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[No.1535]

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「島ネタCHOSA班」2014年09月11日[No.1535]号

おはよ~放送

 去年、京都から那覇市に引っ越してきて、日曜以外の毎朝7時半に流れる「おはよ〜おはよ〜♪」の放送が気になっています!毎日楽しみです。古波蔵の「おはよ〜おばさん」について調べてください。

(Yさん)

古波蔵で「おはよ〜放送」!?

 田舎では夕方に「うちへ帰ろう」と放送されると聞きますが、那覇市でそういう放送があるとは知りませんでした。古蔵自治会に電話したところ、「地域に住んでいる女性が毎朝、生放送してくれています。10年以上になりますね」とのこと。ますます興味がわいてきました!

 自治会から女性に連絡してもらいます。しばし待っていると…。「放送は1994年から20年続けているそうです。でも、紙面に出たくないそうですよ」との連絡。

 まさかの拒否!? ここで調査終了か!? いやいや、20年も地域放送を続けている人に、ぜひ会って話を聞きたい! もう直接行ってみましょう!

 とりあえず古波蔵地域に来ました。商店の人に聞いてみると「あぁ、長嶺さんですよ」と判明。期待を胸に直撃です!

 とうとう対面。放送しているのは、古波蔵に古くからある長嶺外科医院の長嶺江美さんでした。長嶺さんと話し、理解を得て調査再開です!

では、なぜ放送を?

「1989年から7年間、自治会長をやったのがきっかけです。地域の名簿作り、古紙回収、盆踊りなどをしましたが、次に古波蔵の子どもたち『古蔵っ子』の役に立ちたいと思い、朝の放送を思い付きました」

 それが始まりですか。でも毎朝大変ですよね。

 「自宅4階に放送用のマイクがあり、屋上にスピーカーがついています。毎朝7時 28分に目覚まし時計が鳴ったら、4階に行きます。たいてい食事を作っている時ですね。3分程度だし重荷だと思ったことはないですよ」

 長嶺さんの自宅は4階建ての医院の2階部分。4階は琉舞の稽古場で、その一角に放送機材が置いてあります。

毎日、内容変えて

 自宅内といえども継続は大変なはずです。体調を崩した時はどうするのですか?

 「体調を崩した記憶はないですね。でもたまに忘れて『どうして今日はなかったの?』と心配されることもありますよ。あと『ごめんなさい。3分遅れました』ということもあります。旅行の時が困りますね。前もって『あしたから放送なしだから、皆さん遅刻しないでください』と言いますよ」

 楽しそうですね。普段はどんな事を言うのですか?

 「童謡『朝はどこから』を流します。その間奏部分で『古蔵っ子のよい子の皆さん、おはようございます』と呼びかけて、夏なら『暑いから熱中症に気をつけて』、冬なら『寒いから靴下をはいてね』などと言います。毎日違いますよ。曲が終わる時に『行ってらっしゃい!!』と言って終わります」

 地域の人の反響は?

 「久しぶりに会った人に『しばらくです』と言うと『いえ、私はいつも聞いていますよ』と言われることがあります。スーパーでレジ係の人から『息子が会いたがっています』と言われたこともあります。うれしいですね」

 実は医院兼自宅を建て替える話もあって、次の家にスピーカーをつけるか迷ったそうです。幸い建て替えは延期になったのですが「いつ、どのようにバトンタッチできるか考えなくてはいけない」と話します。「私一人がやっていいのかなと思うこともあります。でも楽しみでもあるので、元気なうちはやらせてもらいます」と話してくれました。明るい人柄の長嶺さん。20年続く放送は地域の宝ですね。



   ◇    ◇    ◇    ◇    ◇    ◇

 ここで調査終了! といきたいところですが、実は調査したのは夏休み中で放送はお休み。実際に放送を聞きたいので、夏休みが明けるまで調査を延長しました。そして9月4日、聞きましたよ〜。
 昭和初期を思わせるようなメロディーが流れてきます。間奏に入ると元気いっぱいの声で「おはようございます!」。続いて学校行事を案内し、子どもたちには「休み時間は元気に外で遊びましょう」。最後に「車に気をつけて行ってらっしゃい!」で終わりました。長嶺さん、目が覚めましたよ!

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おはよ~放送
自宅4階にある放送コーナーでマイクを握る長嶺江美さん
おはよ~放送
周囲のビルより少し高い長嶺外科医院の建物。屋上には、自費で設置したスピーカーが見えます。スピーカーは古波蔵地域に向けられていて、朝の放送以外にも、地域の人の訃報なども伝えます
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