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[No.1870]

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「ワシントコポスト」2021年03月11日[No.1870]号

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介護現場で思ったこと

 1月21日付「島ネタCHOSA班」を読んで、ボロボロ、ジョロジョロ、涙がとめどなく流れてしまいました。なぜかよく分かりませんが、たぶん年老いても「やりたい!」と思ったことをやってあげる、やらせてあげることに、たまらない感動があったのだと思います。

 私は「手伝ってくれない?」の言葉に首を縦に振り、パートとして介護に関わりだして10年になります。お年寄りを知る中で、こういうことをやってあげたいと思いつつ、亡くなられて送り出して、また次の人がやってくるの繰り返しで。

辞めたい。もう辞めよう! でも辞める前にこれまで関わった人を自分の中で記録してみようと思い、面白い不思議な体験を書いて、さー辞めるぞ! と思っているところにコロナ、コロナ、自粛、自粛で緊張走る介護現場。私より先に、本当にすてきな関わりをしている人が黙って辞めてしまう現実です。

 辞められなくなっています、というか書いているうちにお一人お一人が愛しくてたまらなくなったのです。介護に関わる人が辞めないで続けてくれたらという思いと、人って面白いんだよ、「ありがとう」の言葉をもらって成長できるよ! と若い人たちに伝えたい気持ちでいっぱいです。

(那覇市 カヲルのまご)

(編コメ)島ネタCHOSA班「デイサービス施設がスナックに!?」は、多くの方から反響がありました。介護の現場は想像以上に大変だと思います。この思いが若い人たちにも伝わりますように。

厄年について

 2月4日付に掲載されていた、もぐもぐタイムさんの「厄年、信じますか?」について。ずばり私は信じていません! というより私も以前までは「悪い事が起きたらどうしよう…」と考えるタイプでした。

 しかし、よく考えてみたら私が人生の大ピンチのときは全て厄年ではなかったのです。それからはまったく信じなくなりました。しかも内地での厄年と沖縄の厄年とではまったく年齢が違うし、どれが厄年なのかも私には不明です(笑)。

 厄年だろうが何だろうが、災いは生きていれば何かしらあるだろうし、気を付けるべきことは毎年同じだと私は思います。

 これから年齢が上がるにつれ、何かしらの病気にかかる確率は上がってきます。でも病気にならないために、食事に気を付ける、適度な運動をする、ストレスをためない、睡眠をしっかりとるなど基本的な生活を見直し、予防すること。事故に遭わないために時間と心に余裕を持って行動するなどです。「まくぅとぅそーけーなんくるないさー」です!

 それとこんな言葉があります。「災い転じて福となす」。この言葉、すごくポジティブになれますよね。私も今まで遭ってきたつらい事がこの言葉によってとても救われています。これから私には福しかやってこないのだ! と。

 だから今年生まれ年というもぐもぐタイムさんも大丈夫です! 今年も皆さんが健康で幸せに過ごせますように祈っています。

(西原町 ドラえもん)

(編コメ)「まくぅとぅそーけーなんくるないさー」=正しい事、真(誠)の事をすれば何とかなる、という意味ですね。ドラえもんさんのように、常日頃からの心掛けは大切です。

憧れの秘密基地

 50年前に建てられた離れの8坪の部屋を秘密基地に求めました。コロナ禍中で約1年になろうとするときにひらめきました。椅子3席、小ぶりのテーブル、引き出しダンスの古物のみセット。電気、水道、ガスなし、窓3カ所あるのみ。

 壁は張り紙で補正し、私流にソーシャルディスタンスを守り、一日一名さま。窓を開け、一時間のみ、コミュニケーションを取る。秘密基地をオープンして約一カ月で、現在10名さまをお招きしました。

 70代に突入したときに、好きな空間で自己流の習字、塗り絵、昔習った草月流の生け花をし、子どものころ得意だったフラフープはわれながら自信あり。続けていますよ。

 皆さんも長い挑戦になる期間を大事に、思い出になるような発想をしてほしいと思っています。ワクチンの期待と現在も医療現場で働いている方、施設で頑張っている方に感謝しつつ、終息することを日々願っております。

(豊見城市 つねちゃん)

(編コメ)離れに秘密基地とはうらやましい! お客さまを招いたり、一人で好きなことをしたりと、とても有意義な時間を過ごしているご様子。このご時世だからこその楽しみを、いろいろ考えてみるのもいいかもしれませんね。

いつもの会話

 友人T「旦那と運動公園でウオーキングしていたらさ〜、プロ野球のキャンプしていたわけさ〜。何ハムだったかな…?」

 友人D「オキハム?」

 友人T「オキハム⁇」

 友人M「・・・・・・・⁇」

 それ! 日ハムでしょ! みんなで爆笑。なんでも笑いになるウチナーンチュ。これが模合仲間のいつもの会話。楽しいさ〜。

(沖縄市 ガージュー・がじゅみ)

(編コメ)やっぱり、ウチナーンチュ。ハムといえば「オキハム」が頭に浮かぶんですね(笑)。

古着買取り店にて

 衣替えをして断捨離する服が、大きめの手提げ袋2つ分出ました。古着買取店に持ち込むにも、一度に全部は多いかなと思い1袋分を最寄りのA店に持ち込みました。

 週末だったので思った通り、買取り担当スタッフが随分と忙しそうでした。「買取り査定終了」のアナウンスでカウンターに向かうと「全て買取り不可」でした。それは構いませんが、一応マナーだろうと思い畳んで袋に入れた服は、床にじか置きの薄い大きめのビニール袋に無造作に投げ捨てられたような状態で入れられていて、ゴミ扱い? と衝撃を受けました。

 別の週末に残りの半分をB店に、同じ手提げ袋に同じように服を畳んで入れて持ち込みました。そのお店も買取りカウンターは混んでいてスタッフも忙しそうでしたが、強いて言えばギスギス感がなかったように感じました。持ち込みの古着状態は同じ程度だと思いますが、基準が違うのか全て買取り対象でした。何よりも服の取り扱いがまったく違っていて「ここに持ち込んで良かったな」と感じました。

 持ち込んだ服は買取り対象となったから、カウンターの上で畳まれていただけかもしれません。そして買取り後に商品にできない服は廃棄されるのでしょう。でも、それはお店の中のことなので、もう持ち込んだ私の手から離れた話です。

 見えるところで乱暴な扱いをするお店と、丁寧に扱うお店とでは、買取り有無の結果が同じだったとしても印象は真逆なままで変わらないと思います。手間でもその一手間で大差が出ることを体験して、まさしくこれが人の振り見てわが振り直せだと肝に命じた出来事でした。

(北中城村 さくら)

(編コメ)もう着ない服だとしても、投げ捨てられたような状態を見たら悲しくなると思いますし、本当に残念な気持ちにもなるでしょう。店員さんの態度でも印象はだいぶ違ってくるでしょうね。

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