「ワシントコポスト」2019年03月07日[No.1767]号
昨年暮れの琉球新報に伊是名でどんぐりが見つかったという記事がありました。そのかわいいどんぐりの写真を見たとき、私はなぜか70余年前の戦時中の幼いときを思い出しました。
十・十空襲で焼け出され、その後、着の身着のまま大分に疎開した国民小学校の二年生のときだったと思います。軍の飛行機の油が必要なのでドングリを取ってくるよう先生に言われました。那覇っ子の私はドングリの木なんて知りません。
大人たちは皆、毎日の糧を得るため近所の農家へ手伝いに行っていません。それでもお寺の裏山に行って何とかハンカチに包めるほどのドングリを拾いました。
翌日教室へ行ってびっくりしたことは、なんとカマス(方言でカシガー。米などを入れる袋)いっぱいのドングリを教壇の前にどんと置いた男の子がいました。次々置かれる中、私は自分のドングリをどう置いたか覚えていません。
あのドングリはどうなったのでしょうか。本当に油に代わりお国のためになったのでしょうか。
その年の8月15日、終戦を迎えました。
(那覇市 もず)
(編コメ)レキオに合わない文章かもしれないとメモにありましたが、そんなことはありません。当時のほんの一コマでも知ることは戦争を知らない世代にとって貴重なことです。個人の体験はより身近に想像しやすく、いろいろ考えさせられます。ありがとうございました。
年明け、20年ぶりに大阪に旅行に行ってきました。飛行機に乗るのも久しぶりで、かなりドキドキでした。
今回の旅の目的は、食いだおれです。お好み焼き、たこ焼きはもちろんのこと、ギョーザや串カツなど、おいしい食べ物がたくさんあり大満足でした。もちろん観光もしました。外国の方もたくさんいました。
沖縄ではほとんど歩くことはないけど、一日2万歩も歩きビックリでした。これをきっかけに、沖縄でも歩く習慣をつけたいと思いました。
(糸満市 ポンタ)
(編コメ)久しぶりの大阪旅行を楽しんだようですね。あちこち歩き回って、おいしいものをおなかいっぱい食べましたか? 歩く習慣が身に付くといいですね。
わが家の5歳の長女は、女子力高めな女の子です。それはもうすでに私を上回っています。5歳ながら、ひらがなよりも先に三つ編みをマスターし、日々自分で髪を結って幼稚園に通っています。
そんな長女が前髪を伸ばし始めました。理由は、「安室ちゃんや西野カナになりたい!」だそうで。彼女が憧れる人は、みんな前髪を上げておでこを出しているからなんです。
初詣からしばらくたった1月半ば、長女がしょんぼりした顔で話してくれました。「神様に、かわいくなりますようにってお願いしたのにかなわなかった」と。それを聞いた私も主人も大笑い。
神様にお願いしたら安室ちゃんや西野カナになれると思ったのかなぁ(笑)⁉ 本人、納得してはいませんが、今のままで十分かわいいよ!
(読谷村 うどん県)
(編コメ)娘さんは鏡を見ては「う〜ん。まだかわいくならない」と首をかしげていたのでしょうか? そういった姿を想像するだけでも「かわいい〜」と思ってしまいます。
2月14日付「映画好き」さんの投稿を読んでうれしかったです。私も海洋博でユーミンの歌を聞いた一人です。
なんと、本人が弾き語りで歌っていたんですよ〜! そのとき私は小学1年生、その人がユーミンという歌手だと知るよしもなく、中学生になって再びその曲を聞き曲名と歌手名を知りました。
旧水族館の下辺りで、バックバンドもなく立ち止まって曲を聞く人もいなかったと記憶しています。今では信じられないですよね。そのときのユーミンは日本人形のようなボブスタイルでバッチリメイクでした。
私は生まれて初めて見る歌手と物悲しい曲に心引かれ、聞き入っているうちに家族とはぐれてしまいました。その後、園内放送され無事家族と再会。
にぎやかな園内とミスマッチなユーミンの曲、迷子になった心細さを今でも思い出します。
(沖縄市 がんこちゃん)
(編コメ)映画好きさんの「どんな元号になるか」で海洋博覧会の会場でユーミンの曲が流れていたとの記載がありました。生で曲を聞けたのは 貴重な体験ですね。うらやましいです。
11月29日付「『停電になって』を読んで」を拝読しました。投稿してくれたエリリンさん! 私の投稿に感謝してくれてとてもうれしいです。
エリリンさんの気持ちを読みながら、感動といいますか、自分の思ったことで見ず知らずのエリリンさんの気持ちに寄り添えたことに何だかうるうるしてしまいました。
お役に立てて光栄です。そして、お礼の投稿をしてくださったことに。ありがとうの連鎖が起きています! いてもたってもいられなくて返信のお便りをしちゃってます(笑)。ワシントコポストは、自分にとって日常の彩り的存在です!
(沖縄市 みどりのつぼみ)
(編コメ)ご主人が電気工事の仕事をしているエリリンさんは、復旧作業をするご主人を心配しながらも家にいない寂しさがあったようです。でも作業員さんへの感謝の気持ちなどを書いたみどりのつぼみさんの投稿にエリリンさんもまた感謝。顔は見えずともつながっていますね。
1月31日付、ひまひまおじんさんの「さびっさん」を読んでの投稿です。「自分がやめることで丸く収まるなら、会の方々にはこれからも頑張ってほしい」という文面を読んで、優しいお人柄が伝わってきました。そのような方がなぜ突然入会を断られたのか、想像もできませんが…お気持ちが痛いほど分かります。
この投稿を読んで、私も十数年前の記憶がよみがえりました…。結婚して間もないころ、慣れぬ土地で少しでも誰かとつながりたいという思いで仕事に就きました。ところがある日突然、派遣先からの電話。「今行ってもらっている仕事先には、明日から勤務の必要はありません」と。何かしくじったわけでもなく、理由を聞いても「先方の都合」と返されるだけ。
こちらに不手際があったのなら、直すためにも教えてほしいのに。そのときは頭が真っ白で、自分が必要とされていないということがとても悲しく寂しかったです。何か傷付けてしまうような理由だったのでしょうか? それとも、言えないほど身勝手な理由なのでしょうか? いろいろと勘ぐってしまいますよね。
私は、お金をもらう側だったので引き下がるしかありませんでしたが、„ひまひまおじん“さんは会費を支払いされた側。私以上の悲しみと戸惑いがあったと思います。何の解決にもなりませんが、同調の思いで投稿してしまいました。
(那覇市 だからよ〜)
(編コメ)ひまひまおじんさんは、あるサークルに会費も納め何度か参加するも、理由も教えてもらえないまま入会を断られてしまいました。理由が分からないままだなんて、だからよ〜さんも当時は気持ちがモヤモヤしていたのではないでしょうか?