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[No.1620]

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「表紙」2016年05月12日[No.1620]号

父娘日和

父娘日和 6



ブルースカイ
代表 安次嶺 勉さん
重村 恵美さん

尽きない空への情熱

 青い空をバックにサンゴ礁の海の上を舞うモーターパラグライダー。パイロットの操縦で高さ200㍍の上空を海風に乗り、海を見下ろす遊覧飛行は、訪れる人たちに感動を与えている。そんな体験を提供しているのが中城村久場の「ブルースカイ」。体験飛行のほか、空中撮影業務やスクールなども展開。空に魅せられた安次嶺勉さん(62)は趣味を仕事にし、人生をエンジョイしている。勉さんを支えるのは、妻の幸子さんと子どもたち。次女の恵美さん(26)も3年前から業務に加わり、父をサポートしながら、本格的な飛行技術の習得を目指している。



空中遊泳の魅力伝えたい

 空を飛び始めてから約40年。勉さんがスカイスポーツに巡り合ったのは20歳のころ。業務用無線機の会社に勤めていた勉さんが出張中に沖縄国際海洋博覧会を訪れた時のことだ。アメリカから来たハンググライダーチームのデモ飛行を見て、「自分も飛んでみたいと思った」と振り返る。ハンググライダーのグループに加わり、那覇市小禄の米軍基地の開放地などで練習を始めた。

 空の世界に魅了され続けた勉さんは、このスポーツを仕事にすることを決意。両親が反対する中、脱サラを決行。夢を応援してくれた妻、幸子さんとともに、1980年に那覇市で喫茶スペースを併設したハンググライダーショップ「ブルースカイ」を始めた。

 しかし、まだ認知度も低い時代。「家賃を払うのも大変」なほど、経営は苦労の連続だった。それでも、喫茶スペースでハンググライダーの映像を流すなど、普及に向けて努力を重ねた。

 1985年ごろになると、日本でもパラグライダーが普及し始める。ハンググライダーに比べ、安全性が高く、手軽に楽しめるため、老若男女問わず幅広い年齢層が利用できるようになった。その後、砂浜などの平地からでも飛べるエンジン付きのモーターパラグライダーも出現。「ブルースカイ」でも採用し始め、より身近に、沖縄ならではのスカイスポーツが楽しめるようになった。

父は憧れで目標

 恵美さんが初めて空を飛んだのは小学校2年生の時。特注の子ども用パラグライダーでの飛行体験だった。幼いころから空を楽しむ父の姿を見てきた恵美さんにとって、父は「憧れで、目標のような存在だった」という。小学生時代の夢は、「周りが花屋さんやケーキ屋さんなどと言う中、自分だけパイロットや宇宙飛行士だった」と笑う。

 短大在学中には留学も経験。卒業後は英語力を生かし、那覇空港の総合受付に就職した。転機は3年前。転職を考え始めた時に、母の幸子さんから「次の仕事が決まるまでサポート業務をやってみない?」と誘いがあった。手伝い始めると、「お客さんと身近に触れ合え、喜ぶ姿を目の当たりし、なんて楽しい仕事なんだろう」と感じたという。体験者の中には、感動し涙を流す人も。「これからも空の魅力を伝えていきたい」と意気込む恵美さんは、接客やすべての英語対応を行い、「ブルースカイ」に欠かせない存在だ。

 現在、一人で本格的に飛べるよう練習に励む恵美さん。何度も飛んでいるが「毎回新鮮で、病みつきになる。窮屈な地上から離れ、空を飛ぶと開放的で穏やかな気持ちになる」とパラグライダーの魅力を語る。勉さんも「風や太陽の角度や海の見え方も違うので毎回楽しい。仕事だけど趣味で飛んでいるような気分」と目を輝かせる。



県内での普及目指す

 恵美さんは「夢を実現することは大変だけど、あきらめないで母とここまで築き上げてきた父は本当にすごいし、尊敬している。この場所を大切にしていきたい」と語る。今後は「現在担当している接客全般に加え、経理や顧客管理など、母の仕事も覚えて、支えていきたい」と向上心を持ち仕事に臨む。

 「空から見る沖縄という別の楽しみ方が広がっていけばいい」と語る勉さん。

 現在6人の孫を持つ勉さんは、孫たちとも一緒に飛んでいる。「孫の中からもパイロットが育って、さらに後継ぎが育ってくれたら」と期待する。妻の幸子さんと、引退後どこに遊びに行こうかと話しているというが、まだまだ空への情熱は尽きない様子。今日もきっと、沖縄の空を舞っているに違いない。

(坂本永通子)



プロフィール

あしみね・つとむ
 1954年生まれ。沖縄市出身。1980年ハンググライダーショップ「ブルースカイ」設立。マイクロライト(超軽量動力機)を沖縄で初導入。1989年パラグライダーを開始。1992年に軽飛行機、1993年にヘリコプターの自家用操縦士免許取得。1993年モーターパラグライダーを開始。2003年車椅子用マイクロライトを考案。1993年モーターパラグライダー全国大会2位、1994年パラグライダー第1回日本選手権6位など受賞歴多数。県ハング・パラグライディング連盟理事。県スポーツ航空連盟会長

しげむら・めぐみ
 1989年生まれ。那覇市出身。小学校2年生の時、特注のパラグライダーで初飛行を体験。2008年コザ高等学校卒業。沖縄キリスト教短期大学入学。在学中、オーストラリアに留学。2012年沖縄キリスト教短期大学卒業。那覇空港総合受付に就職。2013年「ブルースカイ」へ就職。2015年結婚、出産を経て2016年4月復職。サポート業務、外国人受付を担当。

スカイスポーツ プランニング ブルースカイ
中城村久場1943番地
☎ 098-942-3600
http://www.bluesky-okinawa.com/

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安次嶺 勉さん重村 恵美さん
モーターパラグライダー用のエンジン付きプロペラを背負う安次嶺勉さん(左)と次女の恵美さん。上空からはウミガメやエイが見えることもあるという。勉さんはモーターパラグライダーで本島縦断を経験したことも =中城村久場の「ブルースカイ」 
写真・村山望
安次嶺 勉さん重村 恵美さん
東村のパイン園で父の勉さんに肩車をしてもらう小学2年生のころの恵美さん
安次嶺 勉さん重村 恵美さん
モーターパラグライダーに乗る恵美さんと、長男の純さん
安次嶺 勉さん重村 恵美さん
左から勉さん、妻の幸子さん、恵美さん、次男の司さん、長男の純さん。純さんと司さんは勉さんと同じく、パイロットとして活動している。2015年
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