沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1670]

  • (水)

<< 前の記事  次の記事 >>

「島ネタCHOSA班」2017年04月27日[No.1670]号

昔むかし、糸満に象がいた

 数十万年も前の貴重な化石を所持しているコレクターが、県内にいるらしいです。眞謝喜一さんという方のようですが…どんな人物でどんなコレクションがあるのか、調査していただけませんか。

(浦添市 あんもないとさん)

昔むかし、糸満に象がいた!?

 古い時代の動物や生物の遺骸が残った「化石」。沖縄では、どういった化石が採集できるのでしょう!?

 県内の化石事情について全く想像がつかない調査員でしたが、おもろまちの那覇市緑化センターで、3月31日〜4月2日まで「沖縄の化石展」を開催中だった、眞謝喜一(まじゃ・きいち)さんに会うことができました。突撃取材を試みます!

「集める」のが流行

 約50年前、中学生だった眞謝さんは貝殻を集めることが好きだったと語ります。

 「当時は北谷町に住んでいて、散歩しながら海に行き貝殻を拾っていたんですよ。石灰岩の採石場まで足を伸ばしてみたら貝の化石を発見し、それからは化石探しに夢中になりました。ナイフで削ると採れやすくて、どんどん収集できたんです」

 団塊の世代だと自らを表現する眞謝さんの周辺には、友達をはじめ「コレクター」が多かったとのこと。

 「学校の先生に何か集めなさい、と言われました。切手や缶詰のラベルなど、みんないろいろ集めていましたね。はじめは貝殻を拾っていましたが、増えていくと似たような形のものばかりになり、いろんな動物や生物の姿を確認できる化石の方が魅力的に見えたんですよ。それから本格的に、化石集めを始めました」

 集めだすと数があっという間に増え、止まらなくなったと笑う眞謝さん。学生時代から学校で展示会を開き、先生に褒められるなどコレクター魂が花開いていったそうです。展示するからには正確な情報を伝えなければという意識も強く、図鑑や書籍で動物や生物の名前を調べていたとのこと。高校生の時には生物クラブに所属していた眞謝青年は、さぞかし優秀な生徒だったことでしょう!

象の化石発見

 先日開催された「沖縄の化石展」は、眞謝さんのコレクションが多数陳列された立派な展示会でした。小さな貝など含めると、軽く1000点以上はあったのでは!? 特に貴重な化石はどれかと聞くと……。

 「ナウマン象の歯の化石です。『30万年前の象の化石発見』と新聞報道されました。1972年10月に糸満の喜屋武岬で見つけたんです。発見当初は何なのか分からず、琉球大学教授ほか専門家に鑑定してもらって判明したんですよ」と眞謝さん。

 30万年前!? そんな太古の象の化石を発見したなんて……眞謝さん、すご過ぎます!眞謝さんが保管していた発見当時の新聞記事を読むと「本土では多数発見されているが、沖縄本島では初めて」、「琉球列島における新生代地史の考察に重要な意義をもつ」、「大陸との陸続きの証拠」など価値ある化石だったことがよく分かります。

 「他にも浦添市で見つけたシカの角数本は数万年前から100万年前のものですし、サメの歯やイルカの耳石など海の生物の化石もあります。実は1つだけでは化石だと気付かない場合が多く、近い場所に同じ形の物が複数あると”化石かも!? “と思い、調べます。専門家に解明してもらうなどかなりの時間がかかりますが、追求したくなるんです」

 そう言って眞謝さんは、調査員の手のひらにゴツゴツした石を置き「これはジュラ紀の貝」とつぶやきました。石をよく見るとうずまき型の小さな円があり、「これが1億年以上前の生物?」と不思議な感覚になりました。眞謝さんを通して古代とつながった瞬間だったのです。

 残念ながら「沖縄の化石展」は終わってしまいましたが、眞謝さんは貴重なコレクションを展示する機会を、また作ってくれるはず。その時は、会場で古代ロマンを感じてくださいね。



このエントリーをはてなブックマークに追加


昔むかし、糸満に象がいた
化石や貝殻を約50年集めている、眞謝喜一さん
昔むかし、糸満に象がいた
これが「30万年前のナウマン象の歯」! 学術的にも貴重な化石です
昔むかし、糸満に象がいた
シカの角の化石に貝殻ほか、本当にたくさん展示されていました
>> [No.1670]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>