沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1640]

  • (木)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2016年09月29日[No.1640]号

父娘日和

父娘日和 26


「御食事処 宝隆軒」店主 安里 隆資さん
安里 直美さん

「昭和の味」、50年

 11月に50周年を迎える「御食事処 宝隆軒」は、家族経営ならではの家庭的なムードに包まれている店。懐かしい雰囲気とホッとする料理に、常連客も多い。店主の安里隆資さん(79)は10代のころに出前持ちとして飲食業界に身を置き、県内の著名レストランで経験を積んだ後に料理人として独立した。最初の店舗を構えたのが1966年。妻の信子さんが接客を担当し、5人の子どもたちが幼いころから手伝ったという。現在、両親を支え店を切り盛りするのは長女の安里直美さん(53)だ。「父の料理と母のおしゃべりで、皆さまを元気づけたい」と直美さんは語る。



出前修業を積み料理人に

 「生きていくために料理人の道を選びました」と語り始めた安里隆資さん。

 中学校卒業と同時に故郷粟国島を離れ、親戚を頼って那覇に出た。電機関連の夜間学校に通い、昼間は電機修理のアルバイトに励んでいたが、環境になじめず自立を目指したという。

 「船乗りになりたいという思いが強くなり、電機に関する作業は辞めました。新しい仕事場は、松屋レストランでした」

 松屋レストランは現在のパレットくもじ付近にあり、和食・洋食・中華と幅広いメニューを誇る、那覇の人気店だったという。汗だくになりながら出前スタッフとして奮闘したのが、隆資さんの飲食界人生のスタートとなった。

 その後レストラン勤務の経験を買われ、調理専門船員として採用が決まった。九州を中心とした国内航路船に、1年近く乗船していたそうだ。 「次に目指すは国際航路でしたが、採用枠がなくかないませんでした」

 隆資さんはその後の人生を通し、料理人という職を貫くことになる。

両親の思い引き継ぐ

 来々軒に紫雲軒に琉球新報社の社員食堂…。腕を買われた隆資さんには次々と、手伝ってほしいと声がかかった。1960年代、県民の憧れのレストランだった来々軒は、種類豊富なメニューが魅力。大繁盛していたという。

 「本土から芸能人が来ると来店し、楽屋に食事を運ぶこともありました。美空ひばりさんはとても小柄な方でした」と、思い出を語った隆資さん。

 「来々軒は父にとって重要なお店。中華料理の学びの場であり、母と出会った大切な場所でもあるんです!」と、長女の直美さんも会話に加わった。

 宮古島出身で来々軒の案内係兼会計だった信子さんと隆資さんは、1962年に結婚。翌年直美さんが誕生した。

 「私が生まれたころ、父は紫雲軒にいました。景気が良かった時代で、収入は会社員よりも料理人の方が多かったようですね」と直美さん。1966年隆資さんは、自己資金で那覇市泉崎に「宝隆軒」を開く。

 「自宅から歩いて行ける距離にあり、時々手伝っていました。お店やさんごっこのような感覚で、楽しかったです」と直美さん。

 当時の客層はサラリーマン中心だったが、事務所が近い海上保安庁職員、沖縄の本土復帰に向け日本円を調達する日本銀行職員も、毎日のように訪れ食事をしていたという。

 「店舗移転を計画すると、日銀職員の方が物件探しに協力してくれました。海上保安庁関係者は歴代長官、幹部職員、巡視船勤務の方たち他、多数来店してくださいます。開店当時の50年来のご縁が今でも続いていて、ありがたいことです」

 両親が築いてきた「宝隆軒」の歴史を誇りにし、伝統を守るのが直美さんの役目だ。母の信子さん、弟夫婦と店に出て接客する他、売り上げ管理など裏方業務も直美さんが受け持っている。

いつまでも「昭和の味」を

 今年の11月3日は、「宝隆軒」の50周年記念日。

 「今も昔も味は変わりません。手を加えるのは嫌いですからね」とほほ笑む隆資さん。今の願いは、休養を兼ねた海釣りの旅だ。

 「家に帰ってきたような心休まる空間でありたい。父の料理を„昭和の味“と表現するお客さまがいましたが、ぴったりだと思っています。流行の味付けではありませんが、懐かしくてまた食べたくなる。その味を守って店を支え、お客さまを大切にしていきます!」と、直美さんは力を込める。

 幕の内にすしといった和食に、チャーハンやラーメンなどの中華メニュー…。隆資さんが真心込めて作る料理に、直美さんの優しいおもてなし。心温まる食事処を探していたら、訪ねてほしい。

(饒波貴子)



プロフィール

あさと たかし
 1936年生まれ、粟国島出身。中学校卒業後に那覇へ。親戚の家に住み電機関係の仕事に就くが、自立を決意し船員の道へ。調理スタッフとして、国内航路船に約1年間乗る。その調理経験を生かし、1950年代には県内のレストラン数カ所で勤務。1966年に念願の「御食事処 宝隆軒」をオープンし独立。常連客と地域の人々に愛され続け、今年の11月3日に開店50周年を迎える。私生活では2男3女、5人の孫に恵まれた

あさと なおみ
 1963年生まれ、那覇市出身。浦添高校を卒業し東京のデザイン学校へ。東京で職に就き、事務職を約10年経験した後に帰郷。「宝隆軒」を手伝うようになる。店頭での接客をはじめ、経理など店舗運営に関わる事務処理もこなし、両親を支えている

「御食事処 宝隆軒」
那覇市港町2-8-43 ☎098-862-2100
営業時間:11時30分〜14時/17時〜21時
定休日:日曜日・祝祭日

このエントリーをはてなブックマークに追加



安里 隆資さん 安里 直美さん
優しい笑顔でお客さまを迎える安里隆資さん、直美さん親子。開店当時からほとんど変わらないメニューと味、そして温かなおもてなし。常連客が多いと納得できる店だ=那覇市港町の「御食事処 宝隆軒」
写真・村山 望
安里 隆資さん 安里 直美さん
宝隆軒が泉崎にあったころの隆資さんと妻・信子さん=1975年
安里 隆資さん 安里 直美さん
隆資さん夫婦は3人の娘、2人の息子に恵まれた
安里 隆資さん 安里 直美さん
次女誕生を記念した家族写真=1965年
>> [No.1640]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>