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[No.1789]

  • (金)

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「ワシントコポスト」2019年08月15日[No.1789]号

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あのころの夏

 戦後、昭和20年代、父はいち早く国際通りに家を建てました。カーラヤー(琉球屋根瓦)でした。物干し台があり、そこから屋根に上がれたので夏の夜は涼しさを求めてこっそり上りました。陽が落ちるとカワラ屋根はひんやりと涼しく、風もよく通り、小学校の私が横たわるのにちょうどいい間隔がありました。
 あのころの国際通りは家もまばらで街灯もなく、人工の灯がありません。見上げる夜空には無数の星が輝いていました。「あの宇宙のどこかに、この地球と同じ星があって、その星から誰かがこの地球を見ているかもしれない」などと空想したものです。
 戦後の焼け跡から拾い集めて葺いた瓦は割れやすいと親に見つかればひどく怒られたものです。扇風機やエアコンでは体感できないあのヒンヤリ感は幼いころの思い出とともに今も時々に脳裏によみがえります。

(那覇市 仲ユクイ)

(編コメ)夏に瓦屋根の上で星空を見上げるひとときは、想像しただけで気持ちがよさそうです。いつまでも忘れることのない大切な思い出ですね。

生き延びた父

 父は戦後、台湾から生き延びて宮古、そしてコザへと同僚2人でたどり着きました。329号の道路はアメリカ軍でいっぱいだったので旧道路から見つからないように歩いて西原まで帰ったそうです。
 途中、方角が分からなくなりましたが、運玉森が見えたのでそこを目指して歩いていき、何とかたどり着いたら一家は全滅…。糸満あたりで亡くなったようです。
 それからしばらく2人でテントを張り、アメリカのゴミ捨て場へ行って食料を…。といっても食べ残した缶詰などだったらしく、それでしばらく暮らしたそうです。
 今年で94歳。よくぞ生き延びたな〜。あの時代は生きるか死ぬか…。「もしかして今の私たちの悩みは鼻くそみたい? かもね」と友人がつぶやきました。平和が一番。

(西原町 ひまわりおばさん)

(編コメ)お父さんは大変な時代を生き延びてきたのですね。平和が一番、おっしゃるとおりです。

ビックママさんへ

 私も昨年3人の子どもたちが一気に旅立ち、自分も退職しました。初めは今までできなかった断捨離から始め、スッキリしていく家の中で満足していましたが、やはり寂しさはじわりじわり込み上げてきました。
 でも、ラインでつながっているので毎日日記のようにおのおのとやりとりしています。時間があるときに子どもたちは返してくれるし、気持ちの切り替え次第だと最近気付きました。今までは我慢していたカフェ巡りをしたり、好きなアロマオイルをたいてBGMを流し、コンビニスイーツと紅茶で本をゆっくり読んだり‼️ 自分優先の時間がたっぷりですよ!
 そのうち里帰りもするだろうし、楽しみが増えます‼️ そのときは目いっぱいうざいと言われようが、構ってあげて会話して、一緒にお出掛けして、違う接し方ができ、大人な関係に驚くかも。
 無理に何か探すのではなく、まずは好きなことからやってみてください。そこからやりたいことが見つかるはず。お母さんが元気なのが一番です!

(名護市 クロワッサン)

(編コメ)8月1日付「寂しさでいっぱい」を読んでのお便りです。クロワッサンさんは自分の時間を楽しんでいるんですね。ビックママさん、今はどのようにお過ごしでしょうか。

お見舞い

 先日、老人ホームにいる義兄のお見舞いに行きました。何カ月か前に行ったときは元気で変わりなかったのに。92歳という年齢、お見舞いに行く間に心臓の手術などもあり、あまりの変わりように心痛み、切なくなりました。
 おしゃべりをしているとき突然「私は昭和が嫌いだ」と怒りのこもった声で言いました。義兄は予科練の生き残りで戦後も疎開船に乗り、かなり経ってから帰還したと義母から聞いたことがありました。その後、聖職につき祈りの生活をしていました。戦時中の話はしませんでしたが、察するにあまりある気がしました。
 82歳の私は昭和というと何となく「三丁目の夕日」のようなノスタルジックなものを思い出してしまい、あの戦時中の苦しかった生活を忘れている自分に恥じる思いがしました。義兄の安らぎの日々を祈りつつホームを後にしました。

(那覇市 もず)

(編コメ)もずさんのお気持ちが伝わってくるようでした。お義兄(にい)さんが以前のように元気になることを願っています。

陽気なバスの運転手

 結構前の話になりますが、忙しく心のゆとりがなくなりがちな朝に遭遇したすてきなバスの運転手さんにお礼の気持ちを込めて投稿します。  わが家の朝は、仕事が忙しいパパを娘の散歩を兼ねてバス停まで見送りに行くことが日課になっていました。パパの乗るバスが来たので娘と離れたところで見ていると、ドアが開き元気な声で娘と私に「おはよ〜! ばいばーい!」とマイクをつけたまま運転手さんが元気にあいさつしてくれました。
 こんな陽気な運転手さんはこれまでいなかったので最初はびっくりしたけど娘も私もうれしくなり、やっぱりあいさつっていいなぁ、笑顔っていいなぁと思いました。
 朝は仕事や学校などそれぞれ急ぎ足で向かう人が多いので嫌な思いをすることの方が多いんですが、この日はすごく気持ち良く過ごせました。
 最近悲しい事件が多く、知らない人には近づかない、話しかけられたら逃げるなど子どもたちに教えている方もたくさんいるかと思います。きっと娘が大きくなったら私もそう教えるはず。でも、本来なら地域の人みんなが笑顔であいさつを交わせる環境こそが小さな娘にとっても幸せなんじゃないかなと思いました。

(宜野湾市 チャーリーブラウン)

(編コメ)陽気ですてきなバスの運転手さん。会ってみたいです。それにしても、子どもたちが安心して地域の人たちと触れ合い、遊べるような環境であってほしいですよね。

周辺住民への配慮を

 目覚めには少し早い朝6時前、バスンッ、ボコン、パンッと、何かがはじける音で起こされることが日常になっています。当初はいったい何の音だろうと思い外に出てみたら、音のする方角にゴミ収集車が止まっていて、ゴミを入れたビニール袋が中で回転中に破裂している音でした。
 回収している業者の方は作業中で騒音だと感じてはいないのかもしれませんが、破裂音は耳慣れる音ではなく不快です。周辺住民への配慮として、改善して欲しいなと思っています。

(那覇市 忠実キャッツ)

(編コメ)朝から不快な音で起こされるなんて嫌ですね。他の住民の皆さんはどう思っているのでしょう。

愛の形はハート型

 庭のポトスの葉にイトトンボさんのカップルがラブラブ中。その姿は正にハート型(本当は逆さハートなので回転させています)。
 その後メスはわが家の庭の甕(かめ)ポンドで産卵します。その間オスは他のオスに産卵の邪魔をされないようにメスのそばを一瞬たりとも離れません。数週間もすれば新生イトトンボの誕生です。公園を散歩する時に池の縁を歩いてみたらこんな光景に出会えるかもしれませんね。

(匿名希望)

(編コメ)本当にハート型ですね! 初めて見ました。

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