沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1721]

  • (日)

<< 前の記事  次の記事 >>

「島ネタCHOSA班」2018年04月19日[No.1721]号

還暦デビューの演歌歌手

 那覇市西にある料理屋のカラオケで演歌歌手がたまに歌っているそうです。うわさによると60歳で全国デビューしたとか。とても気になるので調査お願いします。

(糸満市 演歌好き姉さん)

還暦デビューの演歌歌手!?

 演歌にはあまり詳しくない調査員ですが、60歳で全国デビューした経緯などとても興味があります。依頼主によると、うわさの演歌歌手は那覇市西の「沖縄家庭料理&酒処 かみゅう〜」に出没するとのこと。電話してみると、運良く本人がいらっしゃり、後日、会う約束を取り付けました。

苦しみを乗り越えて

 数日後──。約束の場所に伺うと、優しい笑顔で現れたのは演歌歌手の米藏一正(かずまさ)さん。

 さっそく、お話を聞かせてもらいました。

 「大阪の大学に在学中だった20歳の時、『橋幸夫の集い・のど自慢大会』に出場して優勝しました。そのときに歌の道へ進もうと思ったんですが、当時は資金もなくあきらめていたんです。でもいつかは歌手になりたいという思いがあったので、発声練習など歌唱力を磨く努力は続けていました」

 米藏さんは与那国島の久部良出身。幼い頃から歌が好きだったそうです。

 「港に定期便の船が入ってくると、その船から流れる流行歌をよく聞いていました。船が3日ほど停泊している間に、好きな歌はすぐ覚えましたよ」と子ども時代の思い出を話してくれました。

 「実は小学3年生から中学1年生まで、ある病気にかかり隔離されていたことがあります。そんな私を不憫(ふびん)に思ってか、母は病気の私を連れて崖から飛び降り自殺を図りました。幸いにも命は助かったのですが、私の病気に対する周囲の偏見はものすごく、完治したあとも差別されることがありました。でもそんなときに私たち親子を救ったのが橋幸夫さんの歌でした。歌を聞くたびに元気をもらい『歌手になろう!』と夢をみることができました」

 米藏さんは苦しみながらも「何くそ」と頑張ってきたといいます。

 「橋幸夫さんは命の恩人。ぜひ会いたいと思い、新聞奨学生制度を利用し大阪の大学へ入学しました。橋さんの後援会の青年部に入り、ご本人に会って話をする機会もできました」

 大学時代にはチャンスはあったものの歌の道へは進めずにいた米藏さん。長い年月がたち、還暦を迎えてようやく「やりたいことをやろう!」と決意し、日本歌手協会のオーディションを受けて見事合格。

 2012年、全国デビューを果たしたそうです。

 「長い間、耐えて耐えて、ついに爆発した」と米藏さんは振り返ります。デビュー曲の「久部良大漁音頭」は米藏さんの希望で「カジキ」や「金比羅」など久部良にちなんだ言葉を歌詞に盛り込んだそう。故郷を全国に紹介したいとの思いが詰まった渾身(こんしん)の歌になったといいます。

夢は紅白歌合戦!

 現在、米藏さんは東京を中心に活動中。県内でも那覇ハーリーなどのイベントで歌ったり、コンサートを開いたりしているとのこと。その合間に、妻の昭子さんがオーナーを務める「かみゅう〜」で歌うこともあるそうです。

 米藏さんに夢をかなえた気持ちを尋ねると、「人生いろいろあって難儀だったけど、歌を聞いて喜んでくれる人がいるので楽しい。人さまからお金をもらうということは毎日が特訓ですけどね。芸事に終わりはなく日々精進です」と話します。

 そして次なる夢は「NHKの紅白歌合戦に出ること。夢を見るなら大きい方がいいでしょう?」と満面の笑みを浮かべます。

 最後に調査員は、一節歌ってくださいとお願いしちゃいました。一瞬照れたような顔をしながらも喜納昌吉さんの「花 〜すべての人の心に花を〜」を心を込めて歌ってくれました。

 60歳で花開いた米藏さんの歌手人生。今後さらなる飛躍を期待しています!



このエントリーをはてなブックマークに追加


還暦デビューの演歌歌手
演歌歌手の米藏一正さん
還暦デビューの演歌歌手
「久部良大漁音頭」の衣装に身を包み勇壮に歌う米藏さん
還暦デビューの演歌歌手
ステージでは日本新舞踊大河流皐月会師範でもある妻の昭子さんも花を添えます
>> [No.1721]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>