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[No.1558]

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「島ネタCHOSA班」2015年2月26日[No.1558]号

「花咲か爺さん」は、みかん農家

 本部町では、八重岳 の桜まつりの1カ月後にクメノサクラという白いサクラが咲いて、2度もサクラの花見ができると聞きました。年々開花する木は増えているそうです。現代版花咲か爺さんでもいるのでしょうか?

(那覇市 散り際のウバザクラさん)

「花咲か爺さん」は、みかん農家!?

 八重岳から那覇市与儀公園まで、南下するヒカンザクラの追っかけが恒例の調査員も、白いサクラは見たことがありません。「本部町花いっぱい推進協議会」へ電話で尋ねると、「まだ咲いていませんよ」と、素っ気ない返事。話を聞きたいのなら、みかん農家を紹介するというのです。みかん狩りじゃないのですけど〜。

記念木で人の縁を結ぶ

 とにかく、待ち合わせ場所の「伊豆味農村公園」へ。車でひた走り、着いたのは山あいの公園駐車場。敷地内には記念木として植樹されたらしいクメノサクラが整然と立ち並んでいます。案の定、花一つ見当たらず、北風にさらされる調査員。そこへ、現れたのは好々爺風の伊佐常信さん(80)。みかん栽培歴50年の農家です。

 「ここには接ぎ木で200本のクメノサクラを植えました。生年祝いを迎えた人、定年で当地の駐在所を離れるお巡りさん、102歳で沖縄を旅行した女性など、それぞれが記念に植えた木が多いです。

 年輪の数が多いヒカンザクラの台木に、芽が2つある2㌢ほどの穂木のクメノサクラを接ぎ木すると、翌年には花が咲きますからね、記念木の持ち主は花が咲いたかねぇと言って、伊豆味に来てくれるわけさ」

「えっ! 1年で花が咲くんですか?」

驚く調査員に、記念木を契機に伊豆味区内のクメノサクラは1000本に達すると平然と答える伊佐さん。

「伊佐さん、なぜそんなに接ぎ木が上手なんですか?」

「ここは寒いから公民館で話するよ」

車を発進させた伊佐さんを追って公民館へ。

みかん農家は接ぎ木の名人

 伊豆味公民館では、前述の「本部町花いっぱい推進協議会伊豆味支部」の会長を務める区長の伊良波幸秀さん(72)、事務局長の徳村政邦さん(71)を交え、久米島由来のクメノサクラが伊豆味で再生した話に花が咲きました。

 そもそもクメノサクラが伊豆味にもたらされたのは、40年ほど前。県農業研究センター名護支所の研究員であった宮城恒男さんが赴いた久米島から苗木を持ち帰り、伊豆味区に頒布したのが始まり。なぜ花が白いのかは定かではなく、彼岸のころに開花したので、「彼岸桜」と呼んだ時期も。当時、花を愛でるほど暮らしに余裕はなく、クメノサクラは区民の視界から姿を消す寸前でした。

 「そのとき、立ち上がったのが『18日会』の僕らだったわけさ」と伊佐さん。当時、毎月18日に教員や役場職員を定年退職した60代が模合を開き、伊豆味の白いサクラを絶やしてはいけないと、地域おこしと合わせて考えたのです。

 「18日会」の会長こそが伊佐さんで、みかん栽培で培った接ぎ木の技術でクメノサクラを再生させた、いわばキーマンとなったのでした。みかん栽培用の肥料を施した接ぎ木はよく成長し、見事な花を咲かせたそうです。20年前から花咲か爺さん(?)だったのですね。

 「18日会」のメンバーも高齢となり、組織は平成19年に区へ引き継がれることに。「昨年、久米島町へ200本ほど贈り、恩返しができた。また県の花と緑の名所づくりに選定されて盛り上がっていますよ」と、徳村事務局長。

 伊佐さん達が接ぎ木で花咲かせたのは、伊豆味の地域おこしと人の縁だったのです。

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「花咲か爺さん」は、みかん農家
100本ほどのクメノサクラを植樹した公民館の裏山を背に、伊佐常信さん(手前)と徳村政邦さん
「花咲か爺さん」は、みかん農家
ヒカンザクラの台木に接ぎ木したクメノサクラ。接ぎ木でない場合、成木までに5年を要するそうです
「花咲か爺さん」は、みかん農家
記念木が立ち並ぶ伊豆味農村公園
「花咲か爺さん」は、みかん農家
満開のクメノサクラ(農村公園)。根元から咲き始め、花は白からピンクに変わり、一片ずつ散るのが特徴。ことしの桜祭りは未定。
問い合わせ:本部町観光協会
☎0980-47-3641
(写真は平成26年3月2日現在)
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