沖縄の日刊新聞「琉球新報」の副読紙「週刊レキオ」沖縄のローカル情報満載。



[No.1585]

  • (金)

<< 前の記事  次の記事 >>

「ワシントコポスト」2015年9月3日[No.1585]号

このエントリーをはてなブックマークに追加

子のいじめを通して

 7月23日付「母親のいじめ」を投稿されたシナモンさん、隠されて気が付かなかった心のカーテンが開き、柔らかい光が差して良かったですね。
 今日は、子育ての経験を少し書きます。子どもが2人とも不登校を経験しました。原因はいじめと、今で言う適応障害です。
 いじめは、とても大変でした。子どもを守るために本土から帰ってきました。とても苦しんで得た結論は「待つこと!」でした。それが分かっていても、学校も行かず将来がどうなるのかと悩んだり、イライラしたりと私自身の心との闘いでした。心を平穏に保つ努力と、いつも通りの日常を心掛けました。17年前のことです。子どもの足が止まると、なぜか私の心が苦しかったのです。子どもたちは高校、大学へ進み2人とも成人しています。現在、私には3人の孫もいます。
 子どものために自分の心のカーテンを閉めないでね。お母さん、子どもは自分の力で前に進みます。

(浦添市 風鈴)

(編コメ)いじめを受けている子どもを、どこまで頑張らせるのかは難しい問題です。無理に学校へ行かせるなどして、状況をさらに悪化させてしまうこともあります。風鈴さんの努力は並大抵のことではなかったと思います。子どものことで先が見えず不安を抱えている親にとって、心強いエールをありがとうございました。

「足るを知る」

 私は今年の1月にインフルエンザにかかって以来、体の不調が続いています。13年ぶりに仕事を始めたら、さらに不眠に悩まされて仕事も辞めました。今は友人の紹介で某クリニックに通っています。女の先生なのですが、私の悩みをいろいろと受け止めてくれて涙が止まりませんでした。主人や子どもたちも私のイライラにとても苦しんだと思います。
 私自身、反省の日々でしたが”今はそういう時期“なんだと思って、心穏やかにゆっくりと焦らず、むきにならないように過ごしています。そして、「足るを知る」と思い、今が一番幸せな時なんだと物事を前向きに考えるようにしています。”足りない数だけ“人は成長できると信じて自分自身を見つめ直し、今日を精いっぱいに生きることをモットーに毎日を楽しんでいます。

(那覇市 甘梅)

(編コメ)とても苦しい思いをされたと思いますが、良い先生に出会えて良かったですね。「今日を精いっぱいに生きる」というモットーには、身が引き締まる思いがしました。惰性に流されぬよう甘梅さんを見習いたいと思います。

「恋仲」にはまる娘

 夏休みの間、娘は就寝時間を「10時にして〜」と言い、いつもより遅い時間に変更。小学4年生なのに、”月9“ドラマ「恋仲」にはまっています。大人の番組は見ないように、と言っても聞きません。とても楽しそうに見ていて、ドラマが終わると私に「今日は、こんな話で〜」と話し始めます。ですが、私は一人でじっくり見たいので「録画しているから言わないで」と言ったら、娘が「恋って難しいのね〜」と一言。
 この子はどんな恋をするのか楽しみです!!

(浦添市 ドラミ)

(編コメ)「恋仲」といえば人気俳優が出演する、さわやかな”胸キュン“ラブストーリー。小学4年生ぐらいの女の子なら興味があってもおかしくない年頃だと思いますよ。娘さんは恋にあこがれているのかしら? ”おませさん“な一言に笑ってしまいました。

県出身者への反応


 8月6日付、小太郎さんの「悔しさをばねに」を読んで、お便りします。私も専門学校に入学するため、30年前に大阪へ行きました。初日の自己紹介後、2〜3日たってから「イモが主食なんだって?」「草履で生活しているって?」「英語を話せるの?」と、一人が質問するとほかの同級生たちも「今だ!」と言わんばかりに次々とこのような”お決まりの質問“をしてきました。数日の間に、家族や知人から沖縄についての情報を得たのでしょう。
 県出身者に対する差別(県出身者が展示された人類館、「沖縄人お断り」の張り紙など)があることは知っていたので、彼らの質問には毅然(きぜん)とした態度で丁寧に答え、説明しました。たぶん、彼らには面白くない反応だったのか、出身地のことで差別やいじめに遭ったりはしませんでした。
 夏休み明け、一人の男子学生から言われました。「夏休みに沖縄へ行ってきたんだ。自分の田舎より都会だった。ごめんね」と。専門学校生は全国の田舎から集まります。失礼なことを言ったのに気付いたのでしょう。彼は「無知の知」を得たのでしょうか?
 平成13年(それでもまだ14年前)にテレビドラマ「ちゅらさん」が始まってからは、県出身者に対する反応や対応がだいぶ違ってきたように思います。根っからの意地の悪い人は放っておいて、私たちも自分たちのことを発信することは大事ですよね。
 小太郎さんの頑張りは周りの人に良い印象を与えたと思います。ありがとうね。

(那覇市 ROSE・WATER)

差別、いまだに…


 「悔しさをばねに」を読んで、本土にいたころのことを思い出しました。
 私は、今から5年ほど前に岐阜県で働いていました。仕事先は、美濃市にある自動車部品の製造工場でした。工場内には、私と同じ県出身者も数人働いていました。
 ある週末のこと。明日が休みということもあり、たまには県出身者同士で飲みに行こうということになったのです。当時、私たちが住んでいた寮は美濃加茂市内にありました。駅前にある、こぢんまりとした飲食街のとあるスナックに張ってある紙に私はがくぜんとしました。その紙には「沖縄県出身者の御来店は、ご遠慮願います」と書かれていました。私はそれを見て、週末の楽しい気分が薄れてしまいました。
 その店で県出身者が何らかのトラブルを引き起こしたのかは分からなかったのですが、目に付きやすい玄関のドアに張られていただけに、とても恥ずかしい思いがしました。
 また、職場でも「沖縄は日本だっけ?」だとか「英語はしゃべれるの?」などと聞かれたこともあります。
 沖縄が本土へ復帰してから、何十年もの年月がたっているというのに、本土ではいまだにあのような考えをした人たちがいるということにショックを受けてしまいました。

(糸満市 ミスターコーラ)

(編コメ)同じような経験をされたお2人からの投稿です。いつまでたっても差別は、なくならないものなのでしょうか? 私たち一人一人が、他者への思い込みや偏見などないか、真剣に考えなければいけませんね。

>> [No.1585]号インデックスページへ戻る

↑このページの先頭へ戻る

<< 前の記事  次の記事 >>