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[No.1594]

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「表紙」2015年11月05日[No.1594]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 32

すみれ服装学院 学院長 新嘉喜 順子さん
モードサロンすずらん デザイナー 村山 美子さん
すみれ服装学院 講師 屋冨祖 京子さん

いつまでもおしゃれな母でいて

 今年で創立67年を迎えた那覇市壺屋の「すみれ服装学院」は、戦後間もなくトタン屋根の教室から始まった。当時は「すみれ洋裁講習所」の名称で、学院長の新嘉喜順子さん(97)が設立。講習所には洋裁の技術を学びたいと多くの人が押し寄せたという。物資不足の時代。洋裁に欠かせない布は、米軍払い下げの軍服などをほどいて再利用した。オーダーサロン&セレクトショップを営む長女・村山美子(みいこ)さん(73)と同学院の講師を務める三女・屋富祖京子さん(69)は困難な時代を乗り越え、長年にわたり洋裁の道を歩んできた母を尊敬し、誇りにしている。



歩み続けた 洋裁の道

 「これからの時代は何か技術を持っていた方がいい。こっちに来て洋裁を学んだら?」

 東京で教師をしていた姉からそう言われた順子さんは、1937年、県立第三高等女学校を卒業後、東京の文化服装学院へ入学。洋裁の知識と技術を身に付けた。

 帰沖後は一時期、出征軍人の妻たちに洋裁を教えていたが、しばらくして結婚。当時、軍人だった夫・長佳(ちょうが)さんの赴任に伴い佐賀へ移り住む。順子さんは近所の人に洋裁を教え、月謝の代わりに米をもらい、まだ幼い長女の美子さんと福岡まで売りに出掛けたという。

 終戦直後、一家は沖縄に引き揚げた。現在のモノレール牧志駅近くに「すみれ洋裁講習所」を開校したのは1948年。終戦からわずか3年後のことだった。主な授業内容は、米軍払い下げのパラシュートでウエディングドレスなどを制作すること。そのころの女性にとって、家族の衣服を賄うために米軍払い下げ品などをリメークする裁縫技術は重宝したそう。

 順子さんは女3人、男3人の子どもに恵まれる。手に職を持ち、家計を助け、6人の子どもたちを育て上げた順子さんを「とても尊敬できる人」だと娘2人は口をそろえる。「父は厳しい人だったから、時間通りにご飯ができていないと怒った。だからどんなに仕事が忙しくても母は時間になると食事の用意をしていた」と話す美子さん。子どもながらに母を気遣っていたという。



母の作る心地良い服

 事業家の父と洋裁学校を経営する母の下で、子どもたちは何不自由なく育てられた。

 「母は洋服や着物も作ってくれた。既製品とは違って着心地が良く、友達からは『かわいい! どこで買ったの?』と聞かれましたよ」と京子さんは話す。

 美子さんと京子さん、そして弟の長衛(ちょうえい)さんは子ども時代、順子さんの作った服を着て那覇琉米文化会館で開催されたファッションショーに出たこともある。その当時は洋裁学校が主体となって国際通りにあった国映館などでもファッションショーを催し、多くの人を魅了した。美子さんは「今より、おしゃれをしたいという人が多かったように思う。まだ終戦間もないときで、特に女性はきれいになりたいって思っていた時代だったんじゃないでしょうか」と華やかな思い出を振り返った。

「好き」の一心で

 美子さんと京子さんにとって、母と同じ道をたどることは自然なことだった。2人とも東京の文化女子短期大学の服装科と被服専攻科で学び、順子さんの経営する洋裁学院と洋装店をともに支えてきた。学院の業務を引き継いだ京子さんはことあるごとに母に相談し、指示を仰ぐ。一方、美子さんは同学院の講師として10年勤務した後、独立。現在は那覇市泊に設立した「モードサロンすずらん」で娘のおりえさんとともに働いている。

 昨年はカジマヤーを家族に祝ってもらったという順子さん。夫との間に6人の子どもが生まれ、それぞれ伴侶を得て14人の孫ができた。さらにひ孫が18人いる。順子さんは「やり残したことはありません。今はおまけの人生みたいなもの。子や孫も一人前になってくれたし、あとはひ孫が元気に育ってくれたらいい。それが私の希望です」と笑顔を見せる。

 「好き」の一心で続けてきた洋裁。順子さんの手は右手の方が大きくてしっかりしている。何十年もの間、はさみを使い働いてきた手だ。

 京子さんは「長年、母と一緒に仕事ができていることが何よりも幸せです」と感慨深い。美子さんは「親の恩は倍返ししないといけないと思っています。いつまでも母にはきれいでいてほしいですね」とほほ笑み、おしゃれな母に視線を向けた。

 (𥔎山裕子)



プロフィール

あらかき・じゅんこ
1918年、今帰仁村出身。1939年、東京文化服装学院卒業。1948年「すみれ洋裁講習所」を開校。1951年、那覇市壺屋に移転し「すみれ服装学院」に改名。1967年、沖縄南部地区洋装店協会を設立し現在は名誉会長。服飾教育功労賞、服飾教育文化賞など受賞

むらやま・みいこ
1942年、那覇市出身。文化女子短期大学卒業。「すみれ服装学院」の講師を10年務めた後、独立。現在は那覇市泊の「モードサロンすずらん」を経営

やふそ・きょうこ
1946年、那覇市出身。文化女子短期大学卒業。「すみれ服装学院」講師

すみれ服装学院
那覇市壺屋1-7-5 ☎098-863-1611

モードサロンすずらん
那覇市泊1-18-3 ☎098-866-0120



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すみれ服装学院
新嘉喜順子さん(中央)と長女の村山美子さん(左)、三女の屋冨祖京子さん。順子さんの着ているアンサンブルは京子さんがデザインした=那覇市泊「モードサロンすずらん」 
写真・村山 望

すみれ服装学院
2000年、服飾教育文化賞受賞。順子さんの着ている服は美子さんがデザインしたもの
すみれ服装学院
1950年代、ファッションショーに参加した(左から)順子さん、美子さん、京子さん。前列中央は長男の長衛さん=那覇琉米文化会館
すみれ服装学院
2014年2月。順子さんのカジマヤーのお祝い。子や孫、ひ孫に囲まれて盛大に開かれた
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