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[No.1612]

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「表紙」2016年03月17日[No.1612]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 49



パッチワーク・キルトショップ ハートランド
喜屋武 勝子さん
比嘉 榮子さん

互いの人生を縫い合わせて

 小さな布をパッチワークで縫い合わせ、一枚の大きな布に仕上げる手芸、キルト。布の組み合わせから生まれるパターン、裏布との間に詰めた温かみのある木綿の感触が魅力だ。嘉手納町でパッチワーク・キルトショップ「ハートランド」を営む喜屋武勝子さん(55)は、まだ沖縄でその言葉すら知られていなかった時代からキルトに夢中になり、普及に取り組んできたパイオニア。洋裁師だった母・比嘉榮子(75)さんは、そんな勝子さんを励まし、支えてきた。「母が手伝ってくれるからやっていける。母娘で仕事ができて幸せです」と勝子さんは笑顔を見せる。



一緒に働けるのが本当に幸せ

 嘉手納町水釜のパッチワーク・キルトショップ「ハートランド」。そこは、カントリー調のインテリアで埋め尽くされた夢の空間だ。フローリングの床、木製の家具、そして色とりどりのキルト—。喜屋武勝子さんが抱くアメリカ文化への憧れが形になっている。

 勝子さんの夢の種となったのは、洋裁師として米軍のベース内で働いていた母・比嘉榮子さんが家に持ち帰る米国雑誌だった。そこに描かれた温かいカントリーの世界に魅せられたのが勝子さんの原点となった。



母の励ましと応援

 洋裁師という母の仕事柄、勝子さんは生まれた時から糸、針、布に囲まれて育った。「パッチワークやキルトを知らないうちから布切れをつなぎ合わせて遊んでいましたね」と笑う。

 生まれ育った嘉手納町には米軍住宅も多く、時折庭に干される不思議なつぎはぎの布を見て「何だろう?」と思っていた。それがキルトと呼ばれるものだと知ったのは、母の友達がプレゼントしてくれた本からだった。

 やがて勝子さんの心にキルトへの強い興味が生まれたが、沖縄ではまだ、キルトやパッチワークという名前すら知られていない時代。高校在学中に通信講座でキルトを学ぶうち、「本格的にやってみたい」との思いが募り、19歳で東京へ出ることを決意。原宿パッチワーク・キルトスクールで2年間学んで帰沖し、21歳でキルト教室を開講した。

 「キルトの学校に通うのは、父は反対だったんです」と振り返る勝子さん。だが、そこで助け舟を出してくれたのが榮子さんだ。当時、ブティックの経営に乗り出し、買い付けで東京にもよく訪れていた榮子さんは、キルトが流行の兆しをみせていると知っており、「これなら大丈夫」と娘を励まし、応援したという。

 帰沖後の勝子さんはキルト教室を行う一方、布の買い付けに訪れたアメリカで、各地のキルトフェスティバルにも積極的に参加。キルトの普及と研究に意欲的に取り組み、1986年、26歳にして榮子さん、妹の幸子(ゆきこ)さんと3人で「ハートランド」をオープンし、沖縄で初の本格的なパッチワーク・キルト展を開催した。 さらに30歳の時には、米国ヒューストンで開かれた「アメリカン・インターナショナル・キルトフェスティバル」で、米国外からの応募者として初めてピースハンドキルト部門「ブルーリボン賞」「創設者賞」を受賞し、キルト作家・講師としてのキャリアを順調に重ねていった。榮子さんはブティックを閉め、勝子さんの活動を全面的にサポートし続けた。

目指すものが同じ2人

 「母は、『ハートランドのお母さん』と呼ばれているんですよ」。真面目でどちらかといえば寡黙な勝子さんは、おしゃべり好きで、誰とでもすぐ仲良くなる榮子さんに助けられている、と話す。布の縫い合わせ作業も素早くこなす榮子さんは、勝子さんの作品作りにとってもなくてはならない存在となっている。

 「母と私は感覚が同じなので、あれがすてきだね、かわいいいね、と言い合える。母娘でこんなに一緒に仕事ができて、本当に幸せだと思っています」という勝子さんの言葉に、「それが一番だね」と榮子さんもうなずく。

 「意見が合わない時はけんかすることもあるけど、やっぱり目指しているものが一緒だから、そのうち仲直りしているよ」と榮子さん。

 2人の夢は一緒にキルトの作品展を開くこと。母娘はこれからも共に、お互いの人生をパッチワークのようにつなぎ合わせていくだろう。 

(日平勝也)



プロフィール

きゃん・かつこ
 旧姓・比嘉勝子。1960年生まれ。洋裁師だった母の影響を受け、幼少期から布に囲まれ育つ。高校卒業後、東京の原宿パッチワーク・キルトスクールで学び、1986年に母の比嘉榮子さん、妹の幸子さんと共にパッチワーク・キルトショップ「ハートランド」をオープン。1990年、アメリカ・ヒューストンで開かれた「アメリカン・インターナショナル・キルトフェスティバル」のピースハンドキルト部門で「ブルーリボン賞」「創設者賞」をアメリカ国外の応募者として初受賞。県内外の展覧会や専門書にも作品を多数発表し、講師としても活躍中

ひが・えいこ
 1939年生まれ。洋裁専門学校で洋裁の技術を習得後、米軍ベース内で洋裁の仕事を行う。30代で洋裁店を開き、40代でブティックを経営後、「ハートランド」で長女・勝子さんの活動を支える

パッチワーク・キルトショップ ハートランド
嘉手納町水釜6-2-2 ☎ 098-956-2442
営業時間=10〜18時 定休日=日曜
ホームページ www.heartland-oki.com



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パッチワーク・キルトショップ  ハートランド
国際的なキルトフェスティバルの受賞作となった大作「トラディショナル・オン・パレード」を背に、縫い物に励む喜屋武勝子さん(左)と母の比嘉榮子さん(右)=嘉手納町水釜「ハートランド」 
写真・村山 望
パッチワーク・キルトショップ  ハートランド
ハートランド店内2階ギャラリー。カントリー調のインテリアが温かい雰囲気を醸し出す
パッチワーク・キルトショップ  ハートランド
1990年、国際的キルトフェスティバルで受賞したころの勝子さん(左)と妹の幸子さん
パッチワーク・キルトショップ  ハートランド
勝子さんは1996年に台湾でもキルト講師を務めた
パッチワーク・キルトショップ  ハートランド
勝子さんの娘・喜屋武鈴子(りんこ)さん(15)と共に、イギリスの湖水地方で。母娘で一緒に海外を旅することもある
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