沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1704]

  • (木)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2017年12月21日[No.1704]号

ザ夫婦

ザ・夫婦(み〜とぅ) 38


那覇造形美術学院 学院長 黄金(きがね) 忠博さん
喜屋武 千恵さん

美術に触れて生きる力を

 絵画を通して出会った北海道出身の黄金忠博さん(49)と、沖縄県出身の喜屋武千恵さん(48)。沖縄県立芸術大学で共に学んでいたころから20数年の時間を重ねた現在、夫婦としての絆を深めながら県内美術界の中心的人物として活躍を続けている。「アーティストという観点で子どもたちを育て、社会貢献することが一番の目標です」と語る二人は、学力と想像力を養い五感を使う美術学習は「生きる力につながる」という信念を持ち日々活動中だ。



涙止まらず画家の道へ

 画家を夢見て、普通高校から沖縄県立芸術大学へ進学した黄金忠博さんと喜屋武千恵さん。子どものころ漫画好きだった忠博さんは、手塚治虫や藤子不二雄に憧れていたという。小学生の時には何と、漫画を描いて東京の出版社に持ち込んだ経験があるそうだ。

 「北海道から来たことだけを褒められましたが(笑)。中学生になって美術の先生からいろいろなことを教わり、美術に興味を持ちました。親がよく美術館に連れて行ってくれたことも影響しています」

 高校生になり芸術大学を目指す決意を固めた忠博さんは、予備校へ通い浪人時代を経て沖縄県立芸術大学に合格。石狩市から引っ越し、楽しい学生生活を送ったそうだ。

 助産師志望の女子高生だった千恵さんは、突然歩む道を変えた。

 「絵描きになろう! ふとそう思ったんです。周囲の人は驚いていました(笑)。浪人しながら真喜志勉先生の絵画教室に通っているころ、日本画家・田中一村の展示会に行き衝撃を受けました。絵を見て感動し、涙が止まらなかったんです」

 展示会に通い詰めた千恵さんは、沖縄県立芸大で日本画を学ぶ道を自然に選んだ。思い付きのような千恵さんの選択だったが、才能を開花させ、人生のパートナー忠博さんとの出会いも引き寄せたといえる。

 同級生として付き合い、恋人として交際を始めて10年を越えた2001年。21世紀という新時代を迎えたことに節目を感じ、二人は結婚した。

物作りで感覚育てる

 現在、千恵さんはこどもアトリエ・ネロや保育園で、子どもたちに絵画と造形美術を教えている。

 「助産師という職業は諦めましたが、子どもたちに触れ合う機会がありつながりを感じます。一緒に作品を生み出すことが幸せなんです」とほほ笑み、子どもの成長過程において絵を描き物を作ることがとても重要だと訴える。

 「完成だけが目的ではなく、心を開放して好きな物を好きなように表現することが大切です。最近は学校での美術の授業が減る傾向にあり、残念です」という千恵さんの言葉に、忠博さんも「教科書の上で学び、良い点数を取る勉強法が主流ですが、子どもに必要なのは物を作り実験をして、考えながら感覚を育てることだと思います」と続ける。

 既存の学校を引き継ぐ形で2001年に那覇造形美術学院を創設したのが忠博さんで、芸大・美大受験予備校、社会人のための美術教室、こどもアトリエ・ネロ、ギャラリーを開設し、美術を広める理想形に近付いてきたと実感しているという。芸術家を育成し、芸術に触れたい一般市民にプロの技術で指導し、生きる力を与えることが夫婦共通の目標だ。

画家として認め合う二人

 絵を語る同志的な関係という忠博さんと千恵さん。

 「琉球王国の絵画のルーツを知りたくて、中国の美術学院に留学。今は琉球絵画の復元作業にも携わっています。私の活動を支えているのは家族のおかげ。感謝するばかりです」と千恵さん。

 「正真正銘の画家である妻をうらやましく思います。商売ではなく表現活動として、本気で描いているんです」と語る忠博さんの学院運営に努める姿を尊敬し、25年続けている趣味の音楽活動を応援する千恵さん。「夫はパワフルな画家。最近は創作活動の時間がありませんがいい作品を作るので、本音を言うと描いてほしいと思っています」と、忠博さんの画家活動の再開を待っている。画家としてのお互いを認め合う思いが、二人の絆の源になっていると感じた。  

(饒波貴子)



円満の秘訣は?

忠博さん: お互いを認め自由でいます。妻には自由に絵を描いてほしいし干渉しません。僕のプライベートのバンド活動についても、妻は何も言ってきませんね
千恵さん: アーティスト活動も家のことも、自由にやらせてくれます。けんかする時は思ったことを言い合いますが、尊敬する気持ちをいつも持っています

プロフィール

きがね・ただひろ: 1968年生まれ、北海道出身。沖縄県立芸術大学に入学のため来沖。卒業後に那覇美術学院で講師を務め、2001年に那覇造形美術学院を創立。社会人対象の美術教室、こどもアトリエ・NELLO(ネロ)も併設し、幅広い年齢層の人々に美術指導を行っている。自身も絵画や立体物を創作するアーティスト

きゃん・ちえ: 1969年生まれ、那覇市出身の画家で美術講師。沖縄県立芸術大学・日本画コース卒業後、同校大学院・絵画専修修了。鎮魂・祈り・母性をテーマに沖縄の自然素材を使い、日本画を描く。現在は県立芸大の非常勤講師を務め、那覇造形美術学院・他でも絵画・日本画講師を務める

那覇造形美術学院
那覇市古波蔵2-9-30
☎098(833)7777
〔HP〕http://www.nahabi.com
※見学・体験入学受け付け中

このエントリーをはてなブックマークに追加



黄金 忠博 喜屋武 千恵
県立芸大の同級生として知り合って交際し、結婚した黄金忠博さんと喜屋武千恵さん。作品を描く画家としてそして講師として、美術に触れる素晴らしさを子どもから大人まで多くの人に伝えている=那覇市古波蔵の那覇造形美術学院にて
写真・村山 望
黄金 忠博 喜屋武 千恵
忠博さんのダイナミックな作品「THERE rudder」(2004年)
黄金 忠博 喜屋武 千恵
両親の影響で絵に興味を持つ長女の蒼生(あおい)ちゃん(14歳・左)と次女の悠生(ゆうき)ちゃん(9歳)
黄金 忠博 喜屋武 千恵
悠生ちゃんが保育園に通っていたころ、先生と園児で千恵さんの作品を鑑賞=2013年
>> [No.1704]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>