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[No.1391]

  • (金)

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「島ネタCHOSA班」2011年11月24日[No.1391]号

沖縄伝統将棋とは何ぞや!?

趣味で将棋をやっているのですが、沖縄には古くから伝わる別の将棋があると聞きました。本当でしょうか?(2011年11月24日掲載)

沖縄伝統将棋とは何ぞや!?
(那覇市Kさん)

 吹~けぇば飛ぶよな将棋の駒にぃ~かけた命をぅ笑わば笑えぃっと…。沖縄の将棋? はて? 編集部の面々も「ワシャ知らぬ存ぜぬヨルナサワルナ」と顔に書いてありますし。どうしたものかしら―ということで、まず手始めに訪れたのは県立図書館。検索端末をカタカタとしてみると。あ~りましたっ!! 『はじめての象棋(チュンジー)』…ん? 象? チュンジー? 何が何やらです。でも、帯にはしっかりと「沖縄の伝統将棋」とある。こうなったら、本の著者に直接アタックぜよ! Kさん夜明けは近いぜよ!

 将棋ではない!?

 「エセ竜馬」と化した調査員を笑顔で出迎えて下さったのは、編著者であり沖縄県立芸術大学付属研究所共同研究員の仲村顕さんと、沖縄県教育庁文化財課文化財班主任の平川信幸さん。さっそく、伝統将棋とはチュンジーなるものなのか? と尋ねてみた。

 「ええ。そうです。いわゆる『将棋』が沖縄で指されるようになったのは戦後のことで、それ以前はチュンジーが一般的なものだったんです。今、70歳以上の方なら、おそらく、ご存じではないでしょうか。また、便宜上、伝統将棋と言っていますが正確には将棋ではないんです。駒を使って王様を詰むゲームというのは同じなんですが」 

 んんん? 将棋ではない、と言いますと?

 「成り立ちが違うんです。チュンジーのルーツは古代インドのチャトランガというゲームでして、これがヨーロッパに渡ってチェスに、中国ではシャンチーと呼ばれるゲームになったんです。で、琉球に伝わりチュンジーになったというわけです。ですから、実は将棋よりチェスに近いんですよ」

 へぇ、チェスですか? たとえばどんなことが近いんでしょうか?

 「まず、駒に色分けがなされています。さらには動き方、将棋では『成り』と言いまして、手駒が相手の陣地に侵入すると、それまでの動きが変化しますよね?」

 あ!いわゆる『成り金』ってやつですね。

 「そう、それです。チェスもチュンジーも1種類の駒を除いてこれがありません。また、取った相手の駒を自分の駒として使えないなども共通しているところですね」

 なるほど。では、先ほど中国から伝わったとのことでしたが、いつごろなんでしょうか?

 「明確には分からないですね。ただ、現段階の調査で言えるのは今から550年前には伝わっていたということです。と言いますのも首里城の発掘調査で象棋の駒が3つ発見されているんですが、そのうちの1つは1453年に首里城が火災にあった現場から出土しているんです」

 失われつつある文化

 そうですか。550年も前の話なんですね。

 「ええ、その後、沖縄で広く人々に親しまれてきたんです。その証拠に沖縄県内の方言をまとめた方言辞典にも北は伊是名から南は西表にもチュンジーの記載がありますし、八重山署が賭けチュンジーを摘発したという昭和13年の新聞記事なんかもあるんですよ(笑)。戦前の多くのダンパチ屋にはチュンジー盤があったそうです」

 それがなぜ現在はあまり知られていない存在に?

 「沖縄戦の影響ですかね。物質的にも空襲で焼けてなくなってしまったでしょうし、遊びですから、精神的にもそれどころじゃなかったでしょう。戦争が終わってからは、本土復帰の運動が高まり『ヤマトゥムン』が良しとされた時代の風潮と共に、将棋が指されるようになっていたのではないでしょうか」

 う~む。戦前までは、立派な「民俗文化」と呼べるほど、ウチナーの生活に溶け込み、多くの人に親しまれていたチュンジー。お二人は、現存している象棋盤や、中国のシャンチー盤を活用しながらその「文化」を後世に残すべく、チュンジーの再興に汗を流す毎日を送っている。目下の悩みは盤や駒を作る職人さんがいないことだそうだ。

 お話を伺いながら、こうして記事にすることで、わずかながら伝統文化再興のお手伝いが出来たことを誇りに思う調査員だった。


沖縄伝統将棋とは何ぞや!?
象棋盤に並べられた駒(年長者が赤を使うと決まっているそうだ)
沖縄伝統将棋とは何ぞや!?
駒を持つ平川さんと、著書『はじめての象棋』を持つ仲村さん
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