沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1581]

  • (日)

<< 前の記事  次の記事 >>

「表紙」2015年08月06日[No.1581]号

母娘燦燦

母娘燦燦 — おやこ さんさん — 19

県立精和病院
看護主幹兼看護師長 嘉陽 晴美さん
県立中部病院
循環器科看護師 嘉陽 晴奈さん

志を同じくして

 病に伏してケアを求める患者に、ナースがそばにいてくれるのは心強い。三交代制の勤務、命の現場にも携わる職業柄、看護師不足といわれて久しい。それでも看護師を母に持つ娘が同職に就くのはなぜか多い。嘉陽晴美さん(50)は看護師歴29年目、県立病院の師長という要職にあって3人の娘の母である。家庭との両立が立ち行かなくなったとき、支えてくれたのは両親、家事を引き受けて力となった長女の晴奈さん(26)がいた。幼稚園のころから母の働きぶりを見てきた晴奈さんは、将来像として看護師以外の選択肢はなかったという。今、中堅ナースとして母と同じ道を歩む。



周囲が支えてくれた

 「手に職を持ちたい」。晴美さんは看護師を目指して県立那覇看護学校へ進学した。2歳上の姉も同じ進路を取り、母が心臓病を患い入退院を繰り返した病院へ訪れるなど、医療機関に携わることには違和感はなかったという。

 「人生でこれ以上ないほど勉強に時間を費やした」。スタッフを率いる師長となった基盤を磨いた看護学校時代をこう振り返る。人間の心理に及ぶ専門的な知識、文献をひも解き看護計画を立てる。実習に臨む段階で、すでに患者を受け入れる構えである。看護師の卵として孵化(ふか)する3年間を経て、晴美さんは県立南部病院の新人ナースとなった。

 人工呼吸器を取り付けられた患者、ICU(集中治療室)レベルの重症患者を抱える内科病棟。晴美さんは、命にかかわるケアの最前線で看護師の出発点に立った。



家庭との両立に悩む

 新人看護師は3年たって一人前になれるという。医師からの指示を受けて患者へ注射をする、担当患者の検査データを読み取り異常値があれば担当医へ報告するか否かの判断力を有するレベルにあるのが3年目である。

 「先輩の後を必死に付いていき仕事をしていました」と、緊張と戸惑いの新人看護師時代を語る。朝8時、深夜勤スタッフからの申し送りを受けて看護態勢に臨み、慌ただしい業務を経て、準夜勤スタッフへ申し送りをするが、帰宅は夜中になることもあった。

 病院看護師は、朝8時からの日勤、16時から午前零時30分までの準夜勤、翌朝8時30分まで深夜勤の三交代制のシフトで患者のケアに当たる。様態の見守り、急な変化に気づき、医師とともに駆けつけるのも看護師である。

 「病院の廊下を歩きながらも、モニターの音を意識したり、患者さんの寝息を気に留めたり、変化を察知するアンテナを張るようになりました」

 救急の現場にも携わり、複数の患者を担当する看護の第一線に立ったころ、晴美さんは看護学校の同期生であった正人さんと結婚。長女の晴奈さんが生まれ、次女、三女に恵まれた。母はすでに他界、父も定年前のことで、夫婦共に看護師、家庭と仕事の両立が課題となった。

母に続く看護の道

 娘3人の育児と看護職の三交代勤務。一時は退職をも考えたが、晴美さんはできるところまでやってみようと強い覚悟で突き進む。自宅のある南城市から勤務先の県立中部病院まで6年間通ったことも。そうして定年を迎えた父が全面的に支えてくれることになり、職場を離れることはなかった。周囲の支えのありがたさを思う。

 晴奈さんは、幼稚園のころから看護師の将来像を描いたという。「日中、私は家にいないし、いるときは夜勤明けで眠そうにしているのに看護師になりたいとは不思議だった」と、晴美さん。小さいなりに両親の仕事への気概を読み取ったのだろう。「小学校の高学年のころには、家事はパーフェクトだった。高校生のころは、朝5時に起きて自身と両親の弁当を作り„いってらっしゃい“と送りだした」と、本人は屈託なく笑う。

 さすがに、受験前の高校3年生は勉強させてと、申し出たという。晴美さんは「今度はお母さんが晴奈に尽くす番。お世話になりました」と、バトンタッチした。

 娘の看護師志望を反対し、保健師を薦めたこともあった晴美さん。それでも晴奈さんは現場を選び、看護師5年目に成長し、循環器科の現場でリーダー業務もこなす。

 看護スタッフを率いて外来・訪問看護を構築し、後輩を育てるベテラン看護師の母と中堅看護師を目指す娘。毎日の電話を通して1日を振り返り、母の実体験からのアドバイスを得て娘は同じ看護の道を歩むことに揺るぎはない。

(伊芸久子)



プロフィール

かよう・はるみ
1965年那覇市生まれ 1987年県立那覇看護学校卒業後、南部病院、中部病院など県立病院で勤務。現在県立精和病院外来・訪問看護室に勤務。看護師長として看護師、精神保健福祉士など多職種からなるチームを率いて、地域・行政・福祉事務所と連携した患者のサポートに当たる。「看護を提供する看護師が幸せでなければ、いい看護はできない」が信条。

かよう・はるな
1988年南城市生まれ 2011年県立看護大学を卒業後、県立中部病院整形外科、循環器科病棟勤務5年目の中堅看護師。看護師の両親を支えて祖母、祖父を看取った。



このエントリーをはてなブックマークに追加



看護師
姉妹のような嘉陽晴美さんと晴奈さん親子。小さいころから健康優良児だという晴奈さんに、スタッフを育てる立場にある晴美さんは、母としてハートフルな中堅看護師に成長してほしいと願う=県立精和病院
写真・村山 望
看護師
1987年県立那覇看護学校卒業式。晴美さんは、共に卒業した正人さんと結婚した
看護師
家族旅行は毎年恒例。写真撮影者は夫の正人さん。写真左端は、高校生の晴奈さんを学校に送り迎えをしてくれた父の棚原勇さん。5年前の他界を晴奈さんが看取った
看護師
県立中部病院循環器科に勤務する晴奈さん(写真左端)。仲間たちとチーム医療に取り組む
>> [No.1581]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>