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[No.1506]

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「島ネタCHOSA班」2014年02月20日[No.1506]号

昆布や塩、地名に食材

 うるま市にある「昆布」という地名は、食べ物の昆布と関係があるのですか? 調べてください。(男性、Tさん)

昆布や塩、地名に食材!?

意外な由来!

 うるま市昆布公民館は県道75号から集落内の路地を通り、大きな公園のそばにあります。現在、移転工事の最終段階で、3月に落成とのことですが、館内ではすでに業務が始まっていました。対応してくれたのは、自治会長の名嘉山兼順さんと区審議委員長の名嘉眞治夫さんです。

 —さっそくですが、地名は、海藻の昆布が由来ですか?

 「少し違います」と名嘉眞さん。

 「元々、昆布は隣の天願の屋取(ヤードゥイ)集落でした。屋取は首里から移住してきた士族が、土地を借りて住みだした集落のことで、昆布は1918年に天願から分離しました。

 この地域はくぼ地だったことから『クーブバル=くぼ地の原』と呼ばれていたそうです。1879年の廃藩置県のころに同じ発音の昆布という字が当てられた、というのが有力な説です。今でも、この地域を『クーブ』と言いますよ」

 —昆布は「くぼ地」から来たのですか。驚きです。

 「昆布が縁起の良いものだったということも、この字を選んだ理由と思いますよ」と名嘉山さんは付け加えました。

 なるほど。調査員の推測は外れましたが、無事に調査終了か…。でも確か、公民館に来るまでの道は緩やかな上り坂だったような。くぼ地のはずなのに不思議です。

 

—この公民館がある場所はくぼ地ではありませんよね?

 「公民館は何度か移転しています。戦前はくぼ地の底の方にあり、昔はその辺りが栄えていたんです」と名嘉眞さん。

 なるほど! ならば戦前の公民館があった所に行ってみたい! ということで、二人に案内してもらいました。

 公民館から車で出発。来た道を戻るように坂を下って、県道に出る手前で曲がり、集落内をさらに下っていきました。緩やかな下り坂が続き、5分ほどして、下りきった付近で車がストップ。「ここが昔、公民館があった場所です。建設中の公民館の辺りは昔、松林でしたよ」と名嘉眞さん。

 着いた場所は確かにくぼ地でした。今度こそ納得です!

 昆布の由来を聞いて満足した調査員は、帰路に着こうと地図を眺めました。と、うるま市内にもう一つ気になる地名を発見。「昆布」と同じように地名に食材が付く「塩屋」です。これも当て字なのでしょうか。うずうずしてきた調査員は、塩屋公民館を訪ねました。

生産地だった

 塩屋は中城湾側。公民館は県道16号に面しています。公民館では地域の歴史に詳しい新垣康博さんに話を聞きました。

 —塩屋の名前の由来を知りたいのですが。

 「塩屋はもともと、上江洲の屋取で、1941年に上江洲から分離しました。

 70年発行の具志川市誌に詳しく載っていますが、この地域に耕地を求めてきた士族が塩造りをしたため塩屋原と名付けられたそうです。塩屋の海は遠浅で塩造りに適していたようです」

 —こちらは本物の塩が由来なんですね。今でも塩が造られるんですか?

 「戦前はありましたが、戦後はなくなりました。その後、県が塩田を買い上げて、埋め立てられました。中城湾港新港地区がある場所です。当時の製塩を伝えるものは残っていませんね」

 何だかもったいないですね。でも自治会では95年、製塩の様子を伝える方言劇「ンカシマースヤー(昔の塩屋)」を当時の具志川市主催の事業で上演。当時は製塩の様子を知る高齢者がいて、新垣さんが聞き取りをしてシナリオをまとめたそうです。劇などを通して、地域の歴史が継がれるといいですね。

 今回は、うるま市の2つの地名の由来を調べました。「屋取」という共通点もあり、勉強になりました。沖縄には不思議な地名が他にもいっぱいありますよね。この機会にもっと調べてみたくなった調査員でした。



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昆布や塩、地名に食材
名嘉眞治夫さん(左)と名嘉山兼順さん=うるま市の昆布公民館
昆布や塩、地名に食材
戦前に公民館があった地域。手前から奥に向けて下りの坂道になっている=うるま市昆布
昆布や塩、地名に食材
元塩田があった浅瀬。今は埋め立てられ、沖縄IT津梁パークなどが立つ=うるま市州崎
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