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[No.1631]

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「表紙」2016年07月28日[No.1631]号

父娘日和

父娘日和 17



イラストレーター 仲地 のぶひでさん
県立芸術大学美術工芸学部
美術学科・絵画専攻 仲地 華さん

アートで親子の会話

 イラストを描き、自作の曲「山原や」を発表し、役者としても舞台に立つ。20代の仲地のぶひでさんはその分野で「遊ぶ」ように才能を発揮した多才な人だった。本職は、40年来イラストレーター。他とは一線を画す細密なタッチで数々の受注に応える現役だ。のぶひでさんのアトリエでは、3人の子どもたちが幼いころから専門の画材を使って遊んでいた。イラストを描く父の背中を見て、子どもたちは自然にグラフィック、ファッション、アートの道へ。次女の華さんはのぶひでさんの夢だったキャンパスライフを謳歌(おうか)する画学生となった。



創作の根源に家族愛

 美術部に所属し油絵を夢中で描いた高校時代。仲地のぶひでさんはギターを弾きながらも、「たまらなく美大で学びたかった」と振り返る。 自力で道を開こうと、高校卒業後上京し、自動車工場で働いた半年の間に学資金を蓄え、デザイン専門学校で学んだ。

 当時故郷を思い出しながら生み出したのが名曲「山原や」である。 2年ほどグラフィックデザインの技術を習得して戻り、作品を持ち込んだ広告代理店に採用されてイラストレーターの道を突き進んだ。

 軸足を会社勤めのイラストレーターに置く一方、のぶひでさんは独自の音楽世界を築いたり、沖縄のお笑い界の先陣を切った「笑築過激団」の舞台に立ったりして「遊ぶ」才能を発揮する場を広げた。

エネルギーを放電するような20〜30代を経て、イラストレーターとして独立。ファッションデザイナーの久美子さんと出会い、守るべき家庭を得てのぶひでさんは精力的にイラストを描き、個展を開催する中から「焦墨画」という新たな画風を打ち出した。

 斬新な技法と打って変わった画風が注目され、のぶひでさんは県内外で個展を重ねた。

画材で遊ぶ子どもたち

 父がイラストの創作に励むころ、1男2女の子どもたちは遊び盛りの小・中学生。今に言う「イクメン」であったのぶひでさん。保育園の送り迎えや学校行事に積極的に参加した。子どもたちには惜しみなく絵の具やキャンバスを与え、仕事道具である画材で遊ぶことを禁じる父ではなかった。子どもが通う学校から壁画制作やデザイン学校・県立芸大講師を依頼されることもあり、イラストレーターとして教育現場に関わることも。

 県立芸術大学でファインアートを学ぶ華さんは、「父に絵を描きなさい、勉強しなさいと言われたことはない」と言い、進学は自身の選択のよう。 長男の脩(しゅう)さん(25)は3Dデザインの職種に就き、長女の彩さん(23)は久美子夫人と同じファッションデザイナーである。「英才教育をしたわけでもない。子どもたちと遊び、同じ世界にいて話が合うのがうれしい」と目を細める。

娘の進路、父のサポート

 「父がいなければ絵の道に進むことはなかった」と笑う華さん。アートの道を志す背中をのぶひでさんが力強く押してくれた。数々の絵画コンクールで受賞し開邦高校美術コースを受験すると聞いて、のぶひでさんは華さんのデッサン力を試した。

 「ある程度は描けているだろうが、私の目からみるととても合格レベルではなかった」

 それからのぶひでさんの猛特訓が始まった。認められる技術なのか、クリアすべき条件を想定して課題を根を上げるほど描かせたという。

 「初めて父がイラストレーターでよかったと思った」と、合格した華さんは屈託なく笑う。さらに華さんは言う。

 「父から『描く』と『描ける』の違いを教えてもらった。小さいころは純粋に『描く』ことに喜びを感じていたが、技術を身に付けることで『描ける』表現の可能性を見出すことにつながった」

 華さんは今、県立芸術大学で油絵を専攻する画学生。理論と実践を習得してほしいと、入学を勧めたのものぶひでさんだ。「俺こそ一番やりたかった。美大で絵を描きながらキャンパスライフを送りたかった」と、自身の青春の夢を体現する華さんをうらやむ。

 「華には自由な発想を生かして世に問うほどの作品を作ってほしい」と、自身の経験から、テーマを持って作品を発表することから見えてくる将来の道筋を説く。のぶひでさんには、幼稚園児のころ見舞われた「宮森小学校米軍機墜落事故」がテーマの課題が残っている。

(伊芸久子)



プロフィール

なかち のぶひで
 1953年宜野座村生まれ。1977年頃からグラフィックデザインの仕事を始め、同時に自作楽曲「山原や」を発表しシンガーソングライターとして活動。「笑築過激団」の設立に参加し演劇活動を並行。1993年「イラステーション」を設立。イラストレーターとして独立する。海洋博記念公園、首里城公園、絵本など各クライアントのイラストを制作。琉球銀行本店ロビーでの「イラスト原画展」を皮切りに個展、展示会を開催。現在、沖縄市でイラスト制作活動中

なかち はな
 1995年沖縄市生まれ。開邦高校美術コースを卒業。県立芸術大学美術工芸学部美術学科・絵画専攻油画3年次在学中。2015年5月県内外、海外の他大学と合同ドローイング展覧会「ドローイング2015」出展、同年10月多専攻合同交流展覧会としてグループ展「うずら。展」開催。2016年2月「絵画専攻2・3 年進級展」などに出展。現在もさまざまな試みを重ね、制作に励んでいる

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仲地 のぶひでさん 仲地 華さん
「怒ったら怖い父。道を正してくれる人」と、華さんののぶひでさん評。2月に初孫が生まれたのぶひでさん。「孫の世話にシフトしている」と笑う。華さんは9月にドローイング展を予定している=沖縄市にあるのぶひでさんのアトリエ「イラステーション」 
写真・村山望
仲地 のぶひでさん 仲地 華さん
与那覇岳で家族一緒に日の出拝 2000年
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沖縄こどもの国で子どもたちとスケッチ 2003年
仲地 のぶひでさん 仲地 華さん
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仲地 のぶひでさん 仲地 華さん
県立芸大2年時の華さんの作品「不一致」
仲地 のぶひでさん 仲地 華さん
のぶひでさんの作品「紅三線キジムナー」
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