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[No.1617]

  • (金)

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「表紙」2016年04月21日[No.1617]号

父娘日和

父娘日和 3



説法・漫談・民謡ライブ「まさかやぁ〜」
安里 賢次さん 安里 星乃さん

「まさか」の坂を下りて、娘共に歌う

 県内の書店員が選ぶ「2015年沖縄書店大賞」の郷土書部門大賞を受賞した「人生の坂には『まさか』の坂がある」。著者の安里賢次さん(62)は、波乱だった自身の体験から人生を説く言葉を紡ぎ出す。強い者にあこがれた十代、酒を飲み、傷害沙汰を起こす一方で島うたに涙し三線を弾いた。アウトローの世界から身を引いた後、常に連れ添って来た良枝さん(51)や、まな娘の星乃さん(30)と一緒に琉球民謡のライブに立つ。「家族だから父の弱いところばかりを見てきた」という星乃さん。賢次さんが「まさか」の坂を通り越せたのは星乃さんの存在があったからのようだ。



「不良になっても不良品にはなるな」

 「やんちゃだったのは物心付いたころから」と、語る賢次さんは隣近所に同じ年ごろの子どもたちが多くいた環境で育った。遊びともけんかともつかない子どもたちにまみれた時代だった。

 「酒を飲んだ上の男と男の勝負」というけんかの道に突き進む事態は、中学卒業後の集団就職先の靴工場で起こった。 壮絶ないいじめに遭い、追い詰められた果ての刃物沙汰。それはいじめに屈し続けた弱さを払いのけ、強くなりたい気持ちが湧き上がった瞬間だという。

 帰郷後、賢次さんはけんかに明け暮れた。飲食街にはけんか目当てに構えて出かけた。「誰が言ったか、強くなるには実戦が一番だよと。勝てるはずない。毎日ボコボコよ」。

 そんな息子を見かねた母親は泣いた。「おふくろに泣かれて、いじめに遭ったこと、強くなりたいと正直に話した」と賢次さん。話を聞いた母親が息子を連れていった所が、空手の名手の叔父だったという。「ヒンジームンナティン シムシガ、ンジャラーヤ ナテートゥラスナヨー ドーリングヮ(不良になっても、不良品にはなってくれるなよお願いよ)」と、子どものころの賢次さんをさとした母。自身ばかりか周囲を不幸におとしめることはしてくれるなという言葉は今も心に宿る。



アウトローと三線

 「警察でもなぜばかなけんかをするかと聞かれたが、答えは見つからない。俺は決闘したつもりが、相手は一方的に殴られたという」。そう話す賢次さんからうかがえるのは、強い者にあこがれた男気だ。

 そんな男気の琴線に触れたのが三線だった。集団就職先で偶然耳にして以来、アウトローの定まらない心の無聊(ぶりょう)を慰め続けた琉球民謡。賢次さんは三線にのめり込み、奇遇から故・登川誠仁さんに師事した。

 三線を弾く先には、良枝さんとの出会いが待っていた。

 今や県内外に名が知られる「琉球國祭り太鼓」の初代地方(じかた)でもあった賢次さんに、10年ぶりのエイサー復活に泡瀬青年会からも声が掛かった。地元青年会の良枝さんは高校を卒業したばかりでエイサーの人集め役、踊り手であり、後輩からの人気も高かった。エイサーの練習で知り合い、9月に入籍したという。賢次さん31歳、良枝さん19歳の夏のこと。

 「ケン坊さんに怖い印象はなかった」と、出会いを語る良枝さん。アウトローの妻となることにみじんの不安もなかったという良枝さんを、「俺の女房になるべくして生まれた女性。家では女房がリーダー」と語る。結婚から2年目の夏、星乃さんが誕生する。

まな娘とライブへ

 「俺の命」と語るように、賢次さんに宝物が増えた夏だった。働き口のあった兵庫県へ家族ですぐにも向かおうとする賢次さんに、「百日満産祝いまでは沖縄で済ませなさい」と、きょうだいの助言を素直に受け入れた賢次さん。すでに子どもと妻を第一に守る父親である。家族3人、どこへでも連れ立って歩いた。

 「並外れていても、子どものころから普通の父だと思って育った。包み隠さず話してくれて、家族だからこそ知る弱い父でもある。相談・連絡は欠かせない」と、絆の強さを語る星乃さん。

 家庭人である一方、アウトローの世界のしがらみに縛られ、「一旗揚げないかと声がかかり、受け入れてくれる場所へも向かった」と、その世界で頭角を現した時期もあった。

 そして40歳。人生の坂を下りかけたアウトロー。思い悩み山伏の修行に挑み、求めるものの違いに気付かされる。残ったのは、説法と琉球民謡だった。 1994年、琉球民謡のライブハウスを開いた。舞台に立つのはやはり家族3人。星乃さん、良枝さんと歌う賢次さんの島うたはきょうもいい調子だ

(伊芸久子)



プロフィール

あさと けんじ
 1953年那覇市生まれ。10人きょうだいの7番目に生まれる。中学卒業後、千葉県の靴工場へ集団就職。15歳で故・登川誠仁に師事。叔父で空手の名人・比嘉正喜に空手を習う。タクシー、トラックの運転手をするも長続きせずアウトローの道へ。妻・良枝さんとの間に娘の星乃さんに恵まれる。1994年説法・漫談・民謡ライブ「まさかやぁ〜」を開く。著書「人生には『まさか』の坂がある」。登川安里流家元

あさと ほしの
 1986年那覇市生まれ。沖縄大学を中途退学。8歳で地元テレビの開局記念カラオケ大会で優勝し、店を手伝いながら父・母とともに琉球民謡のライブ活動を行う。4月から琉美インターナショナルビューティカレッジへ進学



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安里 賢次さん安里 星乃さん
「俺の命」と語る、まな娘の安里星乃さんと安里賢次さん。自慢の見事な白ひげは、星乃さんの手入れによるもの。星乃さんは、この春からジュエリーデザイナーを目指して進学。賢次さんは入学式の付き添いを楽しみにする =那覇市牧志の「まさかやぁ〜」 
写真・村山望
安里 賢次さん安里 星乃さん
星乃さん1歳のころ。「家庭では子煩悩な父、女房の子分」は今も変わらない
安里 賢次さん安里 星乃さん
「まさかやぁ〜」でのライブの様子。賢次さんの歌三線、良枝さんの太鼓、星乃さんのキーボードであらゆる琉球民謡をカバーする
安里 賢次さん安里 星乃さん
自身を突きとめるため僧になろうと、愛媛県石鎚山で山伏修行に挑んだ40歳
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