互いにとっての不可欠さを感じること

プロフィール

しょきだ・くにあき:1952年11月3日、今帰仁村謝名出身。29歳で理容師として独立、浦添市宮城に「カットヤング」を開店する。その後、浦添市仲西、同内間と移転した後、2009年5月、現在の店舗を構える。趣味のひとつである唄三線では、琉球民謡協会のコンクールで優秀賞を受けるほど

しょきだ・じゅんこ: 1951年12月28日、今帰仁村呉我山出身。大学では商学を専攻し、卒業後には東京で事務職として働いていた。仕事の合間には自宅の「庭いじり」を楽しんでいる。好きな花はハイビスカス。お客さんから譲り受けたキンカチョウを夫婦で飼っている

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諸喜田 國明さん 諸喜田 純子さん
「二人三脚で数々のお客さんを「カッコよく」してきた諸喜田夫妻。楽しい雰囲気と優しい笑顔で、お客さんに安らぎを与えてくれる。 玄関先でも手を振って見送ってくれた=11月2日、今帰仁村謝名の理髪店カットヤング 
写真・村山 望
諸喜田 國明さん 諸喜田 純子さん
お客さんのスタイルを整える諸喜田さん夫妻。このお客さんは今も今帰仁まで通っている=1990年ごろ、浦添市仲西
諸喜田 國明さん 諸喜田 純子さん
浦添市仲西に構えていた当時のカットヤング。同市宮城から移転した=1990年ごろ
諸喜田 國明さん 諸喜田 純子さん
5年ほど前の謝名の豊年祭で踊りを披露する國明さん(右)
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