沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1624]

  • (金)

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「表紙」2016年06月09日[No.1624]号

父娘日和

父娘日和 10



南米音楽家 シルビオ・モレノさん
ギタリスト 実美・エストレジータ・モレノさん

不屈の精神で音楽奏でる

 ゆいレール美栄橋駅からほど近い那覇市前島にある南米料理と音楽の店「ペーニャあまんかい」。ここはアルゼンチン出身のフォルクローレ(民族音楽)奏者、シルビオ・モレノさん(73)一家の音楽活動の拠点だ。1979年軍事政権下の祖国を去り、沖縄にたどり着いたシルビオさんは波乱に満ちた人生を歩んできた。現在パーキンソン病と闘う彼を支えるのは、ともにグループで演奏する妻の祐子・リンダ・モレノさんと娘の実美・エストレジータ・モレノさん(20)。数々の困難を乗り越え、家族ともに哀愁を帯びたフォルクローレの音色を響かせる。



独裁政権下の祖国逃れ沖縄に

 シルビオさんがギタリストになることを決意したのは7歳の時。近所のラジオから流れるフォルクローレを聴いたのがきっかけだった。両親は貧しい生活の中、息子のために必死に働き、食事も削り、2年後にギターを買ってくれたという。

 11歳の時、国立音楽大学の門を叩いた。「聴講生としてギターを学ばせてほしい」と直談判。断っても泣いて帰らない少年の熱意に負けた学長はギターの教授を連れてきた。独学で学んだギターを弾くと、教授は「一番悪い生徒だから、今から教室に来て黙って授業を聞きなさい」と言った。人生が大きく動き始めた瞬間だった。

 12歳からはラジオでプロデビュー。クラシックギタリストとして順調に活躍していた。15歳の時、同年代の少年3人に誘われ、フォルクローレのグループを結成。17歳でレコードデビューも果たした。

 18歳で幼なじみのアントーニャと結婚。仕事も私生活も順調だった。しかし、20歳の時、臨月の妻を突然交通事故で失ってしまう。深い悲しみの底にいたシルビオさんを救ったのは、周りの人たちの励ましだった。再び音楽に打ち込み始めると、数々の賞を受賞。その才能は評価された。

 しかし、時代は軍事独裁政権の真っただ中。民衆の心を代弁するフォルクローレは弾圧され続けた。シルビオさんはペルーやボリビアに活動の拠点を移した。ボリビアではテレビに出演したり、音楽大学で教壇に立ったりもした。そんなある日、音楽教材の調達のためアルゼンチンに戻ったところを秘密警察に捕えられ、拷問によりギター演奏に不可欠な両手の小指を折られてしまう。

家族でグループ結成

 命も危ない状況を知り、手を差し伸べてくれたのは以前アルゼンチンのラジオ局で一緒に働いていた沖縄出身の友人だった。「『オキナワ』に行けば大丈夫」。1979年、危害が周りに及ぶのを恐れ、誰にも告げず祖国を逃れた。

 手のリハビリをしながら、沖縄で音楽の仕事を始め、日本各地でも演奏。活動の場を広げた。1982年に「ペーニャ」(音楽酒場)をオープン。国内外からやってくる多くの人たちのよりどころとなった。

 その後は、沖縄音楽の研究で沖縄に来ていた横浜出身の祐子さんと出会い結婚。95年には娘の実美さんにも恵まれた。

 フォルクローレを演奏する両親を間近で見てきた実美さんは、自然と音楽に親しむように。幼い頃はアルゼンチンの童謡を父の演奏に合わせて歌っていた。7歳の時「ギターを弾いてみたい」という実美さんに、父は小さなギターを与え、指導してくれた。高校1年生の時には、県高等学校音楽コンテストのギター演奏の部で優勝を飾った。

 現在、フォルクローレのグループ「パマルカ」のメンバーとして家族で活動。昨年は日本代表として、世界最大のフォルクローレの祭典「コスキン・フェスティバル」出演も果たした。



音楽が救ってくれた

 シルビオさんにさらなる試練が訪れたのは約18年前。ギターを弾く手が震え始め、パーキンソン病と診断される。「今までできていたことができなくなり、ギターを弾きたくないと思った」と振り返る。打ち込みの音に合わせて歌っていたこともあった。でも、聴いてくれる人たちがそれでは満足してくれないことに気付いた。現在、ほぼ毎晩、自分の店でギターを弾いている。

 「父ができない部分は、補おうという気持ちでやっている」と実美さん。演奏中は母とともに父をフォローする。

 「僕は音楽がなければ死んでしまう。この病気も音楽がなければ乗り越えることができなかった」と話すシルビオさん。運命を左右したフォルクローレに今度は救われた。

 シルビオさんが家族と演奏を始めると、病を抱えているとは思えない、エネルギーに満ちあふれた音が響き渡った。どんな困難にも屈しない音楽家の姿がそこにあった。

(坂本永通子)



プロフィール

シルビオ・モレノ
 1943年アルゼンチン・サンタフェ州生まれ。12歳でクラシックギター独奏者としてラジオデビュー。17歳アルゼンチン・リトラル国立音楽大学を最年少で卒業。アルゼンチンの国民的女性歌手メルセデス・ソーサのギタリストとして活動した他、多数のアーティストと共演。カンヌ映画祭外国映画音楽部門での銀賞受賞をはじめ、受賞歴多数

ミミ・エストレジータ・モレノ
 1995年那覇市生まれ。5歳の時、キューバのアマデオ・ロルダン劇場にてハバナ少年少女合唱団と共演。2006年デュオ・パマルカ日本ツアーにギタリストとして参加。2011年第40回県高等学校音楽コンテストギター演奏の部で金賞を受賞。2014年「パマルカ」として「コスキン・エン・ハポン」で優勝、日本代表に選ばれ「コスキンフェスティバル」に出場

南米料理と音楽の店 ペーニャあまんかい
那覇市前島1-5-7 ☎098-862-6055
営業時間=18時〜翌1時



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シルビオ・モレノさん 実美・エストレジータ・モレノさん
フォルクローレを演奏するシルビオ・モレノさん(右)と娘の実美・エストレジータ・モレノさん=那覇市前島の「ペーニャあまんかい」
写真・喜瀬守昭(サザンウェイブ)
シルビオ・モレノさん 実美・エストレジータ・モレノさん
モレノさんと2歳ごろの実美さん
シルビオ・モレノさん 実美・エストレジータ・モレノさん
成人式に出席した実美さんとシルビオさん
シルビオ・モレノさん 実美・エストレジータ・モレノさん
アルゼンチンで開催された世界最大のフォルクローレの祭典「コスキン・フェスティバル」で演奏する(左から)シルビオさん、実美さん、祐子さん
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