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[No.1586]

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「表紙」2015年9月10日[No.1586]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 24

伊舎堂沖縄ファッション學院学院長
沖縄県IMモードデザイナーズ協会会長
伊舎堂 マサ子さん 我如古 吏奈(りな)さん 伊良波 相吏(あいり)さん

夢をパリにつないで

 感性と創造力で衣服を作り出すファッションデザイナー。伊舎堂マサ子さんは、洋裁学校を設立後46年、県ファッション界の中心で活躍する。「伊舎堂式指導法」を構築し、ファッションデザイナーの登竜門を築くとともに、受賞者をパリ国際大会へ派遣して15年になる。長女の吏奈さんはデザイナーを目指すも、母と一線を画したファッションの道を模索しつつ、次女の相吏さんとともにイベントスタッフとしてマサ子さんの頑張りを支えている。



ファッションデザイナーの登竜門を創設

 宮古島の旧伊良部町に生まれた小学3年生の女の子。遊びに行った友達の家のお姉さんがミシンを使って服を仕上げていた。「わあ、すごい」。目を輝かせた女の子は見よう見まねで初めてワンピースを仕立てた。「自分で作ったのよ、と言い回りたいのに言えない。うれしくてそればかり着ていた」と、ファッションデザイナーとしての原体験を語る伊舎堂マサ子さん。

 高校卒業後は、洋服づくりに夢中になるのを見た伯母に、「洋裁学校へ行きなさい」と諭され、その鶴の一声で入学した宮古島の洋裁学校で、白いプリーツのワンピースの作品をこしらえる。それもお気に入りで着続けた。

 デザインすることが好きなのか、縫うことが好きなのか、気付かないうちに伯母が開いてくれたファッションデザイナーの道を本格的に歩むことになった。卒業後、那覇の2つの洋裁学校で学び、さらに上京して織田ファッション専門学園の門をたたいた。同校の恩師はのちに沖縄の若き人材をファッションの都パリへ夢をつなぐ縁をもたらす。ファッションデザイナー誰しも夢見るパリ留学は伊舎堂さん自身の夢でもあった。



縫い目なく、シルエット作る

 伊舎堂さんは、學院の基盤を28歳で築いた。那覇市古波蔵と与儀に前身の学院を設立し、技術指導に乗り出した。「結婚はそのころで、長女の吏奈、次女相吏を出産。娘たちはおなかにいるころから私のセンスを少しは受け取っていると思う」と笑うが、子育てしながら自身の技術を世に打ち出す構えもあっての学校設立である。

 着心地がよい上に、シルエットが美しく、着る人をスマートに見せる服づくりが伊舎堂さんの本流である。「一般に着心地が良い服とは、ダボッとしたフリースタイルのラインに仕立てられがちですが、私は素材、柄を生かして体型を美しく見せるシルエットを追い求めた」

 それは、布にはさみを入れることなくシルエットを作り、ほどくと元の布となる洋裁技術、今に言う「マジックファッション」を、伊舎堂さんは35年前から打ち出している。服のシルエットは、縫い目でかたどるが、伊舎堂さんがデザインしたその服には縫い目がない。つまり、はさみを入れていないということ。

 仕立て前の布の要所に施す独自のワッシャー加工の„くせ取り“、ダーツ、いせ縫い(粗めのミシン縫い)、プリーツの技法で素材を操る。こうした技術はどのデザイナーも持ち合わせていなかった。「ファッションデザイナーとは世に出ていない作品を作り出す人である」が持論だ。伊舎堂さんは、ファッションショーで次々に作品を発表しつつ、若手デザイナーの登竜門として新たなコンクールを創設した。

裏方で活躍する娘たち

 2001年、沖縄サミット1周年と銘打ったファッションショー後、伊舎堂さんに朗報がもたらされる。恩師の織田稔子さんのつてから、主催したファッションコンクールの受賞者を世界のファッションデザイナーが競うパリの国際大会へ直接派遣できるという知らせである。派遣事業は15年となった昨年を節目に、「生活のすべてをファッションに」と提唱する取り組みを新たにする。

 ファッション界の若手育成に本腰を入れる母を向こうにして、長女の吏奈さんは独自に服作りの道を見出していた。高校生として初めて絣ファッションショーに作品を出品。最年少の受賞で注目を浴びる反面、手厳しいファッション界の洗礼をも浴びることに。「母の存在が大きくて、手伝ってもらったといわれた。でも自分なりのデザインで作品を作ることは止めない」と、吏奈さん。デザイン画を得意とする次女の相吏さんとともに、フィッターをはじめ裏方に回ると決意した。マサ子さんのファッションショーを全般的に支えつつ、母と一線を画したファッションとの関わりを模索する。

(伊芸久子)



プロフィール

いしゃどう・まさこ(いらは・まさこ)
1949年旧伊良部町生まれ。1977年こくら洋裁教室・伊舎堂服装学院設立。1980年パリファッション連鎖校となる。ファッションショーの開催、数々のコレクションで受賞を重ね、2000年デザイナーを目指す若手の登竜門として県IMファッションデザイナーコンクール創設。2001年から15年間、同コンクールのグランプリ受賞者をパリ国際大会へ直接派遣した。

がねこ・りな
1980年那覇市生まれ。県立那覇工業高等学校グラフィックデザイン科卒業。幼少時から洋裁に触れ、モデルやスタッフとして母のファッションショーに携わる。學院主催「手作りワールド」にデザイン、制作、自身で着る服を出品し、最年少高校生デザイナーと紹介される。1998年県ファッションデザインコンテスト工芸振興センター理事長賞受賞。副賞として香港視察研修派遣。県IMモードファッションデザインコンクール入賞など。

いらは・あいり
1990年那覇市生まれ。県立真和志高等学校卒業。幼少時から洋裁に触れ、県ファッションデザインコンテスト工芸振興センター理事長賞受賞、吏奈さんと香港研修に参加。ファッションショーの進行、裏方の中心として活動する。



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伊舎堂 マサ子さん
それぞれの作品を背にする伊舎堂さん親子。マサ子さんの最新作は、1枚のスカーフで仕立てた縫い目のないロングベスト(写真左)。次女・相吏さん(写真中央)と長女・吏奈さんの背には高校生のころの絣の受賞作品=那覇市牧志・伊舎堂沖縄ファッション學院 
写真・村山 望
伊舎堂 マサ子さん
學院主催「洋服の日」の手作りワールドで作品を制作・販売。最年少高校生デザイナーとしてメディアでも紹介された吏奈さん。1998年8月9日「洋服の日」の会場で
伊舎堂 マサ子さん
県IMモードファッションデザインコンクールなどで表彰状を授与するマサ子さん
伊舎堂 マサ子さん
吏奈さんと相吏さん共に受賞した共同作品
伊舎堂 マサ子さん
學院に入学したてで、洋裁になじみ始めた小学3年生のころの相吏さん
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