沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1676]

  • (金)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2017年06月08日[No.1676]号

ザ夫婦

ザ・夫婦(み〜とぅ) 10


工芸士 座間味力さん
琉球人形作家 座間味末子さん

2人の人形博物館へようこそ

 玄関を入ると、そこは人形博物館のよう。ウチナーかんぷうでかすりを来たおばあが機を織り、リビングにはアメリカの絵本作家でそのライフスタイルも人気があったターシャ・テューダーも飾られている。琉球、日本、西洋の人形たちがこの家の主である座間味力(つとむ)さん(68)、末子さん(68)を囲む。沖縄市の人形工房「琉球ロマン百十末(ももとすえ)」で琉球人形制作を続ける2人。妻が人形を作り、夫はその小道具づくりでサポートしている。



人形通して「琉球」伝えたい

 妻の末子さんは、洋風、和風の人形も作るが、琉球人形作家として有名だ。末子さんの作った沖縄の歴史上の人物の作品は、県内外、国外で展示され、メディアでも紹介されてきた。沖縄県琉球創作人形協会の会長も務めている。

 力さんは結婚当初から、末子さんの人形作りを手伝っている。塾経営、高校教師(非常勤)、障がい者施設勤務とさまざまな仕事をしてきたが、ずっと末子さんの人形を飾る周りの小道具を作ってきた。現在は「工芸士」として迫力ある人形をさらに引き立たせようと、道具作りに磨きをかける。

2人はクラスメート

 2人はコザ市(当時)の越来中学3年生のときのクラスメート。力さんは末子さんのことを「おとなしくてやせっぽちな子だった」と話す。末子さんは「とても頭がよくて、いつもクラスのリーダーだった」と力さんのことを思い出す。

 中学卒業後、2人はコザ高校に進んだが、末子さんは学校を中退し、理美容関係の専門学校に移った。あるとき、中学の同級生に「人形習いに行かない?」と誘われ、沖縄市内にあった沖縄県婦人就業補助センターの琉球人形科に通った。末子さんは「何かに導かれるように」その教室に通った。

 熱心に学べば学ぶほどいろいろな疑問が沸いてきた。「琉球人形というけれど、顔やボディも全部できたものが(本土から)送られてきて、これが本当の琉球人形だろうかと思った」。本物を作りたいと、末子さんは東京の有名な人形作家のもとに通った。面相を学ぶために、第一人者のいる福岡へも足を運んだ。

 力さんは高校を出て琉球大学へ進学。卒業後は南西石油に就職し、子会社のエッソ石油で3年半働いた。70年代の半ば、1年ほど英語の勉強でアメリカにいたこともある。帰沖後は沖縄市で学習塾を開いた。

 それぞれの道を歩いていた2人が付き合うきっかけとなったのは、誕生日のカード。末子さんは「アメリカから送られてきたんです」と少しはにかみながら言う。

 「僕たち中学のクラスはとても仲がよく、頻繁にクラス会を開いていた。昔のクラス会の名簿には誕生日も書かれていたんです。だから送ったんですよ。他の人にも送ったかな?」と力さんも照れながら話す。

 付き合い始めて3年、1982年に結婚した。末子さんは2度目の結婚。「この人とならおだやかな一生を過ごせるだろう」と思った。力さんは初婚。相手が再婚で子どももいるということで、周りから「たいへんではないか」と心配されたという。

 しかし、力さんは「子どもが好きだったし、子がいるということが自然な感じだった」と振り返る。当時、塾経営をしていた力さんのところに末子さんの子どもたちが通っていたということもあり、すでによく知った仲だった。

子どもたちは夫の味方

 2人は末子さんの連れ子を含めた4人の子、6人の孫に恵まれた。力さんは子どもたちとけんかをしたことがない。末子さんは「私は子どもたちには厳しい。私と夫が言い合うと、みんな彼の味方をするんですよ」と笑いながら話す。その表情は、どの子にも分け隔てなく接してくれた夫への感謝にあふれている。

 80歳まで活動を続けたいという2人。力さんは、「方言をもっと勉強したい。方言でこそ沖縄のチムグクルが伝わると思う」、末子さんは「沖縄の歴史や芸能に基づく人形をまだまだ作りたい」とそれぞれの目標を語る。そして、人形を通して、もっと多くの人に「琉球」の魅力を発信したい、と声をそろえた。

(又吉喜美枝)



円満の秘訣は?

力さん:さまざまな仕事を経験したことで、人間はみんな持っている能力が違う、ということを学びました。それを認め合って、違いを尊重していくこと。それは結婚生活にも言えます。

末子さん:おだやかな生活を望んでいました。相手を信じること。来るものすべてありがたく受け入れること。

プロフィール

ざまみ・つとむ: 1949年うるま市平安座生まれ。琉球大学農学部機械工学科卒業後、南西石油に就職。3年半働いた後、退職し70年代半ばにアメリカに英語習得のため1年間滞在。帰沖後、沖縄市で10年間学習塾を経営。その後、中部工業、南部農林、那覇西高校で非常勤の教師を務める。10年働いた後、沖縄市の障がい者施設「ゆいの郷」で60歳まで働く。仕事の傍ら、ずっと妻・末子さんの人形作りを支えている
ざまみ・すえこ: 1948年本部町瀬底島生まれ。中学1年のときに沖縄市に転校。コザ高校中退後、理美容の専門学校に進む。その後、沖縄県婦人就業補助センターで琉球人形を学ぶ。沖縄市で喫茶店を経営する傍ら、人形教室も開く。県内外、世界のウチナーンチュ大会での人形即売講習会や南米、欧州でも琉球人形展示会を開く。また沖縄市産業まつりや沖展などの入選も多数。

このエントリーをはてなブックマークに追加



座間味力さん 座間味力さん
琉球人形作家の座間味末子さんと夫の力さん。2人が持っているのは、琉球王の王冠と、女性に人気のターシャ・テューダーの人形。作品は全部紙粘土から作り上げる=沖縄市城前町の座間味さん宅
写真・喜瀨守昭
座間味力さん 座間味力さん
琉球王(左)と聞得大君の人形。王の表情はりりしく、大君は優しい顔をしている
座間味力さん 座間味力さん
音楽を奏で、合唱する人形たち。表情がとても豊かで愛らしく、歌声が聞こえてきそうだ
座間味力さん 座間味力さん
1997年、ハワイの展示会で、(左から)力さん、次男の礼誉(あやたか)さん、次女の愛理さん、末子さん
>> [No.1676]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>