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[No.1582]

  • (金)

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「ワシントコポスト」2015年8月13日[No.1582]号

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子どもの笑顔が力に

 夏休みですね。私の職場には子どもたちが来ることが多く、毎日忙しいのですが楽しく働かせていただいています。私は正規の職員ではありませんが、昔から夢だったお仕事です。
 子どもたちが手を振って「また来るね」と言ってくれると、私も頑張ろうと仕事にも気合いが入ります。正規の職員になるには試験をパスしなければいけないので、子どもたちの笑顔にパワーをもらって頑張ろうと思います。

(うるま市 いっくん)

(編コメ)子どもたちが親しげに笑顔を見せてくれると、こちらも自然と笑顔になり気持ちも明るくなりますよね。いっくんさん、夢を実現できるよう応援していますよ!

申し訳ない…

 7月19日に「ピンクドット沖縄」へ参加してきました。このイベントは、性的少数者(LGBT)の人たちが生きやすい社会を目指すために開催されているもので、3回目の今年は那覇市長による「性の多様性を尊重する都市・なは宣言(レインボーなは宣言)」も行われました。
 今年初参加の私は一人で行ったのですが、「どんな方たちがいるのかなぁ?」と周りを見渡していました。すると、腕を組んでいた女性2人がいたのですが、私の視線に気付きサッと腕を引っ込めてしまったのです。これを見た瞬間、私は「あちゃ〜、悪いことしたなぁ…」と思いキョロキョロするのをやめました。ごめんなさい。お2人が腕を組んでも自然な社会がやってくるよう心から願っております。

(糸満市 ぺんたろう)

(編コメ)LGBTについての認識は、まだまだ浅いような気がします。最近はLGBTに関する講座などを催すところもありますが、まずは「知ること」が差別や偏見をなくす第一歩だと思います。

手巻き寿司パーティー

 先日、夫の誕生日でした。家族の誕生日にはよく外食をしていましたが、今年は節約にもなると思って家でお祝いをしました。
 誕生日ケーキを作るため4歳の長男は生クリームを泡立てたり、イチゴを飾ったりと、お手伝いをしてくれました。手巻き寿司はまだ子どもたちには早いかな? と不安もありましたが、今回初めて挑戦してみました。
 長男は具材を入れて巻くのが楽しいようで、いつもよりたくさん食べ、1歳の次男も一生懸命にお兄ちゃんのまねをして手巻き寿司を作って食べていました。
 私も子どものころに何回か手巻き寿司を作った記憶がありましたが、今回はとにかく久しぶりだったので巻く作業もとても楽しくていつも以上に食べてしまいました。
 手巻き寿司パーティーは楽しいですね。次は次男の誕生日に、またケーキを作って手巻き寿司パーティーをしたいと思っています。

(沖縄市 たかひでママ)

(編コメ)家族でパーティー、楽しそうですね! まだ小さなお子さんが、のりの上にご飯や具を載せて手巻き寿司を作る様子はほほ笑ましいです。家族の絆が深まる大切な時間になったことと思います。

話すことで救われる


 7月23日付「母親のいじめ」を読んで。シナモンさんの気持ち、本当に分かります。私も小さいころから同じような環境で育ったので、それが当たり前になっていました。結婚して家庭を持ってからは、母に対して「なぜ?」の連発でした。
 私の場合は、姉と旦那が味方でいてくれます。時々、パニックになったりしますが、話を聞いてくれる人がいるのはありがたいことで本当に感謝しています。
 本来は1番の味方になってほしい人が母親だと思うのですが、私にとっては関わりたくない存在です。気にはなるけど、お互い距離を置いた方がいいと思います。会えば会うほどイライラするし、話すことといえばお金のことばかりで悲しいです。
 時々、子どもの学校のスクールカウンセラーの先生に、子どもの相談をしながら私の事も話しています。話すには勇気がいるし辛いけど、話すこと、そして聞いてくれる人がいるだけで少しは救われると思います。身内から誤解されていると思いますが、大丈夫、シナモンさんには味方がたくさんいますよ。風鈴さんやシナモンさんの勇気ある投稿は私にとって慰めになりました。ありがとう。

(宜野湾市 1番)

(編コメ)辛いときに話を聞いてくれる人の存在は本当にありがたいものです。問題を抱えた母娘が、うまくやっていく良い方法はないでしょうか? 経験者の意見をお待ちしております。

孫のみぃちゃん


 仕事で本土にいる息子家族。その嫁からほっこりするメールが届きました。
 それは孫のみぃちゃんの保育園での出来事。プールの時間に、新しい水着を着てはしゃいでいた友達が転んで、水着が泥で汚れてしまい大泣きをしていたそうです。
 それを見たみぃちゃんは、自分の水着にも泥を塗って汚し「ほら一緒、同じだよ〜。だから泣かないよ〜」と慰めていたとか。先生が、みぃちゃんの優しさに感動した〜って話していたそうです。私はメールを見て、もうすぐ3歳のまだ小さなみぃちゃんのたくましさと、優しさに感動して涙が出てきました。
 こんなにいい子にすくすく育っていたので、ちょっと反省しました。私は、新聞などで怖いニュースを見聞きするたびに、息子に電話をし「都会は子育てするには危険な場所だから早く帰ってきなさい! 子育ては沖縄でのんびりしてちょうだい」とうるさく言っていました。
 けれど…。みぃちゃんの行動に、どこにいてもしっかりと育っていて大丈夫なんだなぁ〜って安心しました(笑)。その優しさに、すごく、すごく、うれしくて本当に安心しました。  それから嫁からの追伸で、息子は「さすが俺の子だ! 俺とそっくりだ!」と、うちなぁ〜魂? を自慢していたそうです(笑)。うちなーんちゅは、どこにいてもうちなーんちゅ。ゆいま〜るです(笑)。この出来事を一生忘れないでしょう。

(うるま市 うちなぁ〜魂☆)

(編コメ)お孫さんはとても思いやりのある子に育っていますね。息子さん夫婦が都会で子育てをされていて心配だと思いますが、今は子育て経験者としてアドバイスなどをしながら見守っていましょう。

守った命


 戦後70年を迎える今年も、90歳になった叔母は体が動く間は平和の礎に手を合わせると言って出掛けていきます。
 70年前に1歳になったばかりの乳飲み子を抱いた若い母親だった叔母は、母乳も出ず、日に日に弱っていく赤ちゃんを抱えていました。疎開先へ行く避難民の列についていけず、周りの人から「赤ちゃんは足手まといになるので諦めなさい」と言われて、赤ちゃんをバナナの葉っぱに包み、泣く泣く山の中に置いて皆と歩き出しました。けれど、2歩進んでは立ち止まり、3歩進んでは振り返り、とうとう葉っぱに包んだ赤ちゃんを置き去りにすることができず再び胸に抱き、皆とは別の壕へ隠れて赤ちゃんの命を守り抜いたそうです。
 その時に必死に守った命は無事に育ち、今は子や孫に囲まれて幸せに暮らしています。若い母親が一生懸命に守ったからこそ、今に繋がる命があると、子や孫に伝えていくそうです。

(那覇市 命のバトン)

(編コメ)8月15日は終戦記念日です。大変な思いをしながら生き抜いてきた方々の思いや、失われた多くの命を決して忘れないよう胸に刻み、平和の尊さをあらためて考えたいと思います。

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