沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1576]

  • (金)

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「表紙」2015年07月2日[No.1576]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 14

ホテルサンパレス球陽館
取締役専務 金城 幸子さん 金城 良子さん

ウトゥイムチの心 脈々と

 1948年、那覇市松尾に木造平屋建てから始まったホテル「球陽館」。それから8年後、久茂地に移転し、3階建ての鉄筋コンクリートを建築した。その後、「ホテルサンパレス球陽館」に改名し、地上9階建てへと成長していった。戦後第1号として誕生した老舗ホテルだ。

 初代の父・塩浜康盛氏の跡を継ぎ現在、取締役専務を務める金城幸子さん(75)。その母の背中を見て育った娘の良子さん(42)は、フロントで多くの旅行者を迎える。ファミリー経営だからこそできるきめ細かな「ウトゥイムチ」(おもてなし)で、快適な沖縄の旅を提供する。



天性のチャレンジ精神で道開く

 レンガ張りの外観とベランダに植裁された緑のカーテンが美しく街に溶け込む「ホテルサンパレス球陽館」は、今年で創業67年目を迎える。沖縄のアンマー料理が味わえるホテルのレストランは、宿泊客のみならず、地元のビジネスマンからも評判だ。取締役専務を務める幸子さんは、レストランの食材の買い出しからイベントの企画、ホテル内の装飾まで幅広く手掛け「女将(おかみ)」の愛称で親しまれている。

 家業に就いた幸子さんだが、もともとはデザイナーを目指し、沖縄でモデルやスタイリストの仕事をしていた。息子がいないことから父から幸子さんに「ホテルを継がないか」と打診され、「何でもやってみないと分からない」と天性のチャレンジ精神で急きょ、ホテル業界へ方向転換した。さっそくホテルの運営に不可欠な居・食・住をもとに料理や簿記、語学、生け花などを学んだ。

 それから観光業を学ぶため、リゾート地として先進のハワイへ女一人、飛び立った。

 そこで目にしたのが、ホテルに設けられたレストラン会場だった。今では当たり前だが、当時は従業員が部屋に料理を運んでくる時代だったという。沖縄に戻ると、ほかに先駆けてホテル内にレストラン会場を造った。

 メニューは、「沖縄の味もお土産にしてほしい」という思いから、地元の食材を使った沖縄料理を提供した。さらに館内には、沖縄工芸作家の作品を展示したり季節を感じる装飾を施すなど、ホテルでゆっくりとくつろぎたいという客のニーズにも応えた。

 旅行者の気持ちに寄り添ったきめ細かなサービスが喜ばれ、次の予約まで取っていく客も多い。



母譲りのフットワーク

 娘の良子さんは、幸子さんが33歳のときに生まれた。幸子さんと同じ4番目の末っ子で、フットワークの良さは母親譲りだという。幼少期は忙しい母に代わり、祖母が面倒を見た。

 「日中は仕事で家にいない母だったので、学校の帰りはホテルに寄るのが日課でしたね。きょうだいの中で、ホテルの仕事に接する時間は多かった」

 母の背中を見て育った良子さんだったが、ホテルに入社するまでは、アメリカの大学でITを専攻し、県外で会社員やアパレルなどの仕事をしていた時期もあった。

 「母は自分で責任を持ってやるならと後押ししてくれた。沖縄から離れていた10数年間で視野が広がり、いい経験になった」

 幸子さんは「時代や客のニーズに合わせ、ホテルは変化していく。スタイリストの経験が装飾などで生かされたように、やってきたことは後で必ず役に立つ」とアドバイスしたという。

 現在、ホテルの玄関口であるフロントで海外からの旅行者をもてなす良子さんは、外国で鍛えられた語学力やインターネットを駆使した集客など、これまでの経験を生かしている。

30年後目標にまい進

 良子さんにとって幸子さんは、個性とバイタリティーがある人だという。

 「母が培ってきた人脈やセンス、パワーは超えることはできないけれど、これからの30年で母に近づいていこうと思う」

 それに対し幸子さんは、「自分のキャラクターを出して、時代に合った新しいやり方で自分のスタイルをつくっていけばいい」と諭す。

 温かいおもてなしで旅行者に安らぎを与えてきた母の背中を、良子さんが追いかける。女将の心は、脈々と娘へ受け継がれていくのだろう。

(当山絵理加)



プロフィール

きんじょう・さちこ
1940年、横浜市生まれ。1964年「観光ホテル球陽館」に入社。現在、「ホテルサンパレス球陽館」取締役専務を務め、営業企画を担当する。沖縄をテーマにした「響き合う食卓展」を15年間続け、若い人材に発表の場を提供した。地元に根ざし環境に優しいロハススタイルのホテルを目指す。「おもてなしの原点は女将の心」をテーマにしている

きんじょう・りょうこ
 1973年、那覇市生まれ。短期大学卒業後、アメリカへ留学。10年間、東京での就職を経て、県費で香港理工大学大学院ホテルマネジメント学部に留学。現在、ホテルサンパレス球陽館に勤務する

「生誕100年 ターシャ・テューダー展」
ホテルサンパレス球陽館にて開催
期間:7月20日(月)〜31日(金)
開場:10:00〜20:00(最終日は17:00まで)
※前売券販売中 ☎098-863-4181(ホテル)



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ホテルサンパレス球陽館
ホテルのフロントでインバウンド(訪日外国人)を担当する金城良子さん(左)に、仕事のアドバイスをする取締役専務で母親の金城幸子さん(右)。良子さんにとって幸子さんは職場では女将さんだ=那覇市のホテルサンパレス球陽館 
写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)
ホテルサンパレス球陽館
幸子さんの一日は、農連市場に通い、レストランで使う新鮮な食材を仕入れることから始まる
ホテルサンパレス球陽館
20代前半のモデル時代の幸子さん。ファッションショーや雑誌のモデルを務めた
ホテルサンパレス球陽館
良子さん(左)と幸子さん(右)の上海旅行。外の世界を見ることの大切さは創業者の教えだったという
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