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[No.1680]

  • (金)

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「ワシントコポスト」2017年07月06日[No.1680]号

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子育て支援に感謝

 3人の男の子の母です。先日、2歳半になる末っ子がインフルエンザにかかり、保育園をしばらく休むことになりました。
 夫は1カ月の県外出張中。上のお兄ちゃんは体に障がいがあるし、うつったら一大事です。兄弟の寝室を別にしなければならないなど何かと大変でしたし、私自身も仕事があったため、慌てて病児保育を申し込みました。
 最初の2日間は定員オーバーのため利用できなかったのですが、その後の3日間は預かってもらえることになりました。初日はぐずっていた3男も、包容力のある保育士さんのおかげで2日目からは機嫌よく通ってくれました。病院に付設されたスペースのため、医師の回診もあり、安心して仕事に集中することができました。
 病児保育を利用しているとき、別件でファミリーサポートセンター(通称ファミサポ)へ出向く用事がありました。アドバイザーの方の話を聞いていたとき、わが家の困っていたことをついて話してみると「それは大変でしたね!」と言われ、サービスを受けられることになりました。
 親は子どもの責任を全て引き受けなければならないと思いがちです。私もファミサポを利用しなければ、人の手を借りてもいいことに気づきませんでした。支援を受けることができ、支えてくれている方々に改めて感謝の気持ちを感じました。そして子育てをしている全ての人達に、お疲れさま! と伝えたいです。

(沖縄市 サビオ)

(編コメ)いざという時に備え、住んでいる地域の病児保育事業実施施設の利用方法を確認し、ファミサポに登録しておくといいですよね。支援サービスを活用できたとはいえ、サビオさんもお疲れさまでした。

ドキドキ抽選会

 5月某日。ずっと受講したかった講座の抽選会が県総合運動公園でありました。定員が20人だったため、その日は朝からドキドキしていました。
 抽選会は午前9時にスタート。渋滞を避けるため早めに出発し、会場である管理事務所前のベンチに座って時間を潰しました。
 ベンチ前の芝生はきれいに手入れされていて、芝生横の道をウオーキングする人たちや通学中の学生たちを見つめながら、早朝の空気を吸い込みました。
 10分前になり、事務所2階の会議室へ。係の人が「応募者は30人です」と言ったとき、不安になりました。くじにはずれたら、じゃんけんで決めるそうです。くじ運もよくなければ、じゃんけんも弱い私。先にくじを引いた皆さんのうれしそうな顔、がっかりした顔を見ながら、頭の中は混乱していました。そしていよいよ、私の番がきました。
 係の人が手にしている抽選箱の前で「あたりますように」とつぶやき、くじを引きました。紙を広げると「あたり」と大きく書かれた文字。思わず小さな声で「やった」と言いました。
 申し込み書に必要事項を記入し、材料費を支払って受け付けは終了。駐車場までの足取りも軽く、帰りの車の中で好きな曲を聞きながらルンルン気分で帰宅しました。講習会がある6月が楽しみです。

(うるま市 しおり)

(編コメ)気持ちが伝わって、こちらまでうれしくなりました。楽しい講座時間を過ごしたのでしょうね♪

傘立て①

 6月8日付、マイキーさんの「お気に入りの傘」を読んで。私も先日、同じ経験をしたばかりです。
 外出先で「大丈夫かな」とちょっと不安を感じながら、傘立てに傘を置きました。傘の手元部分には名前のシールを貼り、生地にはマジックで自分の名前をローマ字で書いていたのですが、傘置き場に戻ってみるとなくなっているではありませんか! 誰かが間違えて持って帰ったのかな〜と近くを探してみましたが、見つからずにガッカリ……。とても嫌な気分になりました。それ以来、折りたたみ傘やビニール袋を持ち歩くようになりました。

(宜野湾市 エリザベート)

傘立て②

 マイキーさんの話を、私は大多数の方とは違う気持ちで読んだと思います。数年前、他人の傘を持ち帰ってしまったことがあるからです。
 その日は雨で、友人とお店でランチを楽しんでいました。帰る頃には雨がやんでいて、傘立てに置いてあった傘をそのまま車へ。他人の傘だと気づいたのは家に着いてからでした。慌ててお店に連絡しましたが、その傘の持ち主はもう帰ったとのことでした。
 生地の色だけが似ている安物のジャンプ傘が残されていたら、盗まれたと思われても仕方ないよね……と反省。どうかこの傘の持ち主がもう一度お店に来て、傘を見つけてくれますようにと祈りながら、お店に傘を返しました。
 マイキーさん、世の中には私のように、信じられない間違いをしてしまう人間がいます。もう一度、そのスーパーに確認してみるのはいかがでしょう。

(沖縄市 反省ばかり)

(編コメ)お気に入りの傘がなくなったマイキーさんの投稿に、たくさんの反響がありました。目立つように名前を入れていてもなくなることがあるのですね……。また、持ち帰ってしまったものの、誠意を持って対応した反省ばかりさん。持ち主の元に返るといいですね。

子どもの発想

 先日、8歳のおいっ子と出かけた時、洗車機を利用しました。ねずみ色の布ブラシがぐるぐると回転しながら車を洗っているのを見たおいっ子は「ざるそばみたいだね。あー食べたいな」と言いました。
 子どもの発想って柔軟で面白いですね。だから私は子どもが大好きです。大人も素直に考えることができたら、もっと楽しい世の中になるのかも。

(宮古島市 ハンカチ王子)

(編コメ)同感です。子どもたちから教えてもらえることってたくさんありますね。

父の日に思う

 昨年9月に父が他界しました。92歳でした。晩年の父は、介護施設で3年半ほど過ごしました。
 遺品整理をしているとき、古い日記が出てきました。なんと私が生まれる前後のもの。当時の父は琉球政府で働いていて、薄給で生活が苦しいこと、単身赴任の不便さなどが書き記されていました。
 生前、父が施設を訪ねた私の夫にDVDを借りたいと伝え、近くのレンタルショップに出かけたことがあります。向かう途中で父は便意をもよおし、もらしてしまいました。急きょ呼び出された私は、夫と一緒に片付けをしました。父を施設へ送った後の車中にはまだ臭いが残っていましたが「これも生きている証」と話したことを覚えています。
 父が亡くなった後、弟に「父の介護は施設がした」と言われ、困惑しました。幾度となく弁当やスープを作って届けたり、髪をカットしたり、父の部屋で姉たちと一緒に父の好物のうなぎを買ってランチを楽しんだりしました。姉たちとつづった介護記録を読み返すたびに、思い出があふれます。老いてゆく父に少しでも寄り添えた気がしていましたが、私の思い過ごしでしょうか。
 シベリアでの捕虜生活を経て、生き延びた父のおかげで今の私がいる。このバトンを息子、娘、孫がつないでくれることでしょう。

(浦添市 みーえ)

(編コメ)ご家族それぞれの思いやりのある行動や言葉は、お父さんの心に寄り添えていたのではないかと思います。命のバトンを大切に生きていきたいですね。

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