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[No.1645]

  • (金)

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「表紙」2016年11月03日[No.1645]号

父娘日和

父娘日和 31


たから歯科 院長 髙良 政勝さん
副院長 新城 美由紀さん
受付・事務 中田 美寿代さん

歯科治療で笑顔支える

 モノレール安里駅近くにある「たから歯科」。院長の髙良政勝さん(76)が、43年前に開院した同歯科には、地元だけでなく離島からも患者が訪れる。政勝さんは今も研修会に積極的に参加するなど、向上心は尽きない。戦時中に米軍に撃沈された疎開船「対馬丸」の生存者であり、対馬丸記念会理事長として悲劇を後世に伝えている政勝さん。両親と7人のきょうだいを失っただけに、自分の築いた家族はかけがえのないものだ。現在、長女の新城美由紀さんと次女の中田美寿代さんも同歯科で働く。診療業務の傍ら対馬丸関連の活動に尽力する父を理解し支えている。



向上心衰えず常に前進

 太平洋戦争中の1944年8月、疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈されたのは今から72年前。政勝さんは、一緒に乗っていた両親ときょうだい7人を失った。事件当時4歳、「沈没のことは断片的にしか覚えていない」と話す政勝さん。残された家族は、一緒に乗船していた17歳の姉、千代さんと鹿児島県の大学で獣医師の勉強をしていた兄、政弘さんだけ。兄と姉にとって事件は思い出したくない記憶。事件のことについて語ろうとはしなかった。

 獣医師の兄の影響で医療関係の仕事に就きたかったという政勝さん。高校卒業後、歯科医師を目指して大阪の大学に進学。戦後、獣医師の人手不足による需要増加の中、兄が懸命に働き、学費を稼いでくれたおかげだった。

 卒業後、大学病院勤務を経て帰沖し、1973年に「たから歯科」を那覇市松尾に開院。歯科医師不足に加え、復帰後に医療保険制度が整ったこともあり、当時は患者が殺到。予約も2、3カ月待ちの状態。徹夜で待つ人もいたという。

 幼いころから歯科医院が身近な存在だったという長女の美由紀さんと次女の美寿代さん。学校が終わると待合室などで過ごすこともあった。現在、たから歯科医院で父と共に働く2人。美由紀さんは父と同じく歯科医師となり、美寿代さんは経理や受付、医療事務などを担い政勝さんを支えている。

 患者の本音を受付で一番聞ける美寿代さんは、必要だと判断すれば、現状や精神状態などを父姉と共有するなど連携を図る。「診療室では本音を言わない患者さんも多いので、受付からの情報は治療に役立つこともあり、非常に助かる」と美由紀さんも話す。

家族との時間大切に

 「幼いころ、年の離れた兄も姉も家庭を持っていたので、甘えたくても、子どもながらに感情を押さえていた」という政勝さん。それだけに自分が築いた家族への思いはとても強かった。28歳で結婚した政勝さんにとっては、家族と過ごす時間はかけがえのないもの。「休日は、海や旅行などに家族をよく連れて行ってくれた」と振り返る美寿代さん。美由紀さんも「自分が歯科医師になって、父が多忙な業務の中、多くの時間を割いてくれていたのだと分かった」と話す。

 開院から43年。口コミで評判が広がり、これまで数多くの患者の治療に当たってきた。

 今でも毎週のように県内外の研修や勉強会に参加するという政勝さんと美由紀さん。「技術はものすごいスピードで進歩している。ベテランであるほど勉強しないと取り残される時代」と最新の技術習得に励み続ける。

 休診のときは、対馬丸の悲劇を伝え継ぐための活動も精力的に行う政勝さん。時には突然予定が入ることも。そんなとき、「娘は僕の立場を理解し、サポートしてくれる」と2人の協力に感謝する。

親子3代で働く夢

 治療が終わり喜ぶ患者の姿は3人の励みになっている。「『いい歯、いい顔、いい人生』。歯の状態が良くないと、人との会話や食事に消極的になりがち。歯の健康は、家族団らんなどの場にもつながる」と歯の大切さを話す美寿代さん。美由紀さんも「歯医者が苦手という人に少しでも楽に治療を受けてもらえるように、痛みの少ない治療を心掛けていきたい」という。

 今後の目標は「父に追いつけ、追い越せで頑張っていきたい」という美由紀さん。美由紀さんの長女は祖父と母の後を追い今年から歯学部に進学した。

 政勝さんの今の夢は「娘と孫の3代で働くこと。孫が来るまで元気でやっていけたら。そして最新の歯科医学についていく意欲を失わないようにしたい」

 父の歯科治療への情熱は家族に受け継がれている。

(坂本永通子)



プロフィール

たから・まさかつ
 1940年那覇市牧志生まれ。1944年4歳のとき家族11人と九州に疎開するため対馬丸に乗船、両親ときょうだい7人を失う。祖父母、叔父、叔母、姉とともに大分県に疎開。1946年帰沖。那覇高校卒業後、大阪大学歯学部へ進学。1970年大阪大学大学院歯学研究科修了。1972年帰沖。1973年たから歯科開院。県歯科医師会副会長などを務める。2002年5月から対馬丸記念会会長。2011年春の叙勲で旭日双光章を受章

しんじょう・みゆき
 那覇市生まれ。沖縄尚学高等学校卒業後、日本大学松戸歯学部へ進学。同校卒業後、たから歯科に勤務。現在同歯科副院長。中学・高校・大学生3人の母

なかだ・みずよ
 那覇市生まれ。沖縄尚学高等学校卒業後、北里大学衛生学部へ進学。同大学卒業後は、総合病院で5年間臨床検査技師として勤務。現在はたから歯科で受付、医療事務、経理を担当

たから歯科
沖縄県那覇市安里372
☎098-884-6480
http://takaradent.com/

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たから歯科
診療室に並ぶ(左から)中田美寿代さん、髙良政勝さん、新城美由紀さん。家族皆、虫歯なし。「院長先生みたいな上等な入れ歯が欲しい」という患者もいるというが、政勝さんの歯はすべて自分の歯だ=那覇市安里の「たから歯科」
写真・喜瀨守昭(サザンウェイブ)
たから歯科
政勝さんの妻、ミチ子さんが教員を務めていた小学校の運動会で。政勝さんが大阪の大学病院勤務をしていたこの当時、ミチ子さんが家計を支えていた。
たから歯科
美由紀さん10歳、美寿代さん8歳のころ。政勝さんは忙しい中、よく遊びに連れて行ってくれたという
たから歯科
勤労感謝の日に両親に手作りのプレゼントを贈った美由紀さんと美寿代さん
たから歯科
自宅の庭で。美由紀さん7歳、美寿代さん5歳のころ
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