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[No.1779]

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「ワシントコポスト」2019年06月06日[No.1779]号

もうすぐ父の日ですね。今週は、お父さんにまつわるエピソードを中心に、母の日や映画のお話をお届けします。
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義父の思い出

 毎年、父の日が来るたび、義父のことが思い出されます。もう20年も前に他界した義父ですが、明治生まれの彼は若いころ警察署に勤めていて口ひげを整え、皆さんから「ヒゲのおじさん」と呼ばれていました。
 女の子がいなかったので、嫁に来た私をよくかわいがってくれました。私と義父は生まれた干支が同じで、私が37歳の生まれ年には好きな着物(晴れ着)を記念にと買ってもらいました。私の作った料理を「○○さん、おいしいね。ありがとう」といつも褒めてもらいました。そんなときはまた 喜んでもらえるよう、どんな料理を作ろうかと考えたりしたものでした。
 晩年は認知症になり、かわいそうでしたが、口癖は「あんたも年を取ってみなさい。そうしたら分かるよ!」でした。
 私も70代の年を迎え、義父の話していたことが分かるような年になってきました。

(石垣市 Kばあちゃん)

(編コメ)義理のお父さんは優しい方だったんですね。Kばあちゃんさんが嫁いだときは、とてもうれしかったことでしょう。この時季は、さまざまなことが感慨深く思い出されますね。

父の優しさ

 高校生のとき、仲が良かった男女のグループで北部へ行きキャンプをしました。みんなでバーベキューをしたり、花火をしたりと楽しかったのですが、夜になり遊び疲れて、みんな爆睡しているのに私だけ眠れない…。
 「お化けが出たらどうしよう」と考えたら怖くなり泣きながら父に「迎えに来てー」と電話。那覇から北部まで夜中にも関わらず迎えに来た父を見て、さらに大泣き。父と一緒に帰れるかと思っていたのに「ちゃんとお友達と帰ってきなさい」と言って私をテントに戻し、テントの外で見守ってくれていました。
 私が寝たのを確認し、父は帰ったらしく目覚めたときにはいませんでした。父の優しさは今も健在です。

(那覇市 めろんぱん)

(編コメ)友達みんなが寝てしまい、自分だけ起きているという状況は心細いかもしれませんね。お父さんが連れて帰らなかったのは、めろんぱんさんを思ってのことだったのですね。

永遠のヒーロー

 私が幼いころの那覇市は、まだ自然がいっぱいで識名園の周りは水田でした。父は自転車の前に私を乗せ、あぜ道をよくサイクリングしてくれました。
 水田でカエルを捕ったり、トンボやチョウ、バッタなどを追いかけ虫捕りをしたりと楽しんだ思い出があります。父が作ってくれた弁当も食べました。見た目は悪いのですが味はバツグンでした。
 ある日、弁当を食べようとしたらお箸を忘れていました。すると、父がススキの穂をナイフでカットして即席の箸を作ってくれたのです。そうなんです。父は、アイデアマンでいろんなものを作り出し、おもちゃや家庭用品などが壊れたら直してくれる、なんでもできる私にとって憧れのヒーローでした。
 父の日が近づくと今は亡き優しかった父がいろんな経験をさせてくれたことを懐かしく思い出します。天国にいる父は、私の心の中にいるすてきな永遠のヒーローです。

(那覇市 大福)

(編コメ)手先が器用でなんでもできる優しいお父さんは、大福さんの自慢のお父さんだったんですね。とてもすてきなエピソードをありがとうございます。

母の日の花籠

 母が亡くなって11年目となりますが、今年の母の日も仏壇の前には色とりどりの花籠が飾られていました。声掛けをするわけでもなく、きょうだいたちはおのおの花を買ってくる習慣となっています。
 明るく陽気で楽しいことが大好きだった母は、亡くなっても命日、誕生日、母の日、敬老の日と、子どもや孫からのプレゼントが絶えることはありません。亡くなってもまだ存在感ありの母です。

(那覇市 みーゆーママ)

(編コメ)子や孫、たくさんの花に囲まれて、お母さんはとっても喜んでいることでしょうね。

おみやげのネクタイ

 サンフランシスコに旅行へ行ったとき、家族一人一人におみやげを買って帰りました。父へのおみやげはネクタイ。濃いグリーン系のペイズリー柄でちょっぴり幅広のネクタイでした。
 沖縄に戻り実家へ行って父にネクタイを渡すと、喜んで受け取ってくれましたが、いま一つ反応が薄い感じでした。私は「パパには派手だった? 好みじゃないのか…」とちょっと残念な気持ちになりました。
 あれから10年ほど経ったころでしょうか。
 ある日、実家へ行くと、父は外出のため身支度をしているところでした。私に気付いた父は、なんと、あのネクタイを締めながら「最近、これを使ってるんだよ」と笑顔で言いました。年月が経ち、好みも変わっていったのか? それともいままで締めたことのない柄でなかなか手が出せなかったのか? いずれにせよ、すっごくうれしくて私はずっとニヤニヤしていました。白いワイシャツに濃いグリーン系のペイズリー柄ネクタイをした父は、とてもかっこよかったです!

(宜野湾市 ユウ)

(編コメ)派手に思えたネクタイも、使ってみたら意外としっくりきたのかもしれませんね。

日本一の父親二人

 私の父は戦死しました。なので、この偉大な父親を誇りに思います。(セルラースタジアムの)観客は大興奮していました。

(南風原町 Y・K)

(編コメ)県出身の本塁打王・山川穂高選手とボクシング元世界王者の具志堅用高さんがマウンドで抱き合う新聞の切り抜きと共にいただいたコメントです。

5本指に入る映画

 私が鑑賞してきた映画の中でも5本指に入る映画、それがアラン・ドロン主演の「サムライ」です。タイトルとは裏腹にチョンマゲ、刀、切腹などは一切ありません。映画は依頼人に裏切られ、組織、警察に追い詰められていく殺し屋ジェフ・コステロの3日間を、パリの雑踏を背景にサスペンスと哀感で淡々とつづっていきます。
 寡黙な主人公の行動に、観客の私たちは彼の心情を追わずにはおれません。自ら死へと歩む彼の生きざまを、モノクロ風の蒼(あお)い映像と哀愁漂う音楽は見事に立ち上げています。自らの掟(おきて)に殉ずる生き方を監督のメルヴィルはサムライと呼んでいるようです。映画はピンと張った1本の糸のような凛とした静謐(せいひつ)さをも漂わせています。
 ところで殺し屋ジェフがまとうトレンチコートに心を奪われた自分は当時14歳。残念なことに沖縄はトレンチコートを着る気候にはない。映画でトレンチコートをまとうアラン・ドロンは当時31歳。その美男ぶりは正に特筆もので、「イケメン」なんて軽い4文字言葉は吹き飛ぶような美しさです。

(名護市 リーアム デブリン)

(編コメ)この作品を見たことがないのですが、映像や画像を見てみると確かにイケメンという言葉では表現しきれない美しさ。ぜひ、この作品を見たいと思います。

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