沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1583]

  • (土)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2015年8月20日[No.1583]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 21

日本舞踊若柳流・若美会
会主 若柳 美之介さん  若柳 愛美さん

日本舞踊に魅せられて

 5歳で琉球舞踊、7歳から日本舞踊を始めた若柳美之介さん(72)。今年で芸歴は67年になる。12歳で上京、日本舞踊の5大流派の一つ、若柳流の師匠の内弟子となってからは、日本舞踊の道一筋に歩んできた。伝統舞踊といえば、琉球舞踊が主流の沖縄で、日本舞踊の普及にまい進している。自身の道場の他に、カルチャースクールなどでも指導し、舞台なども精力的にこなしている。次女の愛美(あいみ)さん(31)もそんな母の背中を追う。4歳で日舞を始め、芸歴はすでに27年。親子共演でも注目を集める2人は、日本舞踊の魅力を発信し続けている。



芸の道一筋に 親子でまい進

 長唄や三味線などに合わせて優雅に舞うものから、荒々しい踊り、こっけいな芝居物までさまざまな魅力を持つ日本舞踊。その5大流派の一つ、若柳流は、日本舞踊の中でも振りが多く、品格を大切にしているのが特徴といわれる。

 若柳美之介さんは、5歳で琉球舞踊を始め、7歳からは 日本舞踊も習い始めたー。

 12歳の時、東京芸術祭の「沖縄の踊り」に子役として参加するために上京し、そのまま若柳吉元美(きちもとみ)氏の内弟子となってからは日本舞踊に専念。姿勢や目線、所作が全く違う琉球舞踊は今では踊れないという。

 修行は厳しかったが「人間関係ではやめたいと思ったことはありますが、踊りをやめたいと思ったことはありませんでした」と美之助さん。「日本舞踊は私の体の一部。理屈ではなく、三味線の音を聞くと鳥肌が立つぐらい好き」とその魅力を話す。



日本舞踊の門戸を開く

 東京で知り合った放送局勤務の中田英利さんと21歳で結婚。一男二女を出産した。英利さんの転勤で長野や神奈川などを転々とした後、1985年に帰沖。その後、教室を開設し、日本舞踊の普及に努めてきた。現在、下は小学校1年生から上は82歳までの弟子がいる。自身の教室の他、カルチャースクールなどでも指導し門戸を広げている。

 次女の愛美さんは4歳から日本舞踊を始めた。修練の厳しさを身をもって知っている美之介さんは、子どもたちを同じ道に進ませようとは思っていなかった。しかし、幼い愛美さんは母の踊る姿を見て「『愛も踊る、愛も踊る!』と大騒ぎしたんです」と美之介さんは笑う。本当に踊りたいのであればと、指導を始める決意をした。稽古は厳しかった。弟子の稽古を優先するため、美之介さんが内弟子時代に教わったように、愛美さんには「見て覚えなさい」と言い続けた。

 ここまで続けてこられたのは何よりも「舞台に出るのが好きなんです」と言う愛美さん。「舞台の緊張感や楽屋の雰囲気、皆さんと一緒に踊ることが楽しくて」とほほ笑む。2003年からは毎月1回東京に行き、踊りだけでなく、掃除、化粧、三味線などを学んだ。2005年には師範の試験にも合格した。今後、子どもたちに日本舞踊の楽しさを教えたいという希望を持っている。

 母と同じ道に進んだ娘は「踊りだけではなく、皆さんの上に立って引っ張っているのはすごいと思います」と尊敬の念を抱く。母は「娘は踊りも、先生としてもまだまだですが、素質はあります」そして「誰よりも一番私の言いたいことを分かっている」と一番近くで見てきた娘に対して期待を寄せる。

親子3代で共演も

 愛美さんの長男の匠君(9歳)と次男の秋羽君(7歳)は美之介さんが稽古をつけている。親子3代共演も果たした。

 愛美さんにはやりたいことがある。昨年匠君が美之介さんと演じた『団十郎娘』を今度は秋羽君に演じさせること。そして、『弁慶』で匠君と共演し、牛若丸役を挑戦させること。「刀を持つ役を喜ぶんじゃないかなと思って」と目を輝かせる。

 一方、美之介さんは、国立劇場おきなわで来年5月に開催予定の発表会の成功を次の目標に見据えている。企画・構成から携わり「大規模な公演になるので、頑張らないと」と話す。

 美之介さんは「日本舞踊界も高齢化が進んでいるので、若い人を育てないといけないという危機感はあります」と話す。「踊りは舞台に出て初めて上手になる」という美之介さんは、自身が主催する若美会の勉強会を毎年開催。コンクールの開催にも携わり、発展・普及に尽力している。これからも、親子2人、日本舞踊を一人でも多くの観客の心に届けていくため、芸の道を歩んでいく。

(坂本永通子)



プロフィール

わかやぎ・みのすけ
 本名・中田尚子。1943年那覇市生まれ。5歳から琉球舞踊を始める。1949年から1955年まで乙姫劇団の初代子役として活躍。7歳から日本舞踊に入門。12歳で上京し、内弟子となる。1985年に帰沖。2014年には、芸歴65周年記念発表会を国立劇場おきなわで開催。2015年、日本舞踊界からは初の沖縄芸能連盟の功労者表彰を受けた。1956年、1957年東京新聞社主催コンクール「日舞の部」入選、日本舞踊協会奨励賞をはじめ受賞歴多数。現在、沖縄日本舞踊協会会長。1男2女と5人の孫に恵まれた。

わかやぎ・あいみ
 本名・中田愛。1984年那覇市生まれ。神奈川県藤沢市で1歳半まで育つ。父親の転勤に伴い沖縄に移住。4歳で日本舞踊を始め、5歳で初舞台を踏む。2年間の研修を経て、2005年に20歳で若柳流の師範となる。21歳で結婚。2児の母でもある。



このエントリーをはてなブックマークに追加



日本舞踊若柳流
稽古中の若柳美之介さん(右)と次女の愛美さん。沖縄日本舞踊協会長も務める美之介さんは自身の教室の他、カルチャースクールでも日本舞踊を教えている=那覇市大道、若美会 若柳美之介日本舞踊教室  
写真・村山 望
日本舞踊若柳流
「団十郎娘」を踊る美之介さん(左)と愛美さん。愛美さんが8歳のとき(東京・千代田区の国立劇場)
日本舞踊若柳流
美之介さんと孫の中田匠君による「団十郎娘」。匠くんが7歳のとき(浦添市勢理客・国立劇場おきなわ)
日本舞踊若柳流
美之介さんの道場で稽古をする美之介さんと愛美さん(那覇市大道・若美会 若柳美之介日本舞踊教室)
>> [No.1583]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>