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[No.1658]

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「表紙」2017年02月02日[No.1658]号

父娘日和

父娘日和 43


玉城農園 玉城 忠男さん
シンザト果樹園 新里 貴恵さん

地元のパイン産業 未来へつなぐ

 パイナップル生産量日本一の村、東村で48年もの間パイン栽培を続ける玉城忠男さん(72)。パインの最高級品種といわれる「タダオゴールド」の生産者として知られている。忠男さんは叔父から譲り受けたパイン畑で、栽培をスタート。パインのブランド化に乗り出し、東村産パインの可能性を広げてきた。5女の新里貴恵さん(31)は、2年前から東村で夫の善幸さんとパイン栽培を始め、繁忙時には父のサポートもする。忠男さんは後継者が減る中でパイン農家として奮闘する貴恵さんたち次世代の新しい発想に期待を寄せている。



ブランド戦略で活性化目指す

 パイナップル栽培に適した酸性土壌が広がる東村。太平洋を望む村の高台の一角に玉城忠男さんのパイン畑がある。

 玉城忠男さんがパイン農家

になったのは24歳のころ。パイン作りをしていた叔父から畑を受け継いだのがきっかけだ。以来48年間、パイン栽培の第一人者として栽培に励んできた。

 忠男さんは1989年に農業試験場からの依頼を受け、新品種候補として交配した生食用パイナップル「ゴールドバレル」の試験的栽培に取り組んだ。従来の品種に比べ栽培が難しく手間が掛かったが、試行錯誤を繰り返し、満足できるパインが完成。酸味が少なく糖度が高い果実は、地元の人たちに試食してもらうと大好評だった。

 農家の高齢化や若者の農業離れによるパイン産業の衰退を危惧していた忠男さん。「ブランド化し、付加価値を付け、東村や北部のパイン産業を発展させなければいけない」と同品種の栽培に力を入れた。

 2005年には「ゴールドバレル」の中で味や大きさなどえりすぐりのパインを「タダオゴールド」と名付け、贈答用の高級商品として全国販売を始めた。

 市場や県内外の消費者にも評価されるようになり、毎年予約購入するリピーターも増加。それまで安価な加工用果実が主流だった地元のパイン産業に新たな可能性を生み出した。

後継者として出発

 5人姉妹の末っ子に生まれた貴恵さんは、農業の道に進むとは考えてもいなかった。休みなく毎日働く両親に対し「同級生の親は役場勤めやサラリーマン。土日が休みでうらやましいという気持ちばかりだった」と子どものころを振り返る。

 南部の高校を卒業後、大阪の製菓学校に進学。東京や那覇のケーキ店でパティシエとして経験を重ねた。次の道を模索中、父が腰を痛めたことをきっかけに23歳で故郷に戻り、一時的なつもりで畑の手伝いをするようになった。

 「毎日やることがたくさんあり大変だけど、おいしかったという手紙や電話をもらい、やりがいもあった」という貴恵さん。

 このまま手伝いを続けるか迷っていた27歳のとき、夫となる新里善幸さんに出会った。 南城市のマンゴー兼業農家で育った善幸さんとは、境遇が似ていることからすぐに意気投合。結婚後、2人は忠男さんからの誘いもあり、パイン作りに挑戦することを決意。2年前から「シンザト果樹園」をスタートさせた。

 「まだまだ仕事が遅くて大変だけど、丁寧に育てないといいものはできない」という貴恵さんに対し、「作物は正直。怠けたら怠けた分だけ、頑張れば頑張った分だけ返ってくる」と父。貴恵さんたち夫婦を「よく頑張っている。今後規模を拡大し、安定していくまでにそんなに時間は掛からないだろう」と評価する。

パインで土産菓子を

 幼いころは嫌だったという父の仕事も今は理解できるようになったという貴恵さん。「父はすごいなと思う。作業のスピードは速いし、視点が鋭い。葉を見ただけでも種類や状態が分かる。自分も経験してつかんでいくしかない」と話す。

 父も「子どもたちが次の世代に受け継いでいけるように頑張ってもらいたい。重労働でもうからないというイメージの農業だが、頑張ればやっていけるという手本を見せていきたい」と意欲的だ。

 貴恵さんは「将来、パティシエの経験を生かしてパインを使った土産菓子を作りたい」と村の魅力を発信したいという思いもある。

 その横で「これからの若い人は新しい発想で取り組んでいった方がいい」とほほ笑む忠男さん。パイン産業への貢献を思い描く貴恵さんを頼もしそうに見つめた。いるというほど歌に夢中のなづさん。将来は、韓国やロンドンに行き、活躍したいと抱負を語る。なづさんのパワフルな歌声が、世界に響き渡る日が楽しみだ。

(坂本永通子)





プロフィール

たまき・ただお
 1944年生まれ、東村宮城出身。玉城農園代表。24歳の時、叔父のパイン畑を譲り受けパイン農家として出発。2005年には、贈答用の高級パイン「タダオゴールド」の販売を開始。1983年から村農業委員を9年間、1987年から東村パイン生産組合連合会会長を6年間、1994年からやんばる農協東支所パイン生産部会長を4年間務めた。県のパイン競作会や産業祭りなどで優良賞や県知事賞など受賞多数。県名誉指導農業士。元東村議会議員

しんざと・きえ
 1986年東村生まれ。5人姉妹の末っ子。向陽高校卒業、辻製菓専門学校(大阪)を卒業。東京や那覇市のケーキ店勤務などを経て、23歳から玉城農園を手伝い始める。2014年新里善幸さんと結婚、長女の芭瑠菜(はるな)ちゃんを出産。2015年夫の善幸さんとシンザト果樹園を立ち上げる

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玉城 忠男さん 新里 貴恵さん
玉城忠男さん(左)と娘の新里貴恵さん。忠男さんの畑の総面積は1万500坪。現在は雑草取りや施肥、防風林の管理に励む。植え付けから収穫まで約2年間を要するパイン。6月中旬から本格的に収穫が始まる=東村宮城の玉城農園
写真・村山 望
玉城 忠男さん 新里 貴恵さん
実家の屋上で初日の出を背に幼い貴恵さんを抱く忠男さん
玉城 忠男さん 新里 貴恵さん
成人式の日、実家の前で忠男さんと記念撮影する晴れ着姿の貴恵さん
玉城 忠男さん 新里 貴恵さん
「タダオゴールド」の出荷を始めたころの玉城さん。2005年
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