沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1653]

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「表紙」2017年01月01日[No.1653]号

父娘日和

お正月特集号


魅川憲一郎さん

今年は酉(とり)年。華麗に飛ぶわよ〜!!

 明けましておめでとうございます。今年は酉(とり)年。美しい羽毛を持つ鳥のように華麗に、そして自由に羽ばたく年にしたいですよね!! というわけで、レキオでも、そんな年の始まりにふさわしいゲストをお迎えしました。その人こそ、歌手・美川憲一さんのそっくりタレントとして県内を中心に大活躍中の魅川憲一郎さん。酉年生まれ、年男の魅川さんが、長生きするおめでたい鳥・オオハナインコと一緒に、ハッピーでラッキーな1年の門出を祝います♪



翼ひろげて羽ばたく1年に

 今やすっかり県民におなじみのタレント、魅川憲一郎さん。実は最初はアイドル歌手志望だったとか!? 現在に至るまでの魅川さんの半生、歌や芸にかける思い、そして今年の抱負を聞きました。

アイドル歌手志望からそっくりタレントへ

 まずは、デビューするまでのお話を聞かせてください。

 物心ついた時から芸能関係のお仕事がしたいというイメージがあって……。歌も好きだったから、最初はアイドル歌手を目指してアクターズスクールに通っていたの。18歳の時、1年間テレビのMC(司会)のお仕事をやらせてもらったんだけど、その後東京のあるプロダクションの人の目に留まってスカウトされたのね。で、19歳でスクールをやめて東京に。デビュー曲まで決まっていたんだけど、なんとプロダクションが倒産しちゃったのよ!

 それはひどいですね〜。

 人間不信になって沖縄に帰ってきて、サラリーマンは向いてないと思ったから、洋服の販売員になって。そこで人生の転機が訪れたの。あるパーティーの余興で、男2人で女装してパフィーのものまねをやったら、それが大受け。人前でものまねを披露したのはそれが初めてだったんだけど……。そこでものまね心に火がついたのね。

 えっ、美川憲一さんではなくてパフィー?

 美川さんのものまねを始めたのは、その少し後。ちょうどそのころ、沖縄で開かれた美川さんのコンサートを見に行って、この人のものまねをやってみたいと思って。で、お世話になったブティックのオーナーの誕生日パーティーのサプライズで、美川さんのものまねを披露したのね。

 そしたらオーナーがすごく喜んでくれて、「これを仕事にしたら?」と勧めてくれたんです。

 さすがですね!

 でもね、当時は似てなかったのよ〜(笑)。そのころ一度、美川さんのものまねでテレビに出演させてもらったんだけど、その録画テープを見て愕然(がくぜん)。実際の美川さんとは違っていて、ショックを受けました。

妖艶さで魅(み)せたい

 その時、私は本物の美川さんを見ていなかったことに気付いたの。それからファンクラブに入ってコンサートやディナーショーを見に行って、美川さんのメークや話し方、立ち居振る舞いを研究し、自分とどこが違うんだろうと考えました。

そこで自分なりの美川さんをつかんだのですね。

 美川さんのものまねをやる人って、コロッケさんの影響でコミカルに演じがちなのね。でも、私は面白いだけではダメだと思った。美川さんの魅力は妖艶さ。私も五感を駆使して美川さんの妖しい魅力を再現して、まるで本物を見ているような錯覚を起こさせる仕事をしていきたいって思ったのよ。それで芸名も「魅」の字が入った「魅川憲一郎」にしたの。それが30歳の時ね。

苦労した時代もあったそうですが……。

 衣装代には苦労したわね(笑)。全部自前だから、デビューしてしばらくは衣装代貧乏。でも自分で納得がいかないものを着るわけにはいかないし、次につなげたいという思いで衣装にはこだわり続けました。おかげさまで少しずつお仕事が増えて、本物の美川さんにも「アンタ、頑張んなさいよ」と言ってもらえました。

CDも出されていますね。

 美川さんにやっとお会いできた時、「もう10年もやってるんだから、そろそろ自分の世界も大切にしないとダメよ」という言葉をいただいて……。その言葉に背中を押されて発表したのが「かに座のおとこ」。この歌は自分で作詞もして、「魅川憲一郎」の世界を表現したつもり。

 私ね、歌が好きだから、ふざけないで真剣に歌いたいと思っているの。「かに座のおとこ」のCDに同時収録の曲「翼ひろげて」は、ものまねを抜きにして歌を聞いてもらいたいと思い、あえて美川さんっぽく歌いませんでした。

今年の抱負を一言。

 昨年は私にとってミラクルなことがたくさんありました。今年も、鳥のように翼をひろげて、華麗に羽ばたくわよ〜!!



プロフィール

みかわ・けんいちろう 
 1969年7月7日7時頃に生まれた「かに座のおとこ」。浦添市出身、血液型はA型。子どものころアイドル歌手を目指すも、諸般の事情で挫折。アパレル販売店の店員を務めた後、30歳の時から、歌手・美川憲一のそっくりタレントとして活動を開始。沖縄を拠点にテレビ、ラジオ、ディナーショーなどで幅広く活躍し、今年でデビュー18年目を迎える

撮影協力:タマナハダンススタジオ (那覇市壺屋2-18-6 ☎098-855-3865)

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魅川憲一郎
写真 喜瀨守昭(サザンウェイブ)
魅川憲一郎
アイドル歌手を目指していた頃の魅川さん。ジャニーズ系の美青年です!
魅川憲一郎
初めて美川さんのものまねをした頃。「美川さん本人をちゃんと見ていなくて、似てなかったのよ〜」とは魅川さん本人の談。確かに今のスタイルとはだいぶ違っています
魅川憲一郎
魅川さんと一緒に表紙を飾ったオオハナインコのきょうだい、メロン(♂、左)とルビー(♀、右)。タマナハダンススタジオ主宰の玉那覇強さんが卵をふ化させ、ひなから育てたそう。ともに現在7歳ですが、オオハナインコは長生きで、およそ40年も生きるとか
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