沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1522]

  • (土)

<< 前の記事  次の記事 >>

「島ネタCHOSA班」2014年06月12日[No.1522]号

教習所、なぜ自練

 沖縄で教習所のことを「自練」と略するのはなぜですか? 「自動車学校」「教習所」のどちらにも「練」の文字は含まれていないのに…。

(那覇市 移住2年生さん)

教習所、なぜ自練?

 むむ、確かに! 県外では「自校」と呼ぶこともあるようですが、こちらは「自動車学校」を略しているのがすぐ分かりますね。でも、「自練」は何の略なのかはっきりしません。

 というわけで、調査員は豊見城市豊崎の県警運転免許センターに向かいました。

自動車練習所に由来

 出迎えてくれたのは、交通部運転免許課の伊良部薫さん。「復帰前の沖縄では、教習所のことを『自動車練習所』と呼んでいたんです。その名残でしょうね」とサラリ。

 確かに、「自動車練習所」を略すると「自練」になります。あっさり答えが出て少し拍子抜けする調査員。しかし、いろいろな疑問は残ります。そもそも、自動車練習所って?

 「今の教習所では、卒業検定まで実施していますよね? でも自動車練習所では、当初、卒業検定が受けられなかったんです」

 えっ、試験が受けられない!?

 「はい。県内では、1956(昭和31)年頃から各地域に自動車練習所が開設されました。ところが、当初は卒業検定を実施できる人員がおらず、試験は免許課で行っていたんです」

 というと…。現在、最後の学科試験を免許センターに受けに行くような感じで、自動車練習所で「練習」後、試験のため免許課に行く必要があったのですね。

 「ええ。でも、1960(昭和35)年からは、自動車教習制度が施行され、自動車練習所でも技能試験の受験ができるようになっています」

試験も左右逆転!?

 その後、1972(昭和47)年の本土復帰に伴い、各自動車練習所は「自動車学校」へと社名変更を行った、と伊良部さんは話してくれました。

 ここで調査員の胸に新たな疑問が。復帰以前の沖縄は、車は現在とは左右逆の右側通行。1978(昭和53)年7月30日の「7・30(ナナサンマル)」で左側通行に替わったわけですが、運転免許は同じものが使えたのでしょうか?

 「免許証に違いはありません。ただ、学科試験、技能試験とも、7・30の前までは右側通行、後は左側通行による試験を実施しています」

 うーむ。その時に教習所に通っていた人は大変だったでしょうね。

 「その配慮から、教習所では、7・30の1カ月前から、右側通行と併行して、左側通行による検定試験と教習も行えるようにしたそうです。午前、午後で左右の通行を切り替えるなどして対応した教習所もあったようですね」

 もし右側通行で教習を受けていて、7・30までに合格しなかったら左側通行で教習を受け直さないといけなかったのでしょうか?

 「はい。そのこともあり、変更の直前になって受験者が増え、試験の回数を増やして機会を多く与えるようにしたそうです」

 なるほど〜。ところで、ある日突然、右側通行が左側通行に替わったらどんな感じがするのでしょうか?

 「私は7・30の3年前に免許を取得しており、ドライバーとして通行の左右切り替えを経験しましたが、思ったよりはスムーズにいったかな、という印象です。ただ、最初の頃は気がつくと車が右に寄っていくということはありました」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 実は教習所でコースを左右逆に走るというミスをやらかしたことがある調査員。そんな甘酸っぱい記憶もよみがえる調査でした。現在は、「車は左、人は右」。くれぐれもお間違いなく!



このエントリーをはてなブックマークに追加


教習所、なぜ自練
伊良部薫さん
教習所、なぜ自練
7・30の交通方法変更の告知
教習所、なぜ自練
7・30に向け新設された信号機
教習所、なぜ自練
7・30当日、新標識のカバーを外す場面。新しい信号機も標識も、当日まではカバーが掛けられていました
>> [No.1522]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>