沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1665]

  • (火)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2017年03月23日[No.1665]号

父娘日和

父娘日和 50


農家、民泊「伊徳ふぁーむ」 大城 豊次さん
南城市観光協会 大城 亜希野さん

島の暮らしを感じてほしい

 南城市志堅原、海が見える丘の一軒家。家のすぐ目の前にあるビニールハウスの中では、大城豊次さん(59)がインゲンマメの手入れに励む。農業用機械のメーカーに勤務していた豊次さんは、11年前に農家へ転身。8年前からは自宅で民泊「伊徳ふぁーむ」の運営も開始し、宿泊者から「おとぉ」の呼び名で親しまれている。「父は誰とでもすぐ仲良くなれる性格。子どもたちも打ち解けるのが早いですよ」と南城市観光協会に勤務する娘の大城亜希野さん(32)は笑う。



会社員から農家兼民泊の主(あるじ)へ

 「今ハウスで育てているのはインゲンマメ。5月からはキュウリに植え替えるよ。マンゴーの花が咲いているから受粉をしないといけないし、あと2週間でゴーヤーの受粉も始まる。年中無休だね」

 そう言いつつも、豊次さんの表情は明るく、「大変だけど逆に楽しみ」と笑う。

 かつてはサラリーマンとして、農業機械を扱う会社に勤務していたという豊次さん。転機は17年ほど前。4人の仲間と共に補助事業となっていた電照菊のハウス栽培を開始し、会社勤めを続けながら農業の世界に足を踏み入れた。

 当時は妻のルリ子さん(57)が昼間に作業をし、仕事を終えた豊次さんが夕方から合流。家族を総動員して出荷作業に取り組んだという。

 豊次さんの次女、亜希野さんは「高校生だった私も放課後に駆り出され、現場でおにぎりやてんぷらを食べながら夜の12時ぐらいまで手伝っていました(笑)」と当時の大変さを振り返る。

 その後、手間のかかる電照菊の栽培から、ペースをつかみやすい野菜の栽培にシフト。4〜5年かけて試行錯誤を繰り返しながら農業のノウハウを習得し、11年前、48歳の時に会社を退職。農業に専念するようになった。伸びは早いという。長女の柚希さんの躍進が物語っている。極めるには奥が深すぎる、それでも楽しく。それが空手家、敦さんのスタンスだ。

皆に人気の「おとぉ」

 農家となってから3年後、豊次さんは先行して民泊を始めていた兄の勧めもあり、自宅で民泊を開始。屋号から「伊徳ふぁーむ」と命名した。

 宿泊者は中学生・高校生が中心。北は北海道から、南は九州まで、年間約250人の生徒たちが訪れる。

 「農業体験をさせて、食事もある程度自分たちで作ってもらう。最初はなかなかしゃべらない子も多いけど、作業をしていると打ち解けてくる」とほほ笑む豊次さんに、「父は誰とでも仲良くなれるキャラクター。子どもたちも打ち解けるのが早いですよ」と亜希野さんが言葉を続ける。

 宿泊者から「おとぉ」の呼び名で親しまれる豊次さん。かつての宿泊者の中には、毎年のように豊次さんに会いに来て、就職などの近況を報告してくれる子もいるそうだ。

 「今では、交流が続いている子たちも10人以上に増えた。それが一番うれしいね」と豊次さんは頬を緩める。

娘の生き方を見守る

 亜希野さんは、高校卒業後、空港で働きたいという希望を抱いて福岡の専門学校に進学。通信教育も並行して航空業界の知識を深め、卒業後、那覇空港で手荷物の保安検査を担当する会社に就職した。

 「仕事は緊張の連続。在職中は、よく『顔がこわばっている』と言われました」。周囲にはプレッシャーに耐えきれず辞めていく者も多かったが、亜希野さんは10年8カ月勤務を続けた。

 「でも、次第に他に興味があることが出てきたんです。前職では仕事以外のことをする余裕がなかったので、昨年の4月、『もっとやりたいことをやって生きよう』と、縁があった地元の南城市観光協会へ転職しました」

 「観光客の皆さんともっと関わっていきたい」という思いから三線にも取り組み、英語習得のための語学留学も検討中だ。

 そんな亜希野さんを、豊次さんは「子どもたちには、自分が正しいと思ったことは、やりなさいと言ってきた。今からゆっくり、自分のリズムで歩んでいければいいと思っている」と温かく見守る。

 亜希野さんが南城市観光協会で働き始めたのを機に、自宅の庭にもっと花を植え、26日(日)まで開催中の同協会の事業「憩いのオープンガーデン」の会場にしたいという思いも出てきたという豊次さん。豊次さんの庭が会場となる日を楽しみに待ちたい。 

(日平勝也)



プロフィール

おおしろ・とよじ
 1957年生まれ、南城市(旧玉城村)志堅原の農家に生まれる。株式会社南九州沖縄クボタで農業機械の営業を担当していたが、42歳で会社勤めをしながら電照菊の栽培を開始。48歳で退職し、専業農家となる。その3年後、自宅で民泊「伊徳ふぁーむ」を始め、現在は中学生・高校生の修学旅行生を中心に年間約250人の宿泊者を受け入れ、「おとぉ」の呼び名で親しまれている。平成20(2008)年度には、1年間、志堅原の区長を務めた。プライベートでは2男2女の父

おおしろ・あきの
 1984年生まれ、志堅原出身。南風原高校卒業後、空港で働きたいという希望を持ち、福岡の専門学校と通信教育で航空業界について学ぶ。卒業後、那覇空港で手荷物の保安検査業務を担当する株式会社ジェイ・エス・エスに就職。約11年間勤めた後、昨年4月に南城市観光協会に転職。体を動かすのが好きで、小学校高学年から中学校にかけて陸上競技で活躍。一昨年のNAHAマラソンでは完走を達成した

このエントリーをはてなブックマークに追加



大城 豊次さん 大城 亜希野さん
民泊「伊徳ふぁーむ」を営む自宅の庭に並ぶ大城豊次さんと娘の亜希野さん。庭の向こうには豊次さんのビニールハウスや畑が広がり、民泊宿泊者の農業体験の場ともなる=南城市志堅原
写真・村山 望 
大城 豊次さん 大城 亜希野さん
豊次さんの自宅のすぐ目の前のビニールハウスでは、インゲンマメが収穫期を迎えていた
大城 豊次さん 大城 亜希野さん
民泊「伊徳ふぁーむ」を営む豊次さんの自宅
大城 豊次さん 大城 亜希野さん
玄関や壁には、民泊の宿泊者たちから送られた写真やメッセージが大切に飾られている
>> [No.1665]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>