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[No.1662]

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「島ネタCHOSA班」2017年03月02日[No.1662]号

沖縄最後の映画看板職人

 那覇市の桜坂を歩いていると、よく昔の映画の看板を見かけます。聞くところによれば、沖縄最後の映画看板職人さんやそのお弟子さんが描いているそうですね。描き方を教えてくれる塾もあるようなので調べてください!

(西原町 ウエストきついストーリーさん)

沖縄最後の映画看板職人!?

 そういえば、調査員も桜坂で、往年の映画スターを描いた看板を見たことがあります!
「昔の看板がそのまま残っているのかな」と思っていましたが、最近になって描かれたのでしょうか?

喜名景昭さんの講座

 調べてみると、「沖縄最後の映画看板職人」とは、喜名景昭さん。喜名さんは週に1回、桜坂劇場が運営する「桜坂市民大学」で「映画看板職人の絵描き塾」と呼ばれる講座を開催しているそう。

 さっそく喜名さんとコンタクトをとってみると、「桜坂劇場で教室をやっているので、そこでお会いしましょう」との返事。

 というわけで、桜坂劇場の教室を訪れた調査員。出迎えてくれた喜名さんの後に続き、ドアをくぐると――。

 中には、大小の看板がズラリ。吉永さゆり、石原裕次郎、といった映画スターばかりでなく、千代の富士や矢沢永吉の看板も混じっています。

 「映画の看板は、ポスターの写真を原図として描きます。ポスターの構成要素を分解して、看板のサイズに合うよう組み合わせて画面構成を決めるんですが、もちろん映画スターは原図そっくりに描かなければいけません」と喜名さん。

 ええっ、でもポスター通りに人物を描くのって難しくないですか?

 「映画看板には、そのための技法があるんです。まず、原図となるポスターや写真にマス目を引き、看板にも等倍になるようにマス目を引きます。そして、原図を見ながら、マス目ごとに内容を写し取っていきます」

 なるほど〜!

 「拡大技法と呼ばれるこの方法を使えば、何百メートルの看板でも自由に描けます。原図は映画スターに限らず、ミュージシャンでも家族写真でもかまいません。講座の参加者は、皆、自分の描きたい人物を描いていますよ」

看板にかける思い

 油絵画家でもある喜名さんは小さい頃から絵が大好きで、1966年、19歳の時に琉映(琉球映画貿易株式会社・当時)のアトリエ部門に映画看板職人として入社し、それから約40年の間、映画看板職人として働きました。

 「当時は8人ぐらい職人がいました。映画館も今のようなロングラン上映ではなく、週に1度は上映作品を替えていたから、1週間に2枚ぐらい描かないと間に合わない。忙しかったですよ」

 しかし、ある時期から映画看板は次第に姿を消していき、喜名さんが最後に残った職人の1人となってしまったとか。

 「それでもしばらくは仕事はあったんですけどね。でも10年ぐらい前に、琉映のアトリエ部門も閉鎖になってしまって……」

 そんな時、自分のアトリエに置いていた看板を見た人から声をかけられ、映画談義から恋愛の思い出話まで、昔話で大いに盛り上がるという出来事があったそう。

 「それで『このまま終わってはいけないな』と思い、後世に技術を伝えるために映画看板の講座を開くことにしたんです」

 講座は現在42期目。後継者も育ち、喜名さんが探してきた映画看板の製作依頼をお弟子さん筋に任せることも多いといいます。

 「桜坂かいわいのほか、牧志公設市場周辺、栄町、久茂地などにも依頼を受けて映画看板を設置しています。看板を見ると、おじい、おばあたーが青春時代を思い出して元気になるんですよ」と目を輝かせる喜名さん。これからも、どんどん映画看板が増えていくことに期待しましょう!



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沖縄最後の映画看板職人
沖縄最後の映画看板職人・喜名景昭さん(左)とお弟子さんの大城久喜さん。後ろの石原裕次郎の看板は大城さん作
沖縄最後の映画看板職人
お弟子さんや、講座の受講生たちの作品。ポスターや写真そっくりなのに驚かされます
沖縄最後の映画看板職人
喜名さんが運営する桜坂の映画バー「ヒーロー」の壁面にもお弟子さんの大城久喜さんが手がけた懐かしの映画看板が。
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