沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1699]

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「表紙」2017年11月09日[No.1699]号

ザ夫婦

ザ・夫婦(み〜とぅ) 33


海洋観測技術会社勤務 三浦 藍子さん
おきなわ Bee Happy養蜂家 三浦 大樹さん

屋我地島でハチミツ作り

 本島北部、羽地内海に浮かぶ屋我地島。三浦大樹(43)さんは、この島で養蜂を始めて4年目。もともと養蜂を学んでいた妻の藍子(37)さんに代わり、養蜂を一生の仕事にしようと決意した。県内には受粉用ミツバチの譲渡で生計を営む養蜂家も多いが、三浦さんは屋我地島産のハチミツを作ることにもこだわる。ハチミツ作りは、台風が来ると収穫量が激減するなど、不安定な要素も大きいが、「皆さんに食べてもらって『おいしい』と言ってもらうのが喜びです」と笑う。



自然を愛する夫婦が選んだ道

 「屋我地島で採れたハチミツは、独特の香りがあるんです。味わってみてください」

 大樹さんが差し出したハチミツを口に含むと、軽やかな甘みが広がる。花のような、フルーツのような心地よい香りを帯びているのも印象的だ。

 「県外のハチミツは、樹木から採れる蜜が多いんです。一方、県産のハチミツは、今の時期ならサシグサなど草花の蜜がほとんど。スッキリした味わいが特徴です」

 県内でも植生の違いにより、地域ごとに違った味わいが生み出され、屋我地島産のハチミツは、とりわけフルーティーな風味なのだという。

4年前、養蜂家へ転身

 埼玉で育った幼少期から昆虫や自然が大好きだった大樹さん。物理学を学び、千葉の民間気象情報会社に就職。そこで同僚だった藍子さんと出会った。

 愛知で育ち、海洋気候学を学んだ藍子さんも大の自然愛好家。二人は2005年に結婚し、大樹さんは大阪のアウトドア用品メーカー社員、藍子さんは六甲山の自然ガイドとして自然に関する仕事を続けていたが、10年に念願だった沖縄に移住した。

 「家探しで最初に見たのが屋我地島の物件だったのですが、ひと目見て島の環境が気に入り、即決しました」と二人は口をそろえる。

 移住当初、大樹さんは自然ガイドとして生計を立てていたが、4年前に養蜂の世界へ足を踏み入れた。

 実は、もともと養蜂に興味を持っていたのは藍子さんのほうだった。移住後、名護市内の養蜂家に弟子入りし、学んでいた。大樹さんも同じ養蜂家に手ほどきを受け、一歩を踏み出した。

 「最初は自然ガイドと両立できるかなと思って始めたんです。でも、とても両立できないことが分かりました」。養蜂は春と秋が繁忙期だが、繁忙期に向けての準備も大切で、一年中、手が抜けないという。

 大樹さんは、養蜂家一本でやっていくことを決意。その時、軌道に乗るまでは不安定な家計を支えようと、藍子さんが海洋観測技術会社に就職し、サポートに回った。

「私も養蜂を学んでいましたが、独立しようという気はまったくなかった。夫の行動力はすごいと思います」との藍子さんの言葉に、「妻は適応力が高い。移住の時もすんなり環境に溶け込んだし、独立したいと言った時も現実的に考えて就職を決め、生活を支える道を選んでくれた」と大樹さんは応える。

周囲の支えに感謝

 養蜂を始めて4年。ようやく軌道に乗り始めたが、大樹さんは「まだ安心できない」と気を引き締める。

 養蜂家には2種類あり、農家に受粉用ミツバチを譲渡するか、ハチミツを作るかに分かれる。台風の襲来などで大きな損害が出るハチミツ作りは不安定なため、県内ではより安定した収入が見込める受粉用ミツバチの栽培に絞る養蜂家が多い。大樹さんのように、両方を行うケースは少ないが、「ハチミツを作れば、皆さんに食べて『おいしい』と言ってもらえる。そのほうが楽しいし、うれしいという感覚でやっています」と魅力を語る。

 藍子さんも「夫は養蜂を始めて、毎日生き生きしています。よかったと思いますね」と頬を緩める。

 二人は、ハチミツ作りを応援してくれる地域の人々や、ともにミツバチに魅せられ独立を後押ししてくれた仲間たちにも「本当に助けられています」と感謝を述べる。

 ことしの2月には、長男の碧(あおい)君も誕生。養蜂の仕事にも、ますます力が入る大樹さんだ。

(日平勝也)



円満の秘訣は?

藍子さん: けんかしたら、普段とは違う環境に行って話す。そうすると、意外と腹を割って話せます。
大樹さん: とにかく話し合うこと。家事や子育て、仕事がどれだけ大変か、お互いの状況を知ること。話しているうちにスッキリすることもあります。

プロフィール

みうら・あいこ: 1977年愛知県出身。民間気象関連会社での勤務、六甲山の自然ガイドを経て、2010年、夫の大樹さんと共に屋我地島へ移住。現在は海洋観測技術会社に勤務しながら夫を支えている

みうら・だいき: 1974年東京都に生まれ、埼玉県で育つ。民間気象情報会社、アウトドア用品メーカーでの勤務を経て、2010年屋我地島に移住。自然ガイドとして活動していたが、4年前に養蜂家へ転身。ブランド名である「おきなわ Bee Happy」の名称は、自然ガイドがきっかけで知り合った仲間たちと立ち上げた「おきなわ Bee Happy Project」に由来

おきなわ Bee Happy
https://www.facebook.com/okinawabeehappypj/
12月16日(土)・17日(日)にナンマムイネイチャーリゾートにて、採れたてのハチミツを味わえる「自然の中で楽しむこの日限りのコースディナー」を開催。詳細は上記フェイスブックページにて



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三浦 藍子さん 三浦 大樹さん
屋我地島内のナンマムイネイチャーリゾート敷地内の養蜂場で、巣箱から巣枠と呼ばれる板を取り出し手に持つ三浦大樹さん。 妻の藍子さんが手にするのは、大樹さんが作った屋我地島産のハチミツ=名護市饒平名 
写真・村山 望
三浦 藍子さん 三浦 大樹さん
自然を愛する2人はアウトドアも大好き=2011年
三浦 藍子さん 三浦 大樹さん
ことしの年賀状。この時、藍子さんのお腹には2月に誕生した碧君がいた
三浦 藍子さん 三浦 大樹さん
三浦さんが作る「おきなわ Bee Happy」のハチミツは、名護市内の飲食店などで販売している。屋我地島内の古民家カフェ「喜色」では、三浦さんのハチミツを使ったパフェやチーズケーキを提供
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