沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1584]

  • (水)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2015年8月27日[No.1584]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 22

Okinawa Jazz Live HousePINO'S PLACE
ボーカル中村 瑠美子さん フルート中村 絵麻さん

亡き父思い、ジャズの世界へ

 那覇市東町の一角で、30年間にわたりジャズの音を響かせ続ける「PINOʼS PLACE(ピノスプレイス)」。シンガーとして活躍する中村瑠美子さん(60)が、今は亡きピアニストの夫、ピノ・アルカヤさんと共にオープンした老舗のライブハウスだ。瑠美子さんとピノさんの娘、中村絵麻さん(22)も、高校2年の時に突然訪れた父の死をきっかけにジャズを意識しはじめ、フルート奏者として同店のステージに立つようになった。「いつかパパを超えるミュージシャンになりたい」と熱い目で語る絵麻さん。その思いを胸に、ジャズへの道を一途に歩んでいる。



突然の夫の死、娘の決意

 日本では数少ないジャズフルート奏者としてプロを目指す中村絵麻さんは、那覇市東町でジャズライブハウス「ピノスプレイス」を営む両親のもとに生まれた。

 母の瑠美子さんは、嘉手納・宜野湾で青春時代を過ごした。ラジオから流れる洋楽に魅せられ、中学時代にバンドで活動。高校卒業後、空港の国際線ターミナルに就職したが、21歳の時、仕事を辞め本格的にボーカルに打ち込むようになった。

 24歳のころ、フィリピン出身のピアニスト、ピノ・アルカヤさんと出会い、デュオでジャズの演奏を開始。やがて2人は結婚し、1984年「ピノスプレイス」をオープンした。29歳で長女、39歳で次女の絵麻さんが生まれ、瑠美子さんはピノさんと幸せな家庭を築いていった。



父が遺した譜面

 瑠美子さんの夫であり、絵麻さんの父であるピノさんは、マニラの名門校、サント・トーマス大学のピアノ専攻科で主席になったほどの才能の持ち主。米軍基地内の音楽大学の講師として来沖し、ホテルの専属ピアニストとしても活躍していた。

 「彼は、もともとクラシックの世界で育った人。だから、(沖縄で仕事として需要が高い)ジャズを始めた時は激しい葛藤があったみたいで、見ていて可哀想でしたね」と瑠美子さん。だが、やがてピノさんは、音楽的素質を生かし、ジャズピアニストとしての腕をめきめき上げていく。

 その傍ら、ジャズの曲の構造やコード進行にクラシック出身ならではの深い興味と関心を持ち続け、独自のアレンジを施した譜面を数多く記し続けた。その数は1000曲近くにも及ぶという。

 絵麻さんがジャズに目覚めたきっかけは、この譜面の存在だ。

 ピノさんは優しい父親で、家には音楽があふれていた。絵麻さんも4歳からピアノ、8歳からフルートを始めたが、ピノさんが練習や自身の音楽的理想を押し付けることは決してなかった。中学・高校と吹奏楽部でフルートに打ち込む絵麻さんを、ピノさんは「偉いね、頑張っているね」と無条件で応援してくれたという。

 絵麻さん自身も、幼少期からジャズに触れてはいたものの、特別な音楽として意識したことはなかった、と振り返る。

 だが絵麻さんが高校2年の時に、ピノさんは突然他界。がんの診断を受けてからわずか3週間後、64歳の若さでの死に、遺された家族はただ呆然とするしかなかった。

 瑠美子さんは、遺品となった楽譜の整理を絵麻さんに任せた。「譜面を見て、パパと一緒にジャズについて話したことがなかったな、という思いにとらわれたんです」(絵麻さん)

 その時「パパにジャズのことを教えてもらいたかった」という気持ちが湧き上がり、はじめてジャズを意識するようになった、と話す。

深まった母との絆

 父が打ち込んだジャズに、一途に向かい合うようになった絵麻さん。現在は、琉球大学に籍を置きつつ「ピノスプレイス」で母を支え、バンドの手配や連絡の役割を担いながら、ステージに立ちフルートを演奏する。  「お店を手伝ってくれるようになってから、絵麻がある時『ママ、今まで大変だったね』とポツリと漏らしたんですよ」と瑠美子さんは頬をゆるめる。ジャズを通して、母との絆も深まった。

 「パパはすごかったけれど、いつかパパを超えるミュージシャンになりたい」。そう語る絵麻さんの目は、世界へと向けられている。昨年、旅行で訪れたニューヨークのジャズ文化に衝撃を受けた絵麻さんは、大学を休学してアルバイトで資金をため、8月から3カ月間のニューヨーク滞在に旅立った。世界に向けて羽ばたいていく娘の姿を、母は沖縄のライブハウスで温かく見守っている。

(日平勝也)



プロフィール

なかむら・るみこ
1955年生まれ。21歳から本格的にボーカルを始める。24歳のころ、ピアニストの夫、故ピノ・アルカヤさんと出会い、ジャズのナンバーを歌うようになる。1984年、ピノさんと共に那覇市にジャズライブハウス 「ピノスプレイス」をオープンし、現在まで営業を続けている

なかむら・えま
1993年生まれ。4歳からピアノ、8歳からフルートを習い始める。中学、高校と吹奏楽部に所属し、フルート独奏金賞、全国大会出場などの功績を収める。父の死を契機にジャズに興味を持つようになり、プロのジャズフルート奏者を志す。現在は琉球大学法文学部国際言語文化学科に籍を置き、「ピノスプレイス」を中心に活動を展開。今年8月から3カ月、本場のジャズを吸収すべくニューヨークに滞在

●ピノスプレイス
那覇市東町11-12 清州ビル1F
営業時間:21時〜翌3時
☎ 098(868)4084


このエントリーをはてなブックマークに追加



中村 瑠美子さん フルート中村 絵麻さん
那覇市東町の「ピノスプレイス」のステージに立つ中村瑠美子さん(左)と娘の中村絵麻さん。同店は、瑠美子さんがピアニストの夫、故ピノ・アルカヤさんと1984年に立ち上げたジャズライブハウスだ
写真・村山 望
中村 瑠美子さん フルート中村 絵麻さん
絵麻さんが小学校高学年のころ、両親が出演したホテルでのクリスマスディナーショーの後で
中村 瑠美子さん フルート中村 絵麻さん
ピノさんが遺した譜面。独自のアレンジを施したジャズのナンバーが丁寧な筆致で書かれており、周囲の人々からも「これは大きな財産」と賞賛されるという
中村 瑠美子さん フルート中村 絵麻さん
ピノさんは、23年前のレキオ表紙に登場したことも。見出しに「私、沖縄に来てラッキー。いつも仕事あるし、奥さん美人」というピノさんの言葉が紹介されている
>> [No.1584]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>