沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.2012]

  • (金)

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「表紙」2023年11月30日[No.2012]号

オーシッタイで木炭作りに挑戦中
吉松美咲さん

歩み出したばかりの炭焼き職人。 煙立つ作業現場を取材

 「名護市源河のオーシッタイで炭焼きに挑戦している若者がいる」。そんな情報を 得たのは今年の初夏。現地で活動していたのが愛知県出身の吉松美咲さんだった。 レキオ記者が数回にわたって吉松さんの炭作りを取材。昔ながらの炭焼きの工程と、 木炭の魅力をリポートする。

 吉松さんが活動するの は、オーシッタイにある 「まぁる農園」の敷地内。 炭焼き窯は、まぁる農園 が土地を管理する以前か らその場所にあるものだ。

 窯は山の斜面を利用し た造り。内部は木炭にな る原木を詰める部屋と、 薪(まき)を燃やす部屋に 分かれる。原木を直接燃 やすのではなく、薪の燃焼 で窯を温め、熱分解させ ることで木炭にする。

何度も挑戦

 記者が最初に現場を訪 れたのは6月下旬。吉松 さんが初めて一人で火入れ 作業をする現場だった。

 この日は梅雨明け宣言 後だったが、まさかの大 雨。火を起こすのも苦労 した。雨にぬれながら作業 した吉松さん。火入れに ガスバーナーの使用を薦め た関係者もいたが、「まず はなるべく手作業で、火を 扱う感覚を得たい」と断っ た。しかし、十分に原木が 熱されなかったようだ。炭 頭(たんがしら:炭に残っ た原木のままの部分)が 出る結果となった。

 再挑戦をしたのは 10 月 になってから。天気にも恵 まれ、スムーズに火入れは 進んだ。窯内部が高温と なった後、窯入り口をふさ ぐ「窯とじ」も無事にこな したという。窯とじ後、一週 間以上経過してから、木 炭は取り出される。

 今月中旬の窯出し作業 では、窯の内部から、一つ一つ 確かめるように、炭を取り 出す吉松さんの姿があっ た。この日得られた木炭は 約 60 ㌔。手応えを感じる 出来栄えだった。

炭が暮らしを豊かに

 2021年に名護市に 移住した吉松さん。引っ越 し先の水道水の味が気に なり、どうにかできないか と調べたところ、たどりつ いたのが木炭(備長炭)に よる浄水だった。手軽な方 法ながら、効果的だったこ とで木炭への関心が高まっ たそうだ。農業、建築、土 中環境の改良、水質の浄 化…。炭は古来から多岐 にわたって利用されてき た。そう知るのにも時間は かからなかった。

 炭焼きを吉松さんにレ クチャーしたのは、恩納村 にある「障がい者就労支 援事業所 希望が丘」の 施設長・長田光一郎さん。 同施設では就労支援事業 として利用者が炭焼きに 従事、木炭を販売してい る。吉松さんは前職が福 祉関係だったこともあり、 1年間、職員として働き ながら炭作りについて学 んだという。

 やればやるほど、奥深い という炭焼き。「細く長 く」続けながら、今後は体 験の場としても窯を活用 したいそうだ。

 「炭焼きをしていると、 こんなに汗をかいてやれ ることがある、という充実 感があります。すごくいき いきとした感じ。そんな気 持ちで過ごせることがう れしいです」

 1日の作業を終えたあ と、他のものには代え難い 感覚を、吉松さんは笑顔 で伝えてくれた。

(津波 典泰)





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吉松美咲さん
名護市源河のオーシッタイで、昔な がらの炭焼きに挑戦している吉松美 咲さん。窯出し作業の直後、焼き上 がった木炭を手に撮影に応じてくれ た。後方には炭焼き窯も確認できる =今月中旬
写真・津波典泰
吉松美咲さん
吉松さんが利用する炭焼き窯。ガスや電 気の普及以前、やんばるの山々にはこのよ うな炭焼き窯が無数に存在した。出来上 がった木炭は山原船を使い、海路で本島 中南部に輸送されていた
吉松美咲さん
窯の中に入り、出来上がった炭を取り出 す吉松さん。この時はモクマオウを原木に 使用。火持ちの良さが特徴だ
吉松美咲さん
吉松さんの炭焼きの〝師匠〞こと長田光 一郎さん。窯後方の煙突をチェックし、内 部の温度をうかがう
吉松美咲さん
炭の計量や袋詰めは、まぁる農園の関係 者と近隣で働く人が協力した
吉松美咲さん
吉松さんが焼いた炭 は、「羽地の駅」(名護市 真喜屋763-1)に出荷し ている。袋に同封された 「まぁる農園の炭焼きさ ん」というポップが目印 (※少量生産のため品 切れの場合あり) 問い合わせ:m i s a k i 2 0 2 3 0 5@gmail.com
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