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[No.1621]

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「表紙」2016年05月19日[No.1621]号

父娘日和

父娘日和 7



医療法人 那覇西会 那覇西クリニック 理事長 玉城 信光さん
似顔絵消しゴムはんこ作家 玉城 寿々子さん

異色の分野で輝く

 父は沖縄の乳がん医療の権威、娘は似顔絵消しゴムはんこ作家。玉城信光(のぶみつ)さん(68)と寿々子(すずこ)さん(38)親子は異色の分野で存在力を放つ。信光さんは東京大学卒業後、日本の外科医療の最先端を誇る病院で乳腺外科を修めた。玉城家は親族にもそうそうたる医師を輩出する、いわばエリート一家だが、寿々子さんは「絵が描きたかった」と、家風に染まらず独自の道へ。分野は異なる2人だが、乳がん治療啓発ポスターの制作者として寿々子さんは、父が認めた才能で同じ分野に花を咲かせた。



沖縄の医療を最先端へ

 信光さんは那覇市でたたき上げの商売人の長男として育った。「母は税理士などを望んだが、周りが首里高校へ進学し、医学部を目指す風潮があった」と、友人らの影響を受けて進路を変更する。4人兄弟のうち、次男が店を継ぎ、弟2人も医師の道へ続いた。

 「国費医学生」として東京大学医学部へ進学。沖縄を背負う気概で日本の最高学府に臨んだ学徒は、全国から選び抜かれた同期との差に動じることはなかった。信光さんを驚かせたのは、夏休みの留学から戻った同級生が米国の医科大学の有名教授などに難なく面会してきた事実。その差は、医師の家に生まれた家庭環境にあった。

 「僕らのころは東京へ出るのがやっと。だから子どもたちは高校生の頃から積極的に海外へ出すよう努力した」

 父の夢を長男の研太朗さん(40)が継ぐ。昨年、米国スタンフォード大学留学で習得した乳がんの最先端治療を臨床に生かす。「長男と私の夢は、沖縄の医療を世界レベルへ引き上げること。私の代で成し得ないことも長男へ、若い医師へ託したい」と、次世代の医療をけん引する。

乳がん治療分野を構築

 子どもたちにはできるすべてに挑戦してほしい︱。信光さんが願う背景には、日本の消化器外科のトップクラスにあった埼玉県の藤間病院勤務を途中で打ち切らざるを得なかった自身の体験がある。

 信光さんは、大学卒業と同時に父の海軍仲間の娘であった恵子さんと結婚。25歳、家計に余裕がない研修医の世帯。「妻は家計簿を付けて900円あったら1000円にして貯金するやりくり派」と、夫人の堅実ぶりを語る。

 埼玉県では、外科医療の第一人者といわれた藤間弘行院長の下、「体で覚えろ」という親分肌の伝授法で胃がん・大腸がん・乳がん治療の全てをたたきこまれたという。「研太朗、寿々子が生まれ、10年ほど勤めあげてから戻ろう」と展望したが、父が脳梗塞に倒れたため、道半ばにして帰郷を余儀なくされたのだった。

 帰郷後、県立病院で救急医療に転じるも、藤間病院で培った乳がん治療に活路を求めた。外科の一部として乳腺外来を開き、研修医を引き連れて学会発表で育て上げるうち、信光さんの後には10歳年下の乳がんの専門医が増えたという。



娘の才能を応援

 信光さん夫婦は、帰郷後子宝に恵まれ4男1女に。叔父もほぼ医師という玉城家の男児は自然に医師の道へ。

 「男が4人もいるので医科系と文化系で、それぞれ個性を伸ばしてほしいと思った」

 父の思いを知ってか、幼いころから4人の兄弟を束ねてきたという寿々子さんは、「私は好きなことをやろう」と才能の赴くまま独自路線を取る。

 小学生のころから木版画は受賞するほどの腕前。「似顔絵は、高校在学中から同級生や先生を描いてプレゼントをしていた。初めて描いた似顔絵は同級生の『照屋』。彼の強烈なキャラクターがなかったら今の私はいないというほど、描かずにはいられなかった同級生」と、衝撃のデビューを語る。そして、10年前書店で手にした「消しゴムはんこ」の本。木版画の技術を基盤に得意の似顔絵を彫り込み、「これは、はまるに違いない」と確信する。グラフィックデザイナーと二足のわらじを履くも、消しゴムはんこが本流だ。

 異色の分野にいる寿々子さんを陰ながら応援する信光さん。医師の立場から健康を気遣う父の思いは届いている。

(伊芸久子)



プロフィール

たまき のぶみつ
 1948年石垣生まれ。1966年東京大学理科Ⅲ類入学。1973年卒業の年、父同士が海軍仲間の縁から恵子さんと結婚。勤務先の藤間病院(埼玉県)の藤間弘行氏の下、日本最先端の消化器がん医療、乳がん検診の全てを修める。1979年県立那覇病院で救急医療を経て、専門の乳腺外来を開き、沖縄の乳がん医療を構築。1996年那覇西クリニック、2005年那覇西クリニックまかびを開院。現在、那覇西クリニックは研太朗さんが後を継ぐ。県医師会副会長、県政策参与、日本乳癌学会評議員など歴任

たまき すずこ
  1977年埼玉県生まれ。沖縄尚学高等学校在学中から似顔絵を描き始める。東京家政短期大学を卒業後、県内企業に就職。その時に初めてMacに出合い、グラフィックデザイナーの道を志す。県内広告代理店でデザイナーとしての修行を積み、5年前に独立。趣味で楽しんでいた「消しゴムはんこ」の制作も本格化。本紙「似顔絵消しゴムはんこ うちなぁ顔役」(第4週掲載)を担当。現在は「たまき。の店」の名前でグラフィックデザインと消しゴムはんこで活動中



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玉城 信光さん玉城 寿々子さん
「医師として父の偉大な存在は周囲から伝わるが、私には面白い父です」と、寿々子さん。信光さんは、「似顔絵消しゴムはんこ」の第一人者を目指す娘を異色の才能として評価する=那覇市真嘉比「那覇西クリニックまかび」 
写真・村山望
玉城 信光さん玉城 寿々子さん
4男1女、仲良しこよし 福地ダムにて 1986年ごろ
玉城 信光さん玉城 寿々子さん
今帰仁村の松の木陰で家族旅行のひととき 1986年ごろ
玉城 信光さん玉城 寿々子さん
2013年のピンクリボン(乳がん治療啓発)ポスターを前に。信光さんが寿々子さんに発注した同ポスターは、新聞社主催のコンクール受賞作品
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