沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1574]

  • (水)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2015年06月18日[No.1574]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 12

マドンナ 代表取締役 社長 山内 光子さん
YOKANG(ヨーカン) デザイナー 山内 カンナさん

衣服への夢 追い求め

 琉球の先人から受け継がれた織物や染物を取り入れた服飾デザインをいち早く提案し、ファッションの世界に新風を吹き込んだ山内光子さん(68)。娘の山内カンナさん(41)も、母と同じ服飾デザイナーの道を歩み、伝統的な紅型の文様を斬新な感覚で用いた衣服で、若い世代を中心に支持を集める。そんなカンナさんだが、かつてファッションとは別の世界に身を置こうとし、挫折した経験があるという。その時、光子さんに「本当に向いているものを見つけなさい」と自分を見つめ直す機会をもらったことで現在の自分がある、とカンナさんは振り返る。



個性伸ばしてくれた母

 山内光子さんは、国頭村の辺野喜で育った。時は戦後間もない貧しい時代。生活は苦しかったが、光子さんの心には、物心ついたころからファッションへの憧れが芽生えていた。当時、家の裏に小学校の女の先生が下宿しており、ミシンで手製の洋服を作っていた。ミシンの音が聞こえると、先生の部屋に飛んでいき、使い方を習った。

 6人きょうだいの長女として育った光子さんは、幼い弟や妹のためにも、自分が仕事をして稼がなければならないという思いがあった。先生のミシンで練習を積んでいた光子さんは、小学校5年生の時、那覇の親戚から、古着をほどいて洋服に仕立て直すという仕事を引き受ける。

 「ドレスの原型は手で測って覚えました。それを新聞紙に写して型を起こすと、きれいにドレスが縫えたんですよ」。光子さんのドレスは評判を呼び、米軍関係者からオファーが来るまでになった。

 その後、光子さんは親戚が営む飲食店で働きながら数々の服飾学校で学ぶ。海外への憧れが強く、青年海外協力隊に応募し海を渡ろうとするも、肋膜(ろくまく)炎にかかり断念。しばらくして結婚し、長男を出産する。1969年、23歳で「ファッションルームマドンナ」を設立し、琉球の織物や染物を素材とした衣服を世に送り出していった。



学校と衝突した高校時代

 山内カンナさんは、光子さんが27歳の時に生まれた、3人きょうだいの末っ子。幼いころから光子さんに「これから何があるか分からない時代になるから、手に職をつけなさい。自分のことは自分でしなさい」と言われて育った。

 「子どもには自分の個性を伸ばしてほしい」という光子さんの望み通り、個性的な子どもに成長していったカンナさん。だが、高校生の時には、奇抜なファッションなどが理由で学校側と衝突したこともあったという。

 その時、光子さんは「学校に合わないなら退学させてください。でも、個性を見出してくれるのも学校ではないですか?」と意見した。その言葉がきっかけで、学校側もカンナさんの個性を尊重するようになり、カンナさんは文化祭でファッションショーを企画するなど実力を発揮。先生からも認められ、成績も上がった。



娘への助言

 高校を卒業したカンナさんはツアー添乗員を目指し、専門学校に進学。順調に旅行会社に就職するが、ここでもファッションが原因でつまづきを経験する。

 「当時の旅行業界の添乗員は、紺のブレザーが絶対という雰囲気。気が付くと休日に遊びに着ていく洋服もなくなっていて『自分はこんな格好で楽しいんだろうか?』と悲しくなったんです」。結局、カンナさんは、旅行会社を退職した。

 留学先のフランスで娘の退職を伝え聞いた光子さんは、カンナさんをフランスに呼び寄せた。旅行気分で母のもとを訪れた娘に、光子さんは「私にはこうなることは分かっていた。あなたからファッションを取ったら何が残るの?」と言い、「フランスで本当に自分が何に向いているか見つけなさい」と助言した。

 「あの時、母がフランスに呼んでくれなかったら、今の私はなかったと思います」。ファッションへの熱い思いを確認したカンナさんは、服飾デザイナーの道を歩むことを決意した。 帰国後、紅型の要素を大胆に取り入れた衣服が注目を集め、県内外のコンテストでグランプリを多数受賞。2000年には夫の田仲洋さんと共にブランド「YOKANG(ヨーカン)」を立ち上げ、活躍を続けている。

 「母がすごいのは、いつも先のことを夢見ているところ」。ファッションに人生をささげた母と娘の見る夢は、これからも美しい衣服を紡ぎだしていくだろう。

(日平勝也)



プロフィール

やまうち・みつこ
1946年生まれ。株式会社マドンナ代表取締役社長。国頭村辺野喜で6人きょうだいの長女として育つ。すみれ服装学院、マミフラワーデザイン、田中千代立体課、シャロンド・シャポー制帽子課など数々の服飾学校で学び、1969年ファッションルームマドンナを設立。89年に県技術アドバイザーに任命され、県外、海外14カ国で染織りファッションをアピール。その傍ら、県人材育成財団研究員としてエコール・ド・シャンブル・サンディカル・ド・ラ・クチュール・パリジェンヌを卒業。現在まで情熱的な姿勢で、斬新なファッションを次々生み出し続けている。

やまうち・かんな
1973年生まれ。服飾ブランドYOKANG(ヨーカン)デザイナー。1年間のフランス留学を経て沖縄で服飾を学び、県内外のコンテストでグランプリを多数受賞。2000年に夫の田仲洋さんと共にブランドYOKANGを設立。紅型の要素を大胆に取り入れた服飾デザインが人気を集めている。



このエントリーをはてなブックマークに追加



山内 光子さん山内 カンナさん
ラッキーカラーのオレンジ、緑の印象的なファッションに身を包む山内光子さん(右)、山内カンナさん=那覇市古波蔵、株式会社マドンナ社屋・パリパナアーチビル2階YOKANG
写真・村山 望

山内 光子さん山内 カンナさん
2010年、中国でのYOKANGのファッションショー
山内 光子さん山内 カンナさん
2012年12月、那覇市前島の沖縄かりゆしアーバンリゾートで行われたマドンナのファションショー
山内 光子さん山内 カンナさん
琉球新報の取材を受ける2007年当時の山内カンナさん(左)、2010年当時の山内光子さん(右)。生地に囲まれて育ったカンナさんは「今になっても生地に触れるとワクワクします」と笑う
>> [No.1574]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>