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[No.1447]

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「島ネタCHOSA班」2012年12月20日[No.1447]号

久高島は私有地がない??

 先日、久高島に行きました。風景も素晴らしく、観光客も自転車で走り回っていました。のんびりした時間が流れる憧れの島ですが、久高島には独特の土地制度があり、簡単には住めないと聞きました。どのような仕組みなのでしょうか?(北谷町 Hさん)

久高島は私有地がない?

 琉球開びゃくの神話が残り、神の島と呼ばれる久高島ですね。さっそく、行って調べてきましょう。
 南城市知念、安座真港からフェリーくだかで約20分。やってきました、久高島。出迎えてくれたのは、約120世帯、220人のまとめ役、区長の糸数輝久さん(65)です。

 土地は集落のもの

 「久高はね、私有の土地というのがないんです」

 えっ? では皆さん、どこにお住まいで?

 「もちろん、島に住んでいます。民宿や貸し家、食堂を営んでいる人もいますよ」

 基になっているのは、「久高島土地憲章」。1988年12月3日に、字全体総会と関係者の同意書をもって成立し、同年12月4日以降、字久高独自の土地利用が始まったのだそうです。

 当時の区長、西銘正勝さん(60)は振り返ります。「久高島の土地は、慣習として先祖代々集落全体のものとして考えられてきたんです。しかしね…」

 1988年8月9日付の日本経済新聞に、島の人たちを驚かせる記事が掲載されます。「島の4分の3に当たる土地を、国際的な長寿村にするために某企業が買収する」

 「寝耳に水で、もう、びっくりしてね。島の人間は、土地に対する思いは共有していたんだけど、不文律だったから、有志が立ち上がって憲章を作ることになったんです」

 リゾートブーム、癒やしブームが全国的に起こる中で、持ち上がった買収話。一方、離島地域共通の課題「過疎化」も有志を後押ししたそうです。「家屋は、基本的に子々孫々まで利用できることは変わらないんですが、継ぐ子孫がいない空き屋敷が目立つようになってきたんです。将来利用される見込みのない土地・家屋については、久高の財産として管理することが、島全体の活性化にもつながるんです」と西銘さん。

 総会を重ね、久高に本籍のある人たち全員の合意を取り付けるために、全国を回った「島づくりの会」メンバーたち。その熱意と労力には頭が下がります。

 二人が代表して語った島への思いは、実際に島内を案内してもらうと実感できるかもしれません。琉球の開びゃく神アマミキョの降り立った海岸「はびゃーん」、琉球の七大御嶽で、現在は誰も立ち入ってはいけない「クボー御嶽」。他にも、男子禁制の聖域、みこがみそぎに使う神聖な井戸、決まった日時にしか入っていけない場所、神事が執り行われる領域…。そして、クバの原生林でさえも神聖なものと呼ばれます。あぁ、ここは本当に神と共に生きている島なんだな。

 移住は総会で承認

 また、島に住むには条件がある、と糸数区長は言います。「移住希望者は、見習い期間って言うとおかしいんですが、3年間は島できちんと生活していけるか皆で見守る。それから総会に諮って承認をもらいます。以降の定住期間は、継続して3年以上と決まっているんですよ」

 晴れて承認されると、宅地なら100坪を上限にほぼ無償で貸してもらえるのですが、「どこに住みたい!」という希望は通りません。住宅を建てたり商売をする場合、その都度総会に諮って承認を得るのですが、2年以内に着工しないと、「島に返してね」と言われます。さらに、島から出る時には、建物は島の共有財産となります。

 これまで続いてきた「島から一定の土地を預かって土地を守って生きる」という慣習。過去に個人的な土地の売買がなされた例はなかったというから、驚かされます。神から預かって、子孫に残していくことが、島の人たちの当たり前の感覚なんですね。

 「ゴミ集積場もない、火葬場もない、何もない島。久高を表すには、このひと言に尽きるんじゃないかな。ありのまま、自然のまま、ですよ」

 はびゃーんの浜に立ち、海を眺めながらつぶやいた糸数区長の言葉。なんだか、じーんと来た調査員。変わらないことが難しい時代に、先祖代々受け継いできた心意気を守る久高島の人たちに感動を覚えつつ島を後にしたのでした。


久高島は私有地がない?
区長の糸数輝久さん
久高島は私有地がない?
西銘正勝さん
久高島は私有地がない?
立ち入り禁止のクボー御嶽
久高島は私有地がない?
後光が差したような海岸線
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