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[No.1731]

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「ワシントコポスト」2018年06月28日[No.1731]号

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美しく整えた食卓 

 私は貧乏人の子だくさんの家に育ちました。食事のときはそろっていない食器や欠けた食器を使うことも普通でした。
 長じて海外旅行もできるようになり、食卓にテーブルクロスやランチョンマットを敷く文化があることを知り憧れました。
 家庭を持つと食卓を美しく整えることが楽しみになりました。先日、娘と食事をしていると、娘に「お母さん、私はテーブルコーディネートをするのが普通だと思っていたけど、そうでもないのね。食卓をいつもきれいにして、私を育ててくれてありがとう」と言われました。
 貧しかった日々は不幸ではなかったけれど、胸がつまり、テーブル周りに気を付けて暮らしてきたことが報われた気がしました。

(那覇市 すみれ)

(編コメ)娘さんの言葉に、いろいろなことがよみがえったのですね。親としてとてもうれしい言葉だと思います。美しく整えた食卓で食事をする豊かな時間。これからも楽しんでくださいね。

家族のみんな、ありがとう

 私は1歳の誕生日を迎える前に、家族の一人として迎えられました。当然、実の両親やきょうだいの顔は分かりません。
 迎えてくれた当時のメンバーは両親、長男、長女、次男。私(次女)を加えて6人家族となり、いつも大にぎわいでした。現在は定年退職した両親と私の3人で楽しく過ごしています。
 月日のたつのは早いもので、長男は環境調査エンジニアで今年実家の近くに住宅を新築し、甘えん坊の娘もいて親子3人で暮らしています。嫁いでもいない私が言うのもなんですが、早く私たちのようにきょうだいを増やしてあげればいいのにと常々思っています。
 当時、私にいつもちょっかいを出していた問題児の次男も大学を卒業し、機械設計エンジニアとして福岡を拠点に海外や全国を飛び回り活躍しています。今年女の子が誕生し、こいつもやっと一人前になったと両親とともに喜んでいます。
 長女もイケメンの夫と結婚し、隣町に住んでいて今年8月に待望の男の子を出産予定です。きょうだいそれぞれの子ども(私からはおい、めい)が誕生し、これからは以前よりますますにぎやかになるだろうと期待しています。
 私は生涯嫁がずに両親と静かに余生を過ごそうと決めていましたが、体質的に他の人よりも何倍も早く老化することが分かりました。そのせいか、このごろ体調があまりかんばしくなく、大好きな散歩も控えています。
 私の体調を心配して、久々に家族全員が集合し、私が家族として迎えられたころの写真を見ながら楽しい時間を過ごしました。みんなが集まってくれたことで、私も少し役に立ったのかとうれしくなりました。
 まだまだみんなとおしゃべりしていたいのですが、久しぶりに家族の元気な声を聞きましたので安心して一足先に眠ります。こんなわがまま娘ですが、17年間いつも優しくしてくれて、家族のみんなありがとう。

(嘉手納町 チャッピー)

(編コメ)3年前に「家族にありがとう」で投稿してくれた散歩の好きなチャッピーさんですね? 確かチキンも大好きだったワンちゃんですよね? 久しぶりに家族全員集まって、楽しいひとときを過ごせてよかったですね。

「映画の思い出」を読んで

 6月7日付の「映画の思い出」を読んで、思わず「そうそう! あんやたんや〜」とうなずいてしまいました! 昔は2本立てでしたね。
 入れ替え制になり、1本だけの上映になったときには「あ〜もったいない」と思ったのは、私だけではないでしょう。年を重ねた今では、1本で十分なんですけどねー。
 学生時代に、よく通った国映館やグランドオリオン…。青春時代の思い出がいっぱいあります。グランドオリオンには猫がいて、舞台によく上がってきていました。ときどき、映画より猫が気になったりもしました。
 ある混んでいる日のこと。上映が終わってホールに出るとき、前を歩いている人たちがなかなか前に進まないので、そばのドアを開けたら通路に出るのでは? と鍵を勝手に開けてドアを開けたら、外だったのでびっくりしたことがありました! 上映している場所と、外が壁1枚で仕切られていたなんて。時代ですねー。
 桜坂劇場が、様変わりしながらも頑張ってくれていることがうれしいです。

(那覇市 島ないちゃー)

(編コメ)2本立て、懐かしいです。それにしても猫が舞台に上がってきたり、観客席があるところからすぐ外へ出られるドアがあったりと驚くことがあったんですね〜。今では考えられません。そういえば桜坂劇場周辺には結構、猫がいますよね。

聞き違い?

 30年前ぐらいに、友だちとプールに行ったときのこと。チューバーフーナーして(強がって)3メートルはあったか定かではないのですが、高いところにある飛び込み台から下のプールへ頭から飛び込みました。
 そのときに、ぷしゅうーっと音がして痛みが走りました。それは左耳の鼓膜の破裂音でした! 急に深い中まで沈んだのか? 急いで浮き上がると、また痛みが! 泣きたいくらいの痛みでした。
 それから、長らく通院してやっと治ったと思いましたが、左耳は完璧に治ってはいなかったんです! あまり、左側からは聞き取りにくい毎日が続きました。
 そんなとき、あるラジオのコマーシャルで「美里に行ったら、シェーキーズ」というのを聞いて、沖縄市の美里にピザ屋さんあったかな? と思いました。何回聞いても「美里に行ったら、シェーキーズ」ってしか聞こえない。
 今度はテレビのコマーシャルで画面の字を見てやっと解決しました。「美里」と聞こえたのは、「ピザッといったらシェーキーズ」でした(笑)。

(うるま市 てけてけ)

(編コメ)6月14日付「リンゴ、リンゴ」で、「サフエン節」の歌詞を聞き違えていたとの楽しいお便りがありました。「ピザといったら」も「美里に行ったら」に聞こえるような気がします。耳の調子が悪ければなおさらですよね。

娘の夜泣き

 「『夜中の騒音』を読んで②」を読んで。娘が生まれたばかりのころ。娘は盛大な夜泣きをしていました。ずっと抱っこをして、そーっと布団に寝かそうとするのもすぐ気付き泣く…の繰り返しで当時は必死。
 体力的にきつくてベランダに出たりしながらあやしていました。後になって気付いたのが、隣の方も下の方も何も苦情がなかったこと。主人の帰りは残業ばかりで遅く、幼い子と2人きり。遅く帰ってきた主人に少しお願いし、仮眠をとる生活。もう他のことはあまり考える余裕はなかった気がします。近所からの苦情があったら精神的に追い詰められていたと思います。
 力一杯泣いていて、大きな泣き声で本当にうるさかったはずなのに。世帯数の少ないアパートでした。お隣りさんも下の階のご家族も、私たちより年が上だったように思います。温かく、そっと辛抱強く見守っていてくださったことに、時が過ぎてから気付きました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 そんな娘も中学生。さすがに夜泣きはないけど、先日の中体連で試合に負けて泣いていました。それを見て私も涙がちょちょ切れる〜。

(那覇市 たろねこ)

(編コメ)6月14日付の三児の母さん同様、娘さんの夜泣きで大変だったんですね。周囲の住人の理解を得られていたということなんでしょうか。つらい時期に本当にありがたいことですね。

「何の花? 木?」の写真

 写真でははっきりしませんが、葉がもみじのようであれば、西洋ニンジンボクではないかと思います。
 わが家の庭にもありました。ただ今、花がまっ盛りです。昨年お礼肥をあげなかったからか、今年は花穂が短く小さいです。昨年は写真のように大きかったのですが。種がたくさんつくので小鳥の贈り物では?

(宜野座村 花木好き)

(編コメ)6月14日付のかたつむりさんの投稿写真についてのお便りです。また、ペンネーム、宗ちゃんのケイティさんからも「ケイトウだと思います」とのお便りをいただきました。かたつむりさん、いかがですか?

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