沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1647]

  • (木)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2016年11月17日[No.1647]号

父娘日和

父娘日和 33


三線教室主宰 登川 武信さん
琉球舞踊・朱日流須賀子之会師範 新城 頼里子さん

歌三線・琉舞、地元咲かす

 沖縄市美里で三線教室を開き、シンガーソングライターとしての活動も多い登川武信さん(69)は、地域の有名人。美里のテーマソングとも言える「美里スーマチ」を作って歌い、祭りがあるとステージに立つ。長女の新城頼里子さん(42)は父の影響を受け才能も継ぎ、琉球舞踊の演者として活躍を広げる。5年前に開催した父娘共演の記念公演「語やびら『島うた』、咲さびら『琉舞』」の成功を胸にしっかりと刻み、「家族をはじめ、たくさんの人に支えられました」と語る2人は、身近な人たちに沖縄の伝統芸能の素晴らしさを知ってもらうための努力を惜しまない。



離れて知った、島うたの心

 社会人になった1966年に、集団就職で兵庫県に渡った登川武信さん。荷物の中に沖縄民謡のカセットテープを入れて持参し、聴いてみたら心に染みたという。

 「離れた土地にいたから、沖縄民謡の良さをより感じた気がします。郷愁と言うのでしょうか。懐かしかったです」

 若き武信さんは沖縄に帰ったら三線を学ぼうと決め、2年後の20歳の時に実行。民謡の楽しさを知り夢中になった。

 「家から通える師匠の元で民謡を教わり、しばらくして古典音楽も勉強しました」

 生まれた時から現在も沖縄市美里に住む武信さんは、昼間は農協職員として働いていた。仕事を終え、プライベートの時間になると、音楽漬けの日々だったという。

 「50歳で退職し友人と東村でマンゴー園を経営しましたが、その時も往復4時間かけて自宅から通いました。三線教室をやっていますからね。仕事と音楽活動を両立するために忙しくしていたら、あっという間に芸歴50年近く過ぎました」

 武信さんにとって三線を弾くこと歌うことは、日常の一部なのだ。

祝い事で琉舞習う

 子どもたちに琉球舞踊を教え、大型公演の舞台にも立つ新城頼里子さんは、親戚の祝い事がきっかけで小学校3年生の時に踊り始めた。

 「2歳下の妹と一緒に琉舞を披露するために、教わりました。妹はすでに琉舞教室に通っていて追いつこうと頑張りましたが、祝い事が終わった後は続けるつもりはありませんでした」

 だが組踊公演に出演していた妹の姿、そして宮城美能留・沖縄歌舞団の「太陽の燃える島」という演目を鑑賞し、頼里子さんの意識が変わる。

 「沖縄の伝統芸能はなんて素晴らしいのだろうと感動し、先生の芸を学びたいという気持ちになりました。妹は他にやりたい事を見つけ琉舞をやめてしまいましたが、私にチャンスを与えてくれたとひそかに感謝していますよ」とほほ笑む。

 また頼里子さんは、父である武信さんが演奏する三線に合わせて踊ることもあり、それが何よりの親孝行になっているようだ。

 「2011年の父娘公演では、父のオリジナル曲に振りを付けました。私にとっては大きな挑戦でしたし、生まれ育った地域の皆さんに私がやってきた琉舞を披露でき、いい記念になったと実感します」

 父娘公演は武信さんと頼里子さんにしか実現できない、歌三線と琉舞の共同作品に仕上がった。武信さんの母が参加した敬老会に2人で出向き、歌って踊ったこともあったという。

ヒット曲作りが目標

 来年70歳になる武信さんには目標がある。

 「生徒4人で結成した歌三線グループ、『美結童(みゆいわらび)』をスターにしたい。いい歌を作り、沖縄の人みんなが歌うようなヒット曲を誕生させたいんです。衣装作りなどは、妻が手伝ってくれています」

 最近の武信さんは、彼女たちのプロデュースに力を入れる。頼里子さんの次女がメンバーの1人だという。

 「父の創作意欲が強く、たくさんのオリジナル曲を作っている事。そして沖縄芸能を50年間伝え続け、継続は力なりを体現している姿を尊敬しているんです。

 小さな場所で少人数でもいいですから、私も琉球舞踊を教え続けたい。数分の演目のために何カ月も稽古を重ねた結果が、お客様から贈られる拍手喝采」と頼里子さんは、舞台に立つ喜びを語る。

 父娘で影響を与え合っている2人。家族や友人、地域の人々…身近な人たちの協力と応援を受けながら、これからも沖縄の芸能を熱心に、若い世代に引き継いでいくことだろう。

(饒波貴子)



プロフィール

のぼりかわ たけのぶ
 1947年生まれ、沖縄市美里出身。音楽好きで高校時代はギターを弾いていたが、本土就職をきっかけに琉球民謡を聞くようになり魅了される。帰郷後、農協に勤務しながら民謡や古典音楽を習って研究するなど精進し、野村流音楽協会教師免許と琉球民謡師範免許を取得。1998年には三線教室を開校し、若者や子どもたちの指導に努める。また祭りなどのイベント出演やボランティア行事にも積極的に参加し、地域の中心人物として活躍中。「美里スーマチ」「美里小唄」「マンゴーの唄」他、創作を手掛けた曲数は50曲以上にものぼる

しんじょう よりこ
 1974年生まれ、沖縄市美里出身。祝い事で踊るための小学生のころの琉舞教室通いをきっかけに、舞踊人生をスタートさせる。琉球古典芸能コンクール・舞踊部門(琉球新報社主催)では1989年に新人賞、1994年に優秀賞、1997年に最高賞を受賞。琉球フェスティバル他大型イベント、国立劇場おきなわの組踊公演に出演するなど活躍を続けている。朱日流須賀子之会所属、師範免許所持者。3人の女の子の母

登川武信三線教室(沖縄市美里)
☎ 098-938-0471
※詳細は電話にてお問い合わせください

このエントリーをはてなブックマークに追加



登川武信さん 新城頼里子さん
歌三線と琉球舞踊、それぞれの分野で活躍する登川武信さんと新城頼里子さん親子。2人は若いころから経験と実績を積み、現在は師範という立場で次世代の指導にあたっている=沖縄市の登川武信三線教室にて 
写真・村山望
登川武信さん 新城頼里子さん
琉球古典芸能コンクール・舞踊部門新人賞受賞の頼里子さんが、家族と記念撮影=1989年
登川武信さん 新城頼里子さん
武信さんプロデュースの歌三線グループ「美結童(みゆいわらび)」と=2015年
登川武信さん 新城頼里子さん
父娘記念公演「語やびら『島うた』、咲さびら『琉舞』」のステージ=2011年
>> [No.1647]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>