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[No.1607]

  • (金)

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「島ネタCHOSA班」2016年02月11日[No.1607]号

港から「ロッキーのテーマ」

 朝早く、那覇新港方面からロッキーのテーマが聞こえます。いったいどこで流しているのでしょうか?

(那覇市 港のヨーコ)

港から「ロッキーのテーマ」!?

 ロッキーのテーマといえば、映画「ロッキー」で流れるやたらテンションの上がる曲ですよね。ボクサーのロッキーがトレーニングをしている姿を思い出す人も多いはず。その曲が港の方から聞こえるとは、どういうことでしょう? とにかく、那覇港新港埠頭(ふとう)へGO!

閉塞感を打破!

 まずは、旅客待合所内で聞き込みを開始。港内の作業員らしき人から「荷役サービスという会社が、あの曲を流しているはずよ」という情報をゲットしました。待合所からほど近い場所にあるその会社は「沖縄荷役サービス株式会社」といい、港湾荷役業や船舶代理店業などを担っているそうです。同社を訪ねると「朝8時ごろにうちで流しています」とのこと。そこで、後日この耳で確かめてから、お話を伺うことになりました。

 数日後 。再び、やって来ました那覇新港。海を見つめ時を待つ調査員。すると!

 パ、パ、パンパカパーンパカパン〜♪ とトランペットのファンファーレで始まるあのロッキーのテーマが! 思わず持っていたかばんやカメラを放り出し、走りたい衝動にかられる調査員。おっと、いかんいかん。高鳴る胸の鼓動を抑え、沖縄荷役サービスへ向かうと、続いてラジオ体操の曲が始まりました。事務所から出てきた社員と、離れた場所にある倉庫の作業員は向き合う形で一斉に体操をしています。なんとすがすがしい光景なのでしょう。

 さっそく体操を終えたばかりの代表取締役社長・新垣益幸さんにお話を伺いました。

 「1999年ごろからロッキーのテーマをかけるようになりました。社員が元気になるようにと考えたのがきっかけです。実は当時、親会社だった有村産業が会社更生法の申請手続きをしていたころで、社内全体に閉塞(へいそく)感が漂っていました。それで、これじゃあいかん、と私も含めた当時の労働組合の役員で話し合ったんです。選曲は委員長をしていた宮城豊政さんという人です。暗い気持ちでラジオ体操を始めるよりも、いいんじゃないかなと」

 そのころ会社は社会的にダメージを受け、自分たちの仕事もどうなるか分からない状況だったといいます。三流ボクサーのロッキーが世界チャンピオンに挑み、倒れても立ち上がる。その姿を自分たちに重ね、踏ん張って来たんですね!

 「意識を変えることは大事。今日一日を精いっぱい生きるため、ロッキーからチャレンジスピリッツをもらいました」と熱く語ります。

 常務取締役の阿野一郎さんは「この曲をかけ続けるとともに会社も復活。社員の表情も明るくなり、活気が戻りました」と話します。ちなみに新年度から曲を変えようと検討しているそうです。

我々は常に挑戦者

 ところで周囲の反応は?

 「最初のころは通りかかる人が『何だ?』という感じでこちらを見ていましたよ。今ではすっかり周囲に浸透して、ラジオ体操になると他社の方々や港に停泊する船の船員も一緒になって体操しています」と笑顔で話す新垣さん。

 当初、ロッキーのテーマが流れることを知らされていなかった社員の比嘉美佐子さんは「突然だったので驚きましたが、会社があまり良くない状況でも元気があるんだという外へのアピールになったのでは?」と振り返ります。入社4年目の仲村修太さんは「私が入社したときは社員みんな元気で、力強そうな人ばかり。だから、あぁ、みんなロッキーなんだろうなと思いました」と笑います。

 最後に、新垣さんは「まだまだ発展途上。我々は常に挑戦者として、さらなる高みを目指しています」と力強い言葉。なるほど、ここでは社長をはじめ全員がロッキーなんだ! と感動した調査員なのでした。



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港から「ロッキーのテーマ」
「常に挑戦者」だという新垣さん(右)と阿野さん。社長室には「挑」の文字が
港から「ロッキーのテーマ」
安全第一。けがのないよう今日も一日頑張ります!
港から「ロッキーのテーマ」
仲村さん(右端)と比嘉さん(2列目右端)他、社員の皆さん
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