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[No.1834]

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「ワシントコポスト」2020年07月02日[No.1834]号

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私の「慰霊の日」

 6月18日付「慰霊の日に思う」を拝読し、同じような境遇の一人として投稿しました。
 私は1945年2月生まれの「本土出身者」で、2015年1月末に沖縄へ移住するまで関東圏で成長し、サラリーマン生活をしていました。
 生まれてすぐ、運よく両親が能登半島へ疎開したことで命をつなげることができました。幼いころ、両親、祖母の空襲経験について聞くことはありましたが、戦争の悲惨さを感じるような話し方ではありませんでした。「つらさを笑い飛ばす」ことで、今そして明日を生きたいと考えたのかも知れません。戦争体験者に通じる「つらい話をしたくない」思いがそうさせたのでしょう。
 本土でも東京や地方都市への空襲、広島、長崎の原爆投下といった米軍による無差別大量殺りくがあって、「本土も同じ」は個人の感想ですので仕方ないと思いつつ、本土と沖縄の根本的な差に目が向けられていないと思います。
 本土では敵は米軍であり、空から爆弾が降ってきた被害でした。一方、沖縄では海、空から、そして地上戦が展開された戦史があります。14〜15歳の中学生さえ戦地召集という手段で戦場に送り込まれ、多くの前途ある方々が無念の死を迎えたのです。
 戦場化した本島を南部、北部に逃避する県民は米兵だけではなく、支え続けた日本兵の手によって避難壕を追われ、あるいは殺りくされた体験が語り継がれています。往々にして歴史は勝者によって記録されます。沖縄における史実は日本政府の手によっても「ゆがめられる」傾向が顕著になり、集団強制死という言葉すら消されようとしています。
 日本兵の中には良心に照らした行動をとった方も少数といえ存在したことも語り継がれていますが、多くの場合は「友軍として利用されるだけ利用され、国に捨てられ、戦場に散った老若男女」と言えます。
 「平和の礎」は敵味方関係なく戦没者の氏名が刻銘されていますが、その中には姓はあっても名の不明な方々を散見できます。この事実が「本土と沖縄の戦争被害の差」として感じるべきではないでしょうか。「慰霊の日」は、その「差」に目を向け、「二度と戦争を起こさせない想い」を発信する日とすることが、残された私たちの役割と思います。

(浦添市 元大師住人)

(編コメ)戦争の体験をどう受け止め次の世代に伝えていくかは、私たちがこれからも取り組んでいかなければならない課題だと思います。

父の歌集

 先日、父の遺品を片付けていたら歌集が出てきました。その歌集のタイトルは「なつメロと軍歌集」と書かれていました。
 父の若かったころ、どんな内容の歌詞だったんだろうと歌集のページをめくってみました。大正、昭和のころにはやった昔の歌謡曲は、歌詞がきれいで純真な乙女の恋心や自然の風景が浮かびました。また、大正、昭和の強い男の優しさを感じた歌詞などもあり、当時の歌を楽しんでいましたが、軍歌のページの歌詞を読むと胸が苦しくなってきました。歌謡曲の歌詞とは違い、国のために散っていく命を讃えた歌詞が多かったのです。
 父の青春時代は、軍歌を歌い戦ったつらい時代。そんな時代を過ごしたんだと思うと悲しくなりました。今の平和な時代に感謝です。
慰霊の日には戦争で亡くなった方のご冥福と、戦争がなく、ずっと平和な時代が続いていくように願いを込めてお祈りしたいと思います。

(那覇市 ふくふく)

(編コメ)お父さんたちはどんな気持ちで軍歌を歌っていたのでしょうか。悲惨な戦争が二度と繰り返されないよう願います。

キクイモ

 5月6日付「灯台下暗し」の「ひまわりのような黄色い花」は、きっとキクイモです。わが家ではいつも近くにある大切な植物です。確かに、ヒマワリによく似ていて小ぶりな花は一輪挿しにも、大きな花瓶に生けても見栄えがしますよね。職場の同僚さんは見る目があったというべきでしょう。
 しかし、わが家で長年キクイモと付き合ってきたのは花ではなく葉です。キクイモが血糖値を下げると聞き、夫は毎朝キクイモジュースを欠かしません。散歩の途中でキクイモを見つけるとビニール袋いっぱい摘んできて太陽の下でしっかり乾燥させてストックしています。県外の糖尿友の会(?)の友人たちにも送り喜ばれています。
 健康に有効な植物が沖縄にはふんだんにあり、本当に驚かされます。あまりに身近すぎ、ほとんど野生化しているので有り難みが忘れられているのでは。花ももちろんかわいいので食卓の一輪挿しにしてみようと思います。

(沖縄市 セキショウ)

(編コメ)鮮やかな黄色はヒマワリのようで、花はキクにも似ていますね。調べてみるとキク科ヒマワリ属でした。キクイモジュース、機会があったら飲んでみたいです。

28年ぶりの投稿

 28年ぶりにレキオにお手紙書いています。高校3年生のときに投稿し、採用された紙面を読んでとてもうれしかったことを、ふと思い出したからです。
 「卒業後に上京する不安や希望、決意」という内容でした。編集部さんからの激励コメントに涙したものです。
 夢破れ、沖縄に戻ってきましたが、46歳になった今も新たな夢に向かって「青春」しています。

(那覇市 あおいハル)

(編コメ)お久しぶりの投稿、ありがとうございます! いくつになっても夢に向かって進んでいくって素晴らしいことですよね。陰ながら応援していますよ!

お巡りさんの像

 ずいぶん昔ですが、確か浦添からだと中部病院に行く手前の左側に「お巡りさんの像」がありましたよ。親戚が近くに住んでいたので、そこに行くときは、お巡りさんの像を目印にして行きました。  現在は道の両側に家が建ち並んでいますが、昔はサトウキビ畑が続く道でした。少し進むと左側に「兼原小学校」がありました。お巡りさんの像はまだ残っているのかな。

(サバウツガー)

(編コメ)おまわりさん人形のことですね! 情報ありがとうございます。うるま市宮里あたりでしょうか? 見たことがありません…。ご存じの方がいたら教えてくださいね!

ピースサイン?

 隣の家の跡地に、一本の木がまるでピースサインをしているかのように伐採されています。これは狙いなのか? この木を見るたび私もついつい「ピース!」をしてしまいます。

ワシントコポスト

(宜野湾市 V子)

(編コメ)面白いですね。地面から手が出てきたようにも見えます。

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